長短経 / 忠疑
邾之故、為甲裳以帛〔以帛綴〕公息忌謂邾之君曰、“不若以組。”邾君曰、“善!”下令、令官為甲必以組。公息忌因令其家皆為組。人有傷之者曰、“公息忌之所以欲用組者、其家為甲裳多為組也〔傷、敗也。”〕邾君不悦、於是乎止、無以組。邾君有所尤也。邾之故為甲以組而便也、公息忌雖多為組、何傷?以組不便、公息忌雖無以為組、亦何益?為組與不爲組、不足以累公息忌之說也〔累、辱也。〕凡聽言不可不察。
新字:邾之故、為甲裳以帛〔以帛綴〕公息忌謂邾之君曰、“不若以組。”邾君曰、“善!”下令、令官為甲必以組。公息忌因令其家皆為組。人有傷之者曰、“公息忌之所以欲用組者、其家為甲裳多為組也〔傷、敗也。”〕邾君不悦、於是乎止、無以組。邾君有所尤也。邾之故為甲以組而便也、公息忌雖多為組、何傷?以組不便、公息忌雖無以為組、亦何益?為組与不為組、不足以累公息忌之説也〔累、辱也。〕凡聴言不可不察。
書き下し
邾の故は、甲裳を為るに帛を以てす〔帛を以て綴る〕。公息忌、邾の君に謂いて曰く「組を以てするに若かず」と。邾君曰く「善し」と。令を下し、官をして甲を為るに必ず組を以てせしむ。公息忌因りて其の家をして皆組を為らしむ。人に之を傷る者有りて曰く「公息忌の組を用いんと欲する所以の者は、其の家の甲裳を為ること多く組を為ればなり」と〔傷は敗なり〕。邾君悦ばず。是に於て止め、組を以てすること無し。邾君尤むる所有るなり。邾の故は甲を為るに組を以てして便ならば、公息忌多く組を為ると雖も、何ぞ傷らん。組を以てして便ならずんば、公息忌以て組を為ること無しと雖も、亦た何の益かあらん。組と為すと組と為さざるとは、以て公息忌の説を累するに足らざるなり〔累は辱なり〕。凡そ言を聴くは察せざるべからず。
現代語訳
邾の国ではもともと、鎧の裳を絹糸で綴っていた〔絹糸で綴る〕。公息忌は邾の君に「組紐で綴るほうがよい」と言った。邾の君は「よい」と言って命令を下し、役所で鎧を作るときは必ず組紐を使わせた。公息忌はそこで家の者に皆組紐を作らせた。これをそしる者がいて言った。「公息忌が組紐を使わせたがったのは、自分の家で鎧の組紐をたくさん作っているからだ」〔傷とは損なうこと〕。邾の君は不機嫌になり、組紐を使うのをやめさせた。邾の君には思い込みがあったのである。邾で鎧を組紐で作るのが便利なら、公息忌がたくさん組紐を作っていても何の害があろう。組紐が不便なら、公息忌が組紐を作っていなくても何の益があろう。組紐を作るか作らないかは、公息忌の意見の良し悪しを損なうものではない〔累とは辱めること〕。およそ言葉を聞くときは、よく見極めなければならない。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
孫子・地形篇卒を視ること嬰児の如し、故に之と深谿に赴くべし。卒を視ること愛子の如し、故に之と俱に死すべし。厚くして使う能わず、愛して令する能わず、乱れて治むる能わざれば、譬えば驕子の若く、用うべからざるなり。
-
孫子・九変篇是の故に智者の慮は、必ず利害に雑う。利に雑えて務め信なる可きなり。害に雑えて患い解く可きなり。
-
孫子・九変篇将に五危有り。必死は殺すべきなり。必生は虜にすべきなり。忿速は侮るべきなり。廉潔は辱むべきなり。愛民は煩わすべきなり。
-
言志四録・言志晩録 第十六条 真の是非は自ら覔む人皆、是非の窠中に在りて日を送る。然れども多くは是れ日間の瑣事にして、利害得失の数件に過ぎず。真の是非の如きは、則ち人の討ね出し来る無し。学者は須らく能く自ら覔むべし。
-
『墨子』貴義子墨子曰く、凡そ言、凡そ動、天鬼百姓に利ある者は之を為し、凡そ言、凡そ動、天鬼百姓に害ある者は之を舍く。凡そ言、凡そ動、三代の聖王堯・舜・禹・湯・文・武に合う者は之を為し、凡そ言、凡そ動、三代の暴王桀・紂・幽・厲に合う者は之を舍く。
-
史記 白起王翦列伝白起は郿の人なり。善く兵を用ひ、秦の昭王に事ふ。昭王の十三年、而して白起左庶長と為り、将として韓の新城を撃つ。是の歳、穣侯秦に相たり、任鄙を挙げて以て漢中の守と為す。その明年、白起左更と為り、韓・魏を伊闕に攻め、斬首二十四万、またその将公孫喜を虜にし、五城を抜く。起遷りて国尉と為る。河を渉りて韓の安邑以東を取り、乾河に到る。明年、白起大良造と為る。魏を攻めてこれを抜き、城の小大六十一を取る。明年、起、客卿錯と垣城を攻め、これを抜く。後五年、白起趙を攻め、光狼城を抜く。後七年、白起楚を攻め、鄢・鄧の五城を抜く。その明年、楚を攻め、郢を抜き、夷陵を焼き、遂に東して竟陵に至る。楚王亡げて郢を去り、東に走りて陳に徙る。秦、郢を以て南郡と為す。白起遷りて武安君と為る。武安君因りて楚を取り、巫・黔中郡を定む。昭王の三十四年、白起魏を攻め、華陽を抜き、芒卯を走らせ、而して三晋の将を虜にし、斬首十三万。趙将賈偃と戦ひ、その卒二万人を河中に沈む。昭王の四十三年、白起韓の陘城を攻め、五城を抜き、斬首五万。四十四年、白起南陽の太行道を攻め、これを絶つ。四十五年、韓の野王を伐つ。野王秦に降り、上党の道絶ゆ。その守馮亭、民と謀りて曰く、「鄭の道已に絶ゆ、韓必ず得て民と為すべからず。秦の兵日に進み、韓応ずる能はず。上党を以て趙に帰するに如かず。趙若し我を受けば、秦怒りて必ず趙を攻めん。趙兵を被らば、必ず韓に親しまん。韓趙一と為らば、則ち以て秦に当たるべし」と。因りて人をして趙に報ぜしむ。趙の孝成王、平陽君・平原君とこれを計る。平陽君曰く、「受くること勿きに如かず。これを受けば、禍は得る所より大ならん」と。平原君曰く、「故無くして一郡を得、これを受くるは便なり」と。趙これを受け、因りて馮亭を封じて華陽君と為す。