長短経 / 時宜
羽曰、「將軍戮力而攻秦、久留不行、今嵗饑民貧、士卒半菽〔士卒食蔬菜、以菽雜之半。、〕軍無見粮。乃飲酒髙㑹、不引兵渡河、因趙食、與并力擊秦、乃曰、『承其弊夫以秦之强、攻新造之趙、其勢必舉趙。趙舉而秦强、何弊之承?且國兵新破、王不安席、埽境内而屬將軍。國家安危、在此一舉。今不恤士卒而狥私、非社稷臣也。」即夜入義帳中斬義。悉兵渡河、沉舟破釡、示士卒必死、無還心、大破秦軍。
新字:羽曰、「将軍戮力而攻秦、久留不行、今歳饑民貧、士卒半菽〔士卒食蔬菜、以菽雑之半。、〕軍無見粮。乃飲酒高会、不引兵渡河、因趙食、与并力撃秦、乃曰、『承其弊夫以秦之強、攻新造之趙、其勢必舉趙。趙舉而秦強、何弊之承?且国兵新破、王不安席、埽境内而属将軍。国家安危、在此一舉。今不恤士卒而狥私、非社稷臣也。」即夜入義帳中斬義。悉兵渡河、沈舟破釡、示士卒必死、無還心、大破秦軍。
書き下し
羽曰く「将に力を戮せて秦を攻めんとするに、久しく留まりて行かず。今歳は饑え民は貧しく、士卒は半菽〔士卒は蔬菜を食い、菽を以て之に雑うること半ばなり〕、軍に見糧無し。乃ち飲酒高会して、兵を引きて河を渡り、趙の食に因りて、与に力を并せて秦を撃たず。乃ち曰く『其の弊を承けん』と。夫れ秦の強きを以て、新造の趙を攻めば、其の勢い必ず趙を挙げん。趙挙がりて秦強ければ、何の弊か之れ承けん。且つ国兵新たに破れ、王は席に安んぜず、境内を埽いて将軍に属す。国家の安危は此の一挙に在り。今、士卒を恤えずして私に狥うは、社稷の臣に非ざるなり」と。即ち夜、義の帳中に入りて義を斬る。悉く兵もて河を渡り、舟を沈め釡を破り、士卒に必死にして還る心無きを示し、大いに秦軍を破る。
現代語訳
項羽は言った。「力を合わせて秦を攻めるはずなのに、長くとどまって進まない。今年は飢饉で民は貧しく、兵は豆を半分混ぜた野菜を食べ〔兵は野菜を食べ、豆を半分混ぜていた〕、軍には手元の兵糧がない。それなのに酒を飲んで盛大に宴を開き、兵を率いて河を渡り趙の食糧に頼って力を合わせて秦を撃とうとせず、『その疲れに乗じる』などと言う。秦の強さで、できたばかりの趙を攻めれば、形勢として必ず趙を取るだろう。趙が取られて秦が強くなれば、どんな疲れに乗じるというのか。しかも楚の兵は敗れたばかりで、王は席に安んじていられず、国中の兵をかき集めて将軍に預けた。国の安危はこの一挙にかかっている。いま兵を顧みず私情に従うのは、国家の臣ではない」。そしてその夜、宋義の幕舎に入って斬った。全軍で黄河を渡り、舟を沈め釜を壊して、兵に必死で帰る気はないことを示し、大いに秦軍を破った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』時宜初め、諸侯の秦に叛くや、秦の将軍章邯、趙王を鉅鹿に囲む。楚の懐王、項羽・宋義等をして北のかた趙を救わしむ。安陽に至り〔今の相州安陽県なり〕、留まりて進まず。羽、義に謂いて曰く「今、秦軍鉅鹿を囲む。疾く兵を引きて河を渡り、楚は其の外を撃ち、趙は其の内に応ぜば、秦軍を破ること必せり」と。宋義曰く「然らず。夫れ牛を搏つの虻は、以て蝨を破るべからず〔虻は秦に喩え、蝨は章邯に喩う。今兵を将いて方に秦を滅ぼさんと欲す、力を尽くして章邯と即ち戦うべからざるを喩うなり〕。今、秦は趙を攻む。戦い勝てば則ち兵罷れ、我は其の弊を承けん。勝たずんば、則ち我は兵を引き鼓行して西し、必ず義を挙げん。故に秦・趙を闘わしむるに如かず。夫れ軽鋭を撃つは、我は公に如かず。坐して籌策を運らすは、公は我に如かず」と。
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『長短経』時宜此れ勢いを異にする者なり。〔荀悦曰く「宋義の秦・趙の弊を待つは、卞荘の虎を刺す事と同じくして勢い異なるは、何ぞや。之を戦国の時に施し、隣国相攻めて、臨時の急無くんば、則ち可なり。戦国の立つや、其の来たること久し。一戦の勝敗も、未だ必ずしも以て亡びず。其の勢いは敵国を亡ぼすに急なること能わざるなり。進めば則ち利に乗じ、退けば則ち自ら保つ。故に力を畜え時を待ちて、弊を承くるは然り。今、楚・趙は新たに起こり、其の力は秦の勢いと並び立たず。安危の機、呼吸に変を成す。進めば則ち功を定め、退けば則ち禍を受く。此れ事同じくして勢い異なる者なり」と。〕
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『長短経』時宜夫れ事に趨同じくして勢い異なる者有り。事の詭なるに非ず、時の変なるのみ。何を以て其の然るを明らかにせん。昔、秦の末、陳渉蘄に起こり、民陳に至る。陳の豪傑、渉に説きて曰く「将軍は堅を披り鋭を執り、士卒を帥いて以て暴秦を誅し、復た楚の社稷を立つ。功徳宜しく王たるべし」と。陳渉、陳餘・張耳の両人に問う。両人対えて曰く「将軍は目を瞋らせ胆を張り、万死を出でて一生を顧みざるの計にして、天下の為に残賊を除く。今、始めて陳に至りて之に王たるは、天下に示すに私を以てす。願わくは将軍王たること無く、急ぎ兵を引きて進み、人を遣わして六国の後を立て、自ら為に党を樹てよ。此くの如くんば、野に交兵無く、暴秦を誅し、咸陽に拠りて、以て諸侯に令せば、則ち帝業成らん。今、独り陳に王たらば、恐らくは天下解けん」と。
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『長短経』時宜又た高祖、五諸侯の兵を劫かして、彭城に入る。項羽之を聞き、乃ち兵を引きて斉を去り、漢と睢水の上に大いに戦い、大いに漢軍を破り、多く士卒を殺す。睢水為に流れず。此れ情を異にする者なり。〔荀悦曰く「趙を伐つの役、韓信は泜水に軍して、趙は敗ること能わず。何ぞや。彭城の難、漢王は睢水の上に戦い、士卒は睢水に赴き入りて楚兵大いに勝つ。何ぞや。趙兵は国を出でて能く可を見て進み、難を知りて退き、深く内顧の心を懐き、必死の計を為さず。韓信は孤軍にて水上に立ち、必死の計有りて、生の慮り無し。此れ信の勝つ所以なり。漢王は敵を制して国に入り、飲酒高会し、士衆は逸豫し、戦心同じからず。楚は強大の威を以て、其の国都を喪い、項羽は外より入り、士卒皆憤激の心有り、敗を救い亡に赴き、以て一旦の命を決す。此れ漢の敗るる所以なり。且つ韓信は精兵を選びて以て守り、而して趙は内顧の士を以て之を攻む。項羽は精兵を選びて以て漢を攻め、而して漢王は懈怠の卒を以て之に応ず。此れ事同じくして情異なる者なり」と。故に曰く、権は預め設くべからず、変は先に図るべからず。時と与に遷移し、物に応じて変化するは、計策の機なり。〕
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史記 項羽本紀項羽乃ち悉く兵を引きて河を渡り、皆船を沈め、釜甑を破り、廬舍を焼き、三日の糧を持し、以て士卒に必死にして、一も還る心無きを示す。是に於て至れば則ち王離を囲み、秦軍と遇ひ、九たび戦ひ、大いに之を破る。当是時、楚兵諸侯に冠たり。楚の戦士一以て十に当たらざる無く、楚兵の呼声天を動かし、諸侯の軍人人惴恐せざる無し。已に秦軍を破り、項羽諸侯の将を召見するに、轅門に入るに、膝行して前まざる無く、敢へて仰ぎ視る莫し。
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『長短経』覇図王曰く「先生、何を以て之を知る」と。酈生曰く「漢王と項羽と、力を戮せて西に向かい秦を撃つ。約すらく、先ず咸陽に入る者は之に王たらん、と。漢王先ず咸陽に入るも、項王、約に負きて与えず、而して之を漢中に王たらしむ。項羽、義帝を遷して殺す。漢王之を聞き、蜀漢の兵を起こし、三秦を撃ち、武関を出でて、義帝の処を責め、天下の兵を収め、諸侯の後を立つ。城を降せば即ち以て其の将を侯とし、賂を得れば即ち以て其の士に分かち、天下と其の利を同じくす。英豪賢士、皆な楽しみて之が用と為る。諸侯の兵、四面より至り、蜀漢の粟、万船にして下る。項王には約に背くの名、義帝を殺すの罪有り。人の功に於ては記す所無く、人の罪に於ては心に忘れず。戦い勝ちて其の賞を得ず、城を抜きて其の封を得ず。項氏に非ざれば、能く事を用うる莫し。人の為に印を刻みて、授くる能わず。城を攻めて賂を得るも、財を積みて賞する能わず。天下之に叛き、賢才之を怨みて、用を為す莫し。故に天下の士、漢王に帰すること、坐して策す可きなり。