長短経 / 君徳
〔班固曰、「王莽始起外戚、折節力行、以要名譽。哀成之際、勤勞國家、直道而行、動見稱述、豈所謂『在國必聞、在家必聞、色取仁而行違』之者也莽既非仁、而有邪佞之材、又承四父世業之權、遭漢中㣲國統三絶、而太后夀考、為之宗主、故得肆其奸慝、以成簒奪之禍。推此言之、亦有天時、非人力所致。
新字:〔班固曰、「王莽始起外戚、折節力行、以要名誉。哀成之際、勤労国家、直道而行、動見称述、豈所謂『在国必聞、在家必聞、色取仁而行違』之者也莽既非仁、而有邪佞之材、又承四父世業之権、遭漢中微国統三絶、而太后寿考、為之宗主、故得肆其奸慝、以成簒奪之禍。推此言之、亦有天時、非人力所致。
書き下し
〔班固曰く「王莽は始め外戚より起こり、節を折りて力行し、以て名誉を要む。哀・成の際、国家に勤労し、直道にして行い、動けば称述せらる。豈に所謂『国に在りて必ず聞こえ、家に在りて必ず聞こゆ、色に仁を取りて行いは違う』者に非ずや。莽は既に仁に非ずして、邪佞の材有り。又た四父の世業の権を承け、漢の中微にして国統三たび絶ゆるに遭う。而して太后は寿考にして、之が宗主と為る。故に其の奸慝を肆にして、以て簒奪の禍を成すを得たり。此を推して之を言えば、亦た天時有り、人力の致す所に非ず。
現代語訳
〔班固はこう言った。「王莽は初め外戚から起こり、身を屈めて努め励み、それによって名誉を求めた。哀帝・成帝のころ、国家のために勤労し、まっすぐな道を行い、動けば称賛された。これこそ論語にいう『国にいれば必ず名が聞こえ、家にいれば必ず名が聞こえる、顔つきに仁を取っていながら行いは違う』者ではないか。王莽は仁ではないのに、よこしまで口の巧い才があった。また四代の父祖の世襲の権を受け継ぎ、漢が衰えて皇統が三度絶えるのに遭った。しかも太后が長寿で、その一族の主となった。だからその悪意を思うままにして、簒奪の禍を成すことができた。これを推して言えば、これにも天の時があったのであって、人の力によるものではない。
解説
論語の聞と達の区別が持ち出されます。国にいれば名が聞こえ、家にいれば名が聞こえる。それは達ではなく聞である、と孔子は言いました。顔つきだけ仁を取って行いが違う。王莽はまさにそれだった、と班固は断じます。そして重要なのは、それだけでは簒奪はできなかったという指摘です。皇統が三度絶え、太后が長寿だった。悪人が力を持つには、必ず構造の側の隙が要る。
この章句が説くこと
君徳王莽班固聞と達色取仁外戚
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