長短経 / 勢運
〔百六之運、推遷改移、不為堯存、不為桀亡。君子小人、無賢不肖、至人無可奈何。知其不由智力也。〕夫天下有君子焉、有小人焉、有禮讓焉。此數事者、未必其性也、未必其行也、皆勢運之耳。何以言之?《文子》曰、“夫人有餘則讓、不足則争。讓則禮義生、爭則暴亂起。物多則欲省、求贍則争止。”〔議曰、《管子》云、“衣食足、則知榮辱。”此有餘則讓者也。《漢書》曰、“韓信為布衣時、貧無行、不得推擇為吏。及在漢中、蕭何言于髙祖曰、“韓信者、國士無雙。”此不足則争者也。故傅子曰、“夫授夷、叔以事而薄其祿、父母餓于前、妻子餒于後、能守志不移者、鮮矣。”〕
新字:〔百六之運、推遷改移、不為堯存、不為桀亡。君子小人、無賢不肖、至人無可奈何。知其不由智力也。〕夫天下有君子焉、有小人焉、有礼譲焉。此数事者、未必其性也、未必其行也、皆勢運之耳。何以言之?《文子》曰、“夫人有余則譲、不足則争。譲則礼義生、争則暴乱起。物多則欲省、求贍則争止。”〔議曰、《管子》云、“衣食足、則知栄辱。”此有余則譲者也。《漢書》曰、“韓信為布衣時、貧無行、不得推択為吏。及在漢中、蕭何言于高祖曰、“韓信者、国士無双。”此不足則争者也。故傅子曰、“夫授夷、叔以事而薄其禄、父母餓于前、妻子餒于後、能守志不移者、鮮矣。”〕
書き下し
〔百六の運は、推遷改移し、堯の為に存せず、桀の為に亡びず。君子小人、賢不肖と無く、至人も奈何ともすべき無し。其の智力に由らざるを知るなり。〕夫れ天下に君子有り、小人有り、礼譲有り。此の数事の者は、未だ必ずしも其の性ならず、未だ必ずしも其の行いならず、皆勢運之をするのみ。何を以て之を言う。文子に曰く「夫れ人は余り有れば則ち譲り、足らざれば則ち争う。譲れば則ち礼義生じ、争えば則ち暴乱起こる。物多ければ則ち欲省き、求め贍れば則ち争い止む」と。〔議に曰く、管子に云う「衣食足りて、則ち栄辱を知る」と。此れ余り有れば則ち譲る者なり。漢書に曰く「韓信の布衣為りし時、貧しくして行い無く、推択せられて吏と為るを得ず。漢中に在るに及び、蕭何高祖に言いて曰く『韓信は、国士無双なり』と」。此れ足らざれば則ち争う者なり。故に傅子曰く「夫れ夷・叔に授くるに事を以てして其の禄を薄くし、父母前に餓え、妻子後に餒えば、能く志を守りて移らざる者は、鮮し」と。〕
現代語訳
〔百六の厄の巡りは、移り変わり、堯のために存続するのでも桀のために滅びるのでもない。君子も小人も、賢者も愚者も、至人でさえどうしようもない。それが知恵や力によらないことを知るのである。〕天下には君子がおり、小人がおり、礼儀と譲り合いがある。これらはその人の本性とは限らず、その人の行いとも限らない。皆、形勢と時運がそうさせているのである。何によってそう言うか。『文子』に言う。「人は余裕があれば譲り、足りなければ争う。譲れば礼義が生まれ、争えば暴乱が起こる。物が多ければ欲は減り、求めが満たされれば争いはやむ」。〔論じて言う。『管子』に「衣食が足りて栄辱を知る」とある。これが余裕があれば譲るということだ。『漢書』に言う。「韓信は庶民だったころ、貧しくて行いが悪く、推挙されて役人になることもできなかった。漢中にいたとき、蕭何は高祖に『韓信は国に二人といない士です』と言った」。これが足りなければ争うということだ。だから傅玄は言う。「伯夷・叔斉に仕事を与えても俸禄を少なくし、父母が目の前で飢え、妻子が後ろで飢えていれば、志を守って変わらずにいられる者は少ない」。〕
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
説苑・奉使晏子將に荊に使いせんとす。荊王之を聞き、左右に謂いて曰く、「晏子は賢人なり。今方に來らんとす。之を辱めんと欲す、何を以てせん。」左右對えて曰く、「其の來るに爲り、臣請う一人を縛りて王を過りて行かしめん。」是に於て荊王晏子と立ちて語る。一人を縛る有り、王を過りて行く。王曰く、「何を爲す者ぞ。」對えて曰く、「齊人なり。」王曰く、「何の坐ぞ。」曰く、「盜に坐す。」王曰く、「齊人固より盜するか。」晏子反顧して之に曰く、「江南に橘有り、齊王人をして之を取りて江北に樹えしむるに、生じて橘と爲らず、乃ち枳と爲る。然る所以は何ぞ。其の土地之をして然らしむるなり。今齊人齊に居りて盜せず、荊に來りて盜す、土地之をして然らしむる無きを得んか。」荊王曰く、「吾子を傷つけんと欲して反りて自ら中れり。」
-
論語・衛霊公篇子貢、仁を為すを問う。子曰く、「工、其の事を善くせんと欲すれば、必ず先ず其の器を利くす。是の邦に居るや、其の大夫の賢者に事え、其の士の仁者を友とす。」
-
孫子・始計篇天とは、陰陽・寒暑・時制なり。
-
孟子・盡心章句下孟子曰く、「君子の陳蔡の閒に戹するは、上下の交わり無ければなり。」
-
孟子・滕文公章句下孟子、戴不勝に謂いて曰く、「子は子の王の善ならんことを欲するか。我明らかに子に告げん。此に楚の大夫有らんに、其の子の齊語せんことを欲すれば、則ち齊人をして諸に傅たらしめんか。楚人をして諸に傅たらしめんか。」曰く、「齊人をして之に傅たらしめん。」曰く、「一齊人之に傅たるも、衆楚人之を咻せば、雖日に撻(むちうつ)ちて其の齊たらんことを求むと雖も、得可からず。引いて之を莊嶽の間に置くこと數年ならば、日に撻ちて其の楚たらんことを求むと雖も、亦た得可からず。子、薛居州を善士と謂い、之をして王の所に居らしむ。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州ならば、王は誰と與にか不善を為さん。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州に非ざれば、王は誰と與にか善を為さん。一薛居州、獨り宋王を如何せん。」 <語釈> ○「咻」、音はキュウ、義はかまびすしくすること。○「莊嶽」、顧炎武云う、莊は是れ街の名、嶽は是れ里の名。
-
『墨子』所染子墨子、染絲する者を見て歎じて言いて曰く、「蒼に染むれば則ち蒼く、黄に染むれば則ち黄なり。入るる所の者變ずれば、其の色も亦た變ず。五たび入れて已に五色と為る。故に染は慎まざる可からざるなり」と。