長短経 / 反経
韓子曰、“儒者以文亂法、俠者以武犯禁。”〔反文武也。曹公曰、“恃武者滅、恃文者亡。”夫差、偃王是也。吴子曰、“昔承桑氏之君、修徳廢武、以滅其國、有扈之君、恃衆好勇、以䘮社稷。明主鍳兹必内修文徳、外治武訓、故臨敵而不進、無逮于恭、僵尸而哀之、無及于仁矣。”黔經》曰、“文中多武、可以輔主、武中多文、可以匡君、文武兼備、可任軍事、文武兼闕、不可征伐。”〕
新字:韓子曰、“儒者以文乱法、侠者以武犯禁。”〔反文武也。曹公曰、“恃武者滅、恃文者亡。”夫差、偃王是也。呉子曰、“昔承桑氏之君、修徳廃武、以滅其国、有扈之君、恃衆好勇、以喪社稷。明主鍳茲必内修文徳、外治武訓、故臨敵而不進、無逮于恭、僵尸而哀之、無及于仁矣。”黔経》曰、“文中多武、可以輔主、武中多文、可以匡君、文武兼備、可任軍事、文武兼闕、不可征伐。”〕
書き下し
韓子曰く「儒者は文を以て法を乱し、俠者は武を以て禁を犯す」と。〔文武に反するなり。曹公曰く「武を恃む者は滅び、文を恃む者は亡ぶ」と。夫差・偃王是なり。呉子曰く「昔、承桑氏の君、徳を修め武を廃して、以て其の国を滅ぼす。有扈の君、衆を恃み勇を好みて、以て社稷を喪う。明主は茲に鑒み、必ず内は文徳を修め、外は武訓を治む。故に敵に臨みて進まざるは、恭に逮ぶこと無し。僵尸して之を哀しむは、仁に及ぶこと無し」と。黔経に曰く「文の中に武多きは、以て主を輔く可し。武の中に文多きは、以て君を匡す可し。文武兼ね備わるは、軍事に任ず可し。文武兼ね闕くるは、征伐す可からず」と。〕
現代語訳
韓非子はこう言った。「儒者は文によって法を乱し、俠客は武によって禁令を犯す」。〔文武に反する場合である。曹操はこう言った。「武を頼みとする者は滅び、文を頼みとする者は亡ぶ」。呉王夫差と徐の偃王がそれである。呉子はこう言った。「昔、承桑氏の君主は徳を修め武を廃して国を滅ぼした。有扈の君主は数を頼み勇を好んで国家を失った。明君はこれを鑑として、必ず内では文徳を修め、外では武の訓練を整える。だから敵に臨んで進まないのは、恭しさに及ばない。屍が倒れてから哀しむのは、仁に及ばない」と。黔経にこうある。「文のなかに武が多い者は、主君を補佐できる。武のなかに文が多い者は、君を正せる。文武を兼ね備えた者は、軍事を任せられる。文武をともに欠く者は、征伐に出せない」。〕
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『学論抄録』・文と武は陰陽のように偏り立たない道に文武有るは、猶ほ天に陰陽有るがごとし。豈に偏り立つべけんや。故に孔聖曰く、文事有る者は、必ず武備有り、と。自ら文王武王の業有り。伝に文武の道と云ふ。王世貞曰く、孔子兵に於いて、自ら云ふ、我戦へば則ち必ず克つ、と。蒙谿張□曰く、天仲尼を生ぜずんば、則ち斯文の統以て墜ちん。天尚父を生ぜずんば、則ち戡乱の武曷ぞ張らん。七書六経は、固より仁義一原の理、陰陽貞勝の符なり、と。李卓吾曰く、仁義一原、陰陽貞勝は、則ち確論なり。夫れ天下未だ仁有りて義無き有らず、亦た豈に陽有りて陰無き有らんや。独陽は生ぜず、独陰は成らず。文は専ら陽を指し、武は専ら陰を指すと謂はば、則ち但だに武を成さざるのみならず、而も亦た文を成さず、と。筑前府の耆儒、久兵衛貝原子(名は篤信、号は益軒先生)曰く、古人は文を左にし武を右にす。古より、斯の二つを兼ねずして君子と称する者は、未だ之れ有らざるなり。故に文にして武ならざる、是を腐儒と謂ひ、武にして文ならざる、是を傖父と謂ふ。君子豈に専ら文学を為して武備を廃せんや、と。対馬府の宿儒、東五郎雨森子(字は伯陽、号は芳洲先生)曰く、冉求の郎に戦ひて之に克つや、曰く、孔子に学ぶ、と。則ち洙泗の教へは、人なり。籩豆雍容の暇、象箾綴兆の余、未だ始めより武に在らずんばあらざるなり。然り而して用正制奇の方、攻伐撃刺の術、経に見えざる所以の者は何ぞや。蓋し春秋戦国の際に当たり、天下の患ひは、専ら武を用ふるに在り。彼の聖賢なる者深く慮る所有り、故に口を開くに難きは、固より其の宜しきなり。世の学者徒らに其の書を読みて、其の心を察せず、理勢の源に昧く、和漢の情を闕き、以為へらく武を談ずるは吾が儒の事に非ずと。何ぞ陽を取りて陰を舎て、仁を悦びて義を忘るるに異ならんや。大経を遺れて通誼を失ふ、謬れりと謂ふべし、と。徂徠物子、衛霊公陳を孔子に問ふの一章を釈して曰く、凡そ君問ふこと有りて、答ふるに未だ知らず未だ学ばざるを以てする者は、古礼然り。軍旅は君子の必ず学ぶ所なり。
-
『柳子新論抄録』・文武・文と武は秤の両端である柳子曰く、政の關東に移るや、鄙人其の威を奪ひ、陪臣其の權を弄す。爾來五百有餘年なり。唯だ武を尙ぶを知りて、文を尙ぶを知らざるの弊あり。禮樂並びに壞れ、士は其の鄙倍に勝へず。武を尙ぶの弊は、刑罰孤り行はれ、民は其の苛刻に勝へず。俗吏乃ち謂ふ、文を用ゐるの迂なるは、武を保つの愈れるに如かず、禮を爲すの難きは、刑を爲すの易きに如かず、古何ぞ以て稽ふるに足らん、道何ぞ以て學ぶに足らんやと。是れ特に蠻夷の言のみ。殊に知らず、文事有る者は必ず武備有り、禮樂の敎は、强禦當たる無きを、卒に古の簡にして、道に由るの易きなるを。且つ夫れ文武は、譬へば猶ほ權衡のごときなり。一昂一低、治亂乃ち知り、一重一輕、盛衰乃ち見ゆ。奚ぞ以て偏廢すべけんや。是の故に文武の天下に於けるや、一張一弛、剛柔迭ひに擧げ、一動一靜、强弱並び行はれて、而る後能く四海を平均にし、民其の樂を樂しみ、其の利を利とし、人今に到るまで、德を稱せざる無きなり。詩に云ふ、濟々たる多士、文王以て寧しと。文王の文たる所以なり。赳々たる武夫、公侯の干城と、武王の武たる所以なり。若し其れ武王の武有りて、文王の文無くんば、則ち何を以て夫の郁々を見んや。文王の文有りて、武王の武無くんば、亦何を以て夫の赫々を見んや。文武の以て偏廢すべからざる、豈に昭々たらずや。即今の人、生まれて一經を執らざる者は、寐ても思ひ寤めても思ふ。其の然るを知りて、知らずして之を言ふは、妄に非ざれば則ち狂なり、固より齒牙に掛くるに足らざるなり。然りと雖も天下の民、憒々として其の鄙に勝へず、惱々として其の刻に勝へざる者、吾奚ぞ坐して之を視るに忍びんや。身を殺して仁を成すは、君子の辭せざる所なり。今夫の文の照々たる者は、禮樂は斯れより盛んなるは無し。而るに輓近鄙陋の俗、乃ち人情に近からずと謂ふ。冠昏喪祭、或いは其の目を見ず、琴瑟竽笙、或いは其の器を見ず、國に養老の禮無く、鄕に飲酒の法無し。
-
『長短経』是非文子曰く「人の上に化するは、其の言に従わず、其の行いに従うなり。故に人君、勇を好めば、而ち国家に難多く、人君、色を好めば、而ち国家昏乱す」と。〔非に曰く〕秦王曰く「吾聞く、楚の鉄剣は利くして倡優は拙なり、と。夫れ鉄剣利ければ則ち士勇み、倡優拙ければ則ち思慮遠し。遠き思慮を以て勇士を御せば、吾、楚の秦を図らんことを恐る」と。
-
『長短経』反経勇悍に資りて上を衛り攻戦するを以てせずして、反って侵陵私闘を以てす。〔勇に反するなり。凡そ将帥の去就を軽んずる者は、辺を鎮めしむ可からず。仁徳をして之を守らしむれば則ち安し。〕心智慧にして計教を端しくするを以てせずして、反って奸に事え非を飾るを以てす。〔智慧に反するなり。説苑に曰く「君子の権謀は正し、小人の権謀は邪なり」と。〕貌美好にして朝に統べ人に莅むを以てせずして、反って女を蠱かし欲に従うを以てす。〔貌に反するなり。此の五つの者は、所謂士の其の美質を失うなり。〕
-
『長短経』是非史記に曰く「韓子称す『儒者は文を以て法を乱し、俠士は武を以て禁を犯す』と。二者は皆な譏らる。而して学士は多く世に称せらる。術を以て宰相・卿大夫を取り、其の世主を輔翼するが如きに至りては、固より言う可き者無し。若し季次・原憲の〔季次は孔子の弟子、未だ嘗て仕えず、孔子之を称す。〕書を読みて独行を懐き、議して当世に苟合せざるに及びては、当世も亦た之を笑う。今の遊俠は、其の行いは正義に軌らずと雖も、然れども其の言は必ず信、其の行いは必ず果、已諾は必ず誠。其の躯を愛せずして、士の阨困に赴く。其の徳を伐るを羞ず。蓋し亦た多とするに足る者有り。
-
『学論抄録』・時代で変わる文武の重みと武家の成り立ち孔子豈に独り未だ之を学ばざらんや。将た必ず其の再三問うて措かざるを待ちて後、以て応ずる有るなり。亦た臣の君に対するの礼なり。具眼の儒先の成説已に此くの如し。末学復た何ぞ之れ贅せん。夫れ礼楽は、先王の妙術にして、治道は此に由らざる莫し。軍は是れ五礼の一にして、吉凶賓嘉の四つは、是れ治日の礼、軍は以て乱を戢む。其の軽んずべからざること知るべし。子の慎む所は斎・戦・疾、苟くも慎むこと無くして可ならんや。而して治まれば則ち武衰へ、乱るれば則ち文荒る。理勢の緩急、必ず然らざるを得ざるなり。故に文武の二つは素より軽重無しと雖も、然れども時を済ふの挙は、自ら抑揚有り。此れ政教の異同無きこと能はざる所以なり。按ずるに古に大道・常道の目有り。所謂大とは、小数に対して言ふ。蓋し時王の行ふ所、時俗風を成し、対立する者無きの謂なり。所謂常とは不経に対して言ふ。蓋し先王の建つる所、万世之に依りて易ふべからざるの謂のみ。原ぬるに夫れ我が国上世、細戈千足国と称す。武備の盛んなる、亦た以て知るべし。爾来国人風を成すなり。中葉以降、天下の権、人臣に移り、其の権を握る者、或いは文を以て自ら処り、或いは武を以て自ら処る。蓋し澆季の世、術古に及ばず、所謂文武も亦た先王の旧に非ざるなり。故に文を以て自ら処る者は、早く外患有るを忘れ、淫靡の風従ひて起こる。是を以て永く社稷を保つこと能はず。平相国の如き是れなり。武を以て自ら処る者は、剛烈にして風を損ひ、礼制過朴の弊無きこと能はず。然れども常に戒慎恐懼の意有りて、反って先王の遺旨を存す。是を以て遽かに滅亡の憂ひに至らず。鎌倉氏の如き是れなり。前蹤昭々として見るべし。神祖の運を開くに追び、遠く国初の芳躅を追ひ、近く前代の覆轍を鑑み、武を以て表と為し、文を以て裏と為す。而して玉科金条、標題して武家と曰ふ。恭しく惟みるに皇帝の封冊に曰く、征夷大将軍云々と。所以に、当路の士大夫皆武を以て自ら処り、傍らに儒者を置きて以て顧問に備ふ。官儒と雖も其の始め皆円頂にして僧官に属し、