長短経 / 道徳
夫兵不可出者三、不和于國、不可以出軍、不和于軍、不可以出陣、不和于陣、不可以出戰。故孫子曰、一曰道。道者、令人與上同意者也。故可與之死、可與之生、而人不畏危。〔危、疑也。言主上素有仁施于下、則士能致前赴敵、故與處存亡之難、不畏傾危之敗。若晉陽之圍、沈竈生蛙、而民無叛疑也。〕
新字:夫兵不可出者三、不和于国、不可以出軍、不和于軍、不可以出陣、不和于陣、不可以出戦。故孫子曰、一曰道。道者、令人与上同意者也。故可与之死、可与之生、而人不畏危。〔危、疑也。言主上素有仁施于下、則士能致前赴敵、故与処存亡之難、不畏傾危之敗。若晋陽之囲、沈竈生蛙、而民無叛疑也。〕
書き下し
夫れ兵に出だすべからざる者三あり。国に和せざれば、以て軍を出だすべからず。軍に和せざれば、以て陣を出だすべからず。陣に和せざれば、以て戦いを出だすべからず。故に孫子曰く、一に曰く道。道なる者は、人をして上と意を同じくせしむる者なり。故に之と死すべく、之と生くべくして、人危うきを畏れず。〔危は、疑なり。主上素より仁を下に施すこと有れば、則ち士は能く前に致して敵に赴き、故に与に存亡の難に処りて、傾危の敗を畏れざるを言う。晋陽の囲み、竈を沈めて蛙を生ずるも、民に叛疑無きが若きなり。〕
現代語訳
兵を出してはならない場合が三つある。国が和していなければ軍を出してはならない。軍が和していなければ陣を出してはならない。陣が和していなければ戦いに出てはならない。だから孫子は言う。一つ目は道である。道とは、人々に上と心を同じくさせるものである。だから人々は上とともに死ぬことができ、ともに生きることができ、危うさを恐れない。〔危とは疑うことである。君主が日ごろから下に仁を施していれば、兵は進んで敵に向かい、ともに存亡の難に臨んでも、傾き滅びる危うさを恐れないということを言う。晋陽が包囲され、水に浸かった竈から蛙が生まれるほどになっても、民に背く者や疑う者がいなかったようなものである。〕
解説

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