長短経 / 反経
由是觀之、善人不得聖人之道不立、盜跖不得聖人之道不行。天下之善人少、而不善人多、則聖人之利天下也少、而害天下也多矣。〔反仁義也。議曰、昔仲由為郡宰、季氏以五月起長溝。當此之時、子路以其私秩粟為漿飯、以餉溝者。孔子聞之、使子貢徃覆其飯、擊毁其噐子路曰、“夫子嫉由之為仁義乎?”孔子曰、“夫禮、天子愛天下、諸侯愛境内、大夫愛官職、士愛其家。過其所愛、是曰侵官。”漢武時、河間獻王來朝、造次、必於仁義。武帝色然難之、謂曰、“湯以七十里、文王以百里、王其勉之!”王知其意、歸即縱酒。由是言之、夫仁兼濟、必有分乃可。故尸子》曰、“君臣父子、上下長幼、貴賤親踈、皆得其分曰理、愛得分曰仁、施得分曰義、慮得分曰智、動得分曰適、言得分曰信、皆得其分而後為成人。”由是言之、跖徒之仁義、非其分矣。〕
新字:由是観之、善人不得聖人之道不立、盗跖不得聖人之道不行。天下之善人少、而不善人多、則聖人之利天下也少、而害天下也多矣。〔反仁義也。議曰、昔仲由為郡宰、季氏以五月起長溝。当此之時、子路以其私秩粟為漿飯、以餉溝者。孔子聞之、使子貢往覆其飯、撃毀其噐子路曰、“夫子嫉由之為仁義乎?”孔子曰、“夫礼、天子愛天下、諸侯愛境内、大夫愛官職、士愛其家。過其所愛、是曰侵官。”漢武時、河間献王来朝、造次、必於仁義。武帝色然難之、謂曰、“湯以七十里、文王以百里、王其勉之!”王知其意、帰即縦酒。由是言之、夫仁兼済、必有分乃可。故尸子》曰、“君臣父子、上下長幼、貴賤親疎、皆得其分曰理、愛得分曰仁、施得分曰義、慮得分曰智、動得分曰適、言得分曰信、皆得其分而後為成人。”由是言之、跖徒之仁義、非其分矣。〕
書き下し
是に由りて之を観れば、善人は聖人の道を得ざれば立たず、盗跖は聖人の道を得ざれば行われず。天下の善人は少なくして、不善人は多し。則ち聖人の天下を利するや少なくして、天下を害するや多し。〔仁義に反するなり。議に曰く、昔、仲由、郡宰と為る。季氏、五月を以て長溝を起こす。此の時に当たり、子路は其の私秩の粟を以て漿飯と為し、以て溝する者に餉る。孔子之を聞き、子貢をして往きて其の飯を覆し、其の器を撃毀せしむ。子路曰く「夫子は由の仁義を為すを嫉むか」と。孔子曰く「夫れ礼は、天子は天下を愛し、諸侯は境内を愛し、大夫は官職を愛し、士は其の家を愛す。其の愛する所を過ぐる、是れを侵官と曰う」と。漢の武の時、河間献王来朝す。造次にも必ず仁義に於てす。武帝色然として之を難んじ、謂いて曰く「湯は七十里を以てし、文王は百里を以てす。王其れ之に勉めよ」と。王、其の意を知り、帰りて即ち酒を縦にす。是に由りて之を言えば、夫れ仁の兼済は、必ず分有りて乃ち可なり。故に尸子に曰く「君臣父子、上下長幼、貴賤親疎、皆な其の分を得るを理と曰う。愛の分を得るを仁と曰い、施の分を得るを義と曰い、慮の分を得るを智と曰い、動の分を得るを適と曰い、言の分を得るを信と曰う。皆な其の分を得て而る後に成人と為る」と。是に由りて之を言えば、跖の徒の仁義は、其の分に非ざるなり。〕
現代語訳
ここから見れば、善人は聖人の道を得なければ立たず、盗跖も聖人の道を得なければ行えない。天下に善人は少なく不善人は多い。とすれば聖人が天下を利することは少なく、天下を害することのほうが多い。〔仁義に反する場合である。議していう。昔、子路が郡の長官であった。季氏が五月に長い溝を掘らせた。このとき子路は自分の俸禄の粟で粥と飯を作り、工事の者に振る舞った。孔子はこれを聞いて、子貢を遣ってその飯をひっくり返し、器を打ち壊させた。子路は「先生は私が仁義を行うのを憎まれるのですか」と言った。孔子は言った。「礼というものは、天子は天下を愛し、諸侯は領内を愛し、大夫は官職を愛し、士は自分の家を愛する。愛すべき範囲を越えること、これを職分の侵犯という」。漢の武帝の時、河間献王が来朝した。とっさの場合でも必ず仁義に則っていた。武帝は顔色を変えてこれを難じ、「湯王は七十里、文王は百里から起こった。王よ、励まれよ」と言った。王はその意を知り、帰ってすぐ酒に溺れた。ここから言えば、仁が広く救うには、必ず分があってはじめて成り立つ。だから尸子にこうある。「君臣父子、上下長幼、貴賤親疎、みなその分を得ることを理という。愛が分を得るのを仁といい、施しが分を得るのを義といい、思慮が分を得るのを智といい、動きが分を得るのを適といい、言葉が分を得るのを信という。みなその分を得てはじめて一人前である」。ここから言えば、盗跖の一味の仁義は、その分ではない。〕
解説
この章句が説くこと
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孔子家語・致思子路孔子に見えて曰わく、「重きを負い遠きを渉るには、地を択ばずして休み、家貧しく親老いては、禄を択ばずして仕う。昔者由や、二親に事うるの時、常に藜藿の実を食らい、親の為に米を負うこと百里の外にす。親歿するの後、南のかた楚に遊ぶ。従車百乗、粟を積むこと万鐘、茵を累ねて坐し、鼎を列ねて食らう。藜藿を食らい、親の為に米を負わんと願欲すれども、復た得可からざるなり。枯魚索に銜まるるは、幾何ぞ蠹せざらん。二親の寿は、忽として隙を過ぐるが若し。」 孔子曰わく、「由や親に事うるは、生きては事えて力を尽くし、死しては事えて思いを尽くす者と謂う可し。」
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孔子家語・致思子路蒲の宰と為る。水備を為し、其の民と溝瀆を修む。民の労煩苦しむを以て、人に一簞の食、一壺の漿を与う。孔子之を聞き、子貢をして之を止めしむ。 子路忿りて悦ばず、孔子に見えて曰わく、「由や暴雨将に至らんとするを以て、水災有らんことを恐れ、故に民と溝洫を修めて以て之に備う。而して民に匱餓する者多し、是を以て簞食壺漿もて之に与う。夫子賜をして之を止めしむ、是れ夫子由の仁を行うを止むるなり。夫子仁を以て教えて其の行いを禁ず、由受けざるなり。」 孔子曰わく、「汝民を以て餓うと為さば、何ぞ君に白して倉廩を発きて以て之を賑わさざる。而して私に爾の食を以て之に饋る、是れ汝君の恵無きを明らかにし、而して己の徳の美を見わすなり。汝速やかに已めば則ち可なり、然らずんば則ち汝の罪せらるること必せり。」
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論語・雍也篇季康子問う、「仲由は政に従わしむ可きか。」子曰く、「由や果、政に従うに於いて何か有らん。」曰く、「賜は政に従わしむ可きか。」曰く、「賜や達、政に従うに於いて何か有らん。」曰く、「求は政に従わしむ可きか。」曰く、「求や芸、政に従うに於いて何か有らん。」
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孔子家語・致思子路蒲を治め、見えんことを孔子に請いて曰わく、「由夫子に教えを受けんことを願う。」 子曰わく、「蒲は其れ如何。」 対えて曰わく、「邑壮士多く、又治め難きなり。」 子曰わく、「然り、吾爾に語らん。恭にして敬なれば、以て勇を攝む可し。寛にして正しければ、以て強を懐く可し。愛にして恕なれば、以て困を容る可し。温にして断なれば、以て奸を抑う可し。此くの如くにして之に加うれば、則ち正すこと難からず。」