長短経 / 三国権
益部功曹李熊説述曰、「方今四海波蕩、匹夫横議、將軍割據千里、地什湯武、若奮發威徳、以投天隙、霸王之業成矣。今山東饑饉、人民相食、兵所屠滅、城邑丘墟。蜀地沃野千里、土壤膏腴、果實所生、無榖而飽。女工之業、覆衣天下、名材竹幹、器械之饒、不可勝用。又有魚鹽、銅鐵之利、浮水轉漕之便。北據漢中、杜褒斜之隘、東守巴郡、拒捍闗之口。地方數千里、戰士不下百萬。見利則出兵而畧地、無利則堅守而力農。東下漢水、以闚秦地、南順江流、以震荆揚。所謂用天因地、成功之資。今君王之聲聞於天下、而位號未定、志士狐疑。宜即大位、使逺人有所歸依。」
新字:益部功曹李熊説述曰、「方今四海波蕩、匹夫横議、将軍割拠千里、地什湯武、若奮発威徳、以投天隙、覇王之業成矣。今山東饑饉、人民相食、兵所屠滅、城邑丘墟。蜀地沃野千里、土壤膏腴、果実所生、無穀而飽。女工之業、覆衣天下、名材竹幹、器械之饒、不可勝用。又有魚塩、銅鉄之利、浮水転漕之便。北拠漢中、杜褒斜之隘、東守巴郡、拒捍関之口。地方数千里、戦士不下百万。見利則出兵而略地、無利則堅守而力農。東下漢水、以闚秦地、南順江流、以震荆揚。所謂用天因地、成功之資。今君王之声聞於天下、而位号未定、志士狐疑。宜即大位、使遠人有所帰依。」
書き下し
益部の功曹李熊、述に説きて曰く「方今、四海波蕩し、匹夫横議す。将軍は千里を割拠し、地は湯・武に什す。若し威徳を奮発して、以て天の隙に投ぜば、霸王の業成らん。今、山東は饑饉にして、人民相食み、兵の屠滅する所、城邑丘墟たり。蜀の地は沃野千里、土壌膏腴にして、果実の生ずる所、穀無くして飽く。女工の業は天下を覆い衣せ、名材竹幹、器械の饒かなること、勝げて用うべからず。又た魚塩・銅鉄の利、浮水転漕の便有り。北は漢中に拠りて、褒斜の隘を杜ぎ、東は巴郡を守りて、扞関の口を拒ぐ。地は方数千里、戦士は百万を下らず。利を見れば則ち兵を出して地を略し、利無ければ則ち堅守して農に力む。東は漢水を下りて、以て秦の地を闚い、南は江流に順いて、以て荊・揚を震わす。所謂天を用い地に因る、成功の資なり。今、君王の声は天下に聞こゆるも、位号未だ定まらず、志士狐疑す。宜しく即ち大位に即きて、遠人をして帰依する所有らしむべし」と。
現代語訳
益州の功曹李熊が公孫述に説いた。「いま天下は波立ち、庶民まで勝手に論じ合っています。将軍は千里の地を押さえ、その広さは殷の湯王や周の武王の十倍です。もし威光と徳を奮い起こし、天の与えた隙に乗じれば、覇王の業は成ります。いま山東は飢饉で人が人を食い、兵に滅ぼされて町は廃墟です。蜀の地は肥えた野が千里に広がり、土は豊かで、果実が実るので穀物がなくても腹が満ちます。女たちの織物は天下の人を着せるほどで、良い木材や竹、器物の豊かさは使い切れません。さらに魚と塩、銅と鉄の利、川で物資を運ぶ便もあります。北は漢中に拠って褒斜の隘路を塞ぎ、東は巴郡を守って扞関の入口を防ぐ。土地は数千里四方、兵は百万を下りません。利があれば兵を出して土地を取り、利がなければ固く守って農業に励む。東は漢水を下って秦の地をうかがい、南は長江の流れに乗って荊州・揚州を震わせる。天の時を用い地の利に因る、成功の元手とはこのことです。いま王の名声は天下に聞こえていますが、位と称号が定まっていないので、志ある士はためらっています。すぐに大位に就き、遠くの人が身を寄せる先を示すべきです」。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『政談』金銀錢員數減少する仔細の事偖銭を夥く鋳出たさんには、当時長崎の金高つまりて銅を異国へくたさるゝことなれは、銅払底にて差支あるへし、総体銅の払底になりたるに仔細あり、此の三四十年このかた御城下は勿論、田舎の末々まて小寺小院にも鐘を鋳さるはなし、六十余州を詮識ぜは莫大の銅なるへし、小さき仏像其の数も夥しくなりたり、仏像も余りに夥しくなれは信仰は次第に薄くなることなれは、仏法のためにも宜しからさることなり、特に鐘の功徳と云ふは人の眠りを醒し、六時勤行の時を教へ、十二時の移り行くを知らせて無常を観するたよりとし、又大叢林にては峰々谷々の衆僧を呼集むる用事の為に鐘をつることなり、然るに鐘楼もなき小寺小院のつく人さへもなきに、旦那を勧進して鐘を楼下につり置きたるは何のため成るぞや、つかぬ鐘に声なし、声なくて功徳のあるへきやうなし、真に無用のものなり、
-
『新論』守禦金銀・銅鉄・鉛錫・玉石、凡そ山嶽の蔵する所は、宜しく其の用を恡みて其の糜を禁ずべし。今梵宮・装閣、及び他の玩好の諸物、以て閭閻の用器・婦女の衣帯に至るまで、金を塗り銀を抹せざる莫し。則ち銷金の禁、厳ならざるべからざるなり。(西土の史書に載する所、其の府中の黄金銀物を出して以て軍用に供する者有り、金銀薄を禁ずる者有り、織成金を禁ずる者有り。古人の金銀を用ゐる所以の者、此に在りて彼に在らざること見るべし。唐六典に十四種の金有り、曰く、銷金・拍金・鍍金・織金・砑金・披金・泥金・鏤金・撚金・戧金・圏金・貼金・嵌金・裏金と。宋の時糜金以て服器を飾るを禁じ、又金銀箔線・貼金・銷金・蹙金線にて什器・土木・玩用の物を装貼するを禁じ、命婦に非ざれば以て首飾と為すを得ず。冶宋主の用ゐる所は、悉く官に送らしむ。諸州の寺観、金箔を以て像を飾る者は、自ら金銀工価を齎し、思文院に就きて換給せしむ。又僧の金銀珠玉を求丐し錯末して泥に和し以て塔像を為るを禁ず。又内庭は中宮より以下、並びに銷金・貼金・間金・戭金・解剔金・陥金・明金・泥金・楞金・背影金・盤金・織金・金線撚糸もて衣服に装着するを得ず、並びに金を以て飾と為すを得ざらしむ。其の外庭の臣庶の家も、悉く皆断禁す。是れ他の歴代の申禁、至らざる所無し。其の天地の蔵を発くを重んずるの意も、亦見るべきなり。)
-
『新論』守禦虜は海外諸国を周流し、鉛錫銅鉄硝黄の属、之を諸国の産に資る。其の用固より窮まらず。而して我内に自ら守り、必ず山嶽の秘を発して以て之を用ゐれば、則ち彼此多寡の数、其の較せざるや亦審らかなり。(明人寇を防ぎ、招集屯駐す。当時汪汝淳云ふ、苦しむ所は人日に衆くして、衣甲器械継がず、火薬更に敷かずと。則ち此の火薬の生じ易き者すら、亦猶ほ敷かざるを患ふ。況んや今銅鉄鉛錫、其の生ずること限り有る者をや。)故に或いは弓弩を参用し、必ずしも専ら火器を恃まず。其の火器を用ゐる者も、亦専ら銅と鉛とを恃まず。其の銃身は或いは鉄或いは木、其の弾は或いは鉄或いは石或いは餅、或いは和するに銅鉄の滓・海上の沙鉄の類を以てして、以て餅と為す。朽縄・敗布・爛網・破罟と雖も、亦採りて以て錬造に供す。其の乏しきを補ふべからざる無し。棄物を収蔵して、以て有用を待ち、之を平素に試み、士卒をして習ひて之を知らしめ、事に臨みて百方参用すれば、庶はくは急遽にして以て匱乏を致さざらん。
-
『政談』公儀御身上の制度の事其仕方公儀にて御入用のほとを積りて其大名の身上〳〵に応し出さしむべきなり、譬へは越前よりは奉書つめ、会津よりは蝋うるし、南部相馬よりは馬、上州加賀よりは絹、仙台長門よりは紙のたぐひなり、身上の高よりは出もの多形なとは外より出るものを下さるゝこともあるへし、御城下に御蔵を所々に立て置きて馬にて付込すへし、当時献上物なとのやうに仰山にすることにては諸大名無用の痛みと成るへし、唯当時御買上けになるを御買上げにせすして諸大名に出さするまてのことにすへし、歴代の先例皆斯の如し、偖又古は名山大川は封せずと云ふことあり、左様の所をは大名には下さらぬことなり、材木の出つる山金銀銅鉄鉛等の出つる山、名塩の出つる地は下されましき所なり、当時尾州へ木曽を進せられ、紀州へは熊野を進せられたること古法になきことなり、下されましき山を下し置れて上の御用には材木を御買上けにすること如何なる無調法なる仕方なるろや、特に東山東海の二道を尾州の御領にて塞くこと是れ亦あるましきことの第一なり、
-
『政談』金銀錢員數減少する仔細の事此等のたぐひ、其外世間にある無用の銅器を鋳つぶし、銭を鋳は如何程も出来し、夫にて世界の困窮を救はゝ仏の慈悲心に叶ふべし、但し俗人の取捌きにて寺々の鐘を取りあくること愚かなる人の人情にさかふへけれは、智徳ある高僧に御相談ありて、教化させて其うへにて、屹としたる寺の鐘楼もあり、鐘をもつく用事のある寺はかりを遺し置きて、其外の小寺小院の鐘を悉く銭に鋳させ、その鐘を其の寺々に之を下され寺の修理に用ひたきことなり、
-
『新論』守禦其の希に生ずる所の者を嗇用し、将に以て大いに用ゐる所有らんとす。其の用ゐて以て機に応じ勝を制するに至りては、則ち自ら将略有りて存す。此れ特に兵機を暁る者の為に論ずべくして、紙上に豫め論ずる所に非ざるなり。(戚継光の水戦の法の如きは、弓弩標石と火器と相参ふ。而して火器の如きも、亦其の一船に応に火薬五百斤を備ふべくして、鉛弾は三百斤に過ぎず。火薬の用、鉛弾を発するに止まらざること見るべし。而して参ふるに火箭・噴筒・薬桶の諸器を以てし、専ら鉛弾を用ゐず。則ち火器の必ずしも鉛弾を恃まざることも亦見るべし。)故に大礮の制、干鹵の用、弓弩の技、夫の鉄石雑品の採りて以て用に供すべき者と、皆火を用ゐるの術にして、以て間暇に及びて之を審議せざるべからざるなり。