長短経 / 覇図
項王解而東、漢王欲西、張良曰、「今漢有天下大半、而諸侯皆附、椘兵疲、食盡、此天亡椘之時、不如因其東而取之。」漢王乃追羽。與齊王韓信、魏相彭越、期㑹撃楚、皆不㑹。用張良計、信等皆進兵圍羽垓下、遂滅項氏。〔漢王問張良曰、「諸侯不從、奈何?」良曰、「楚兵且破、未有分地、其不至固宜、君王能與共天下、可立致也。齊王信之立、非君王意、信亦不自堅。彭越本定梁地、始君以魏豹故、越得拜為相國。今豹死、越亦望王、而君王不早定。今能取睢陽以北至榖城、以王彭越、從陳以東傅海、與齊王信。信家在楚、其意欲復得故邑。能出捐此地、以許兩人、使各自為戰、則楚易破於是漢王發使、使韓信、彭越、劉賈等皆引兵圍羽垓下。〕
新字:項王解而東、漢王欲西、張良曰、「今漢有天下大半、而諸侯皆附、楚兵疲、食尽、此天亡楚之時、不如因其東而取之。」漢王乃追羽。与斉王韓信、魏相彭越、期会撃楚、皆不会。用張良計、信等皆進兵囲羽垓下、遂滅項氏。〔漢王問張良曰、「諸侯不従、奈何?」良曰、「楚兵且破、未有分地、其不至固宜、君王能与共天下、可立致也。斉王信之立、非君王意、信亦不自堅。彭越本定梁地、始君以魏豹故、越得拝為相国。今豹死、越亦望王、而君王不早定。今能取睢陽以北至穀城、以王彭越、従陳以東傅海、与斉王信。信家在楚、其意欲復得故邑。能出捐此地、以許両人、使各自為戦、則楚易破於是漢王発使、使韓信、彭越、劉賈等皆引兵囲羽垓下。〕
書き下し
項王、解きて東す。漢王、西せんと欲す。張良曰く「今、漢は天下の大半を有ちて、諸侯皆な附く。楚兵は疲れ、食は尽く。此れ天の楚を亡ぼすの時なり。其の東するに因りて之を取るに如かず」と。漢王乃ち羽を追う。斉王韓信・魏相彭越と、期して会して楚を撃たんとするも、皆な会せず。張良の計を用い、信等皆な兵を進めて羽を垓下に囲み、遂に項氏を滅ぼす。〈漢王、張良に問いて曰く「諸侯従わず。奈何」と。良曰く「楚兵、且に破れんとするに、未だ分地有らず。其の至らざるは固より宜なり。君王、能く与に天下を共にせば、立ちどころに致す可きなり。斉王信の立つは、君王の意に非ず。信も亦た自ら堅からず。彭越は本と梁地を定む。始め君、魏豹の故を以て、越、相国と為るを拝するを得たり。今、豹死し、越も亦た王を望む。而るに君王、早く定めず。今、能く睢陽以北より穀城に至るを取りて、以て彭越を王とし、陳より以東海に傅うるを、斉王信に与えよ。信の家は楚に在り。其の意、復た故邑を得んと欲す。能く此の地を出捐して、以て両人に許し、各々自ら為に戦わしめば、則ち楚は破り易からん」と。是に於て漢王、使いを発し、韓信・彭越・劉賈等をして皆な兵を引きて羽を垓下に囲ましむ。〉
現代語訳
項王は囲みを解いて東へ向かった。漢王は西へ帰ろうとした。張良が言った。「いま漢は天下の大半を保ち、諸侯はみな従っています。楚の兵は疲れ、食糧は尽きた。これは天が楚を滅ぼす時です。項羽が東へ向かうのに乗じて取るに越したことはありません」。漢王はそこで項羽を追った。斉王韓信と魏の相彭越に、期日を定めて合流して楚を撃とうとしたが、どちらも来なかった。張良の計を用いると、韓信らはみな兵を進めて項羽を垓下に囲み、ついに項氏を滅ぼした。〈漢王が張良に尋ねた。「諸侯が従わない。どうすればよいか」。張良は言った。「楚が破れようとしているのに、まだ分け前の土地が定まっていない。来ないのは当然です。君王が天下を共にできるなら、たちまち呼べます。斉王信が立ったのは君王の意ではなく、韓信自身も落ち着かない。彭越はもともと梁の地を平定した。はじめ君は魏豹の都合で、彭越を相国にした。いま魏豹は死に、彭越も王を望んでいる。それなのに君王は早く定めない。いま睢陽から北の穀城までを取って彭越を王とし、陳から東の海までを斉王信に与えなさい。韓信の家は楚にあり、故郷の町を取り戻したがっている。この土地を投げ出して二人に約束し、それぞれ自分のために戦わせれば、楚は破りやすくなります」。そこで漢王は使いを出し、韓信・彭越・劉賈らにみな兵を率いて項羽を垓下に囲ませた。〉
解説

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