長短経 / 徳表
普博周洽、崇在覆裕、失在溷濁〔𢎞普之人、意愛周洽、不戒其交之溷雜、而以介為狷、廣其濁。是故、可與撫衆、難與厲俗也。、〕清介㢘潔、節在儉固、失在拘局〔狷介之人、□清激、濁不戒其道之隘狹、而以普為穢、益其拘。是故、可與守節、難與變通也。、〕休動磊砢業在攀躋、失在疏越〔休動之人、志慕超越、不戒其意之太猥、而以静為滯、果其銳。是故、可與進趨、難與持後也。、〕
新字:普博周洽、崇在覆裕、失在溷濁〔弘普之人、意愛周洽、不戒其交之溷雑、而以介為狷、広其濁。是故、可与撫衆、難与厲俗也。、〕清介廉潔、節在倹固、失在拘局〔狷介之人、□清激、濁不戒其道之隘狭、而以普為穢、益其拘。是故、可与守節、難与変通也。、〕休動磊砢業在攀躋、失在疏越〔休動之人、志慕超越、不戒其意之太猥、而以静為滞、果其鋭。是故、可与進趨、難与持後也。、〕
書き下し
普博周洽は、崇は覆裕に在り、失は溷濁に在り。〔弘普の人は、意愛周洽なり。其の交わりの溷雑を戒めずして、介を以て狷と為し、其の濁を広くす。是の故に、与に衆を撫す可くして、与に俗を厲まし難きなり。〕清介廉潔は、節は倹固に在り、失は拘局に在り。〔狷介の人は、清激にして濁らず。其の道の隘狭を戒めずして、普を以て穢と為し、其の拘を益す。是の故に、与に節を守る可くして、与に変通し難きなり。〕休動磊砢は、業は攀躋に在り、失は疏越に在り。〔休動の人は、志は超越を慕う。其の意の太だ猥なるを戒めずして、静を以て滞と為し、其の鋭を果たす。是の故に、与に進趨す可くして、与に後を持し難きなり。〕
現代語訳
広く行き渡り交わる型は、尊いところは覆い包む豊かさにあり、欠点は濁り混じることにある。〔広く行き渡る人は、心づかいが隅々まで及ぶ。交わりが雑になることを戒めず、身を持することを頑なとみなし、濁りを広げる。だから、ともに人々をなだめることはできても、ともに世の風を正すことは難しい。〕清く身を持し廉潔な型は、節は倹しく固いことにあり、欠点は狭く縛られることにある。〔身を持する人は、清くきびしくて濁らない。自分の道が狭いことを戒めず、広く交わることを汚れとみなし、縛りを強める。だから、ともに節を守ることはできても、ともに融通をきかせることは難しい。〕勢いよく動き際立つ型は、業績は登り詰めることにあり、欠点は粗くなることにある。〔活動的な人は、志が飛び越えることを慕う。自分の思いが粗雑になることを戒めず、静かさを停滞とみなし、鋭さを押し通す。だから、ともに進み走ることはできても、ともに後ろに控えることは難しい。〕
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・雍也篇冉求曰く、「子の道を説ばざるに非ず、力足らざるなり。」子曰く、「力足らざる者は、中道にして廃す。今女は画れり。」
-
『墨子』尚同下天子、其の知力を以て未だ獨り天下を治むるに足らずと為す。是を以て其の次を選擇し、立てて三公と為す。三公も又た其の知力を以て未だ獨り天子を左右するに足らずと為す。是を以て國を分かちて諸侯を建つ。諸侯も又た其の知力を以て未だ獨り其の四境の内を治むるに足らずと為す。是を以て其の次を選擇し、立てて卿の宰と為す。卿の宰も又た其の知力を以て未だ獨り其の君を左右するに足らずと為す。是を以て其の次を選擇し、立てて鄉長家君と為す。是の故に古者、天子の三公・諸侯・卿の宰・鄉長家君を立つるは、特に富貴游佚にして之を擇ぶに非ざるなり。將に亂を治め刑政するを助けしめんとするなり。故に古者、國を建て都を設け、乃ち后王君公を立て、奉ずるに卿士師長を以てするは、此れ説を用いんと欲するに非ず。唯だ辯じて天民を治むるを助けしむるなり。
-
『茶の本』第五章 芸術鑑賞・万有の中に自分の姿を見るしかしながら、美術の価値はただそれがわれわれに語る程度によるものであることを忘れてはならない。その言葉は、もしわれわれの同情が普遍的であったならば、普遍的なものであるかもしれない。が、われわれの限定せられた性質、代々相伝の本性はもちろんのこと、慣例、因襲の力は、美術鑑賞力の範囲を制限するものである。われらの個性さえも、ある意味においてわれわれの理解力に制限を設けるものである。そして、われらの審美的個性は、過去の創作品のなかに自己の類縁を求める。もっとも、修養によって美術鑑賞力は増大するものであって、われわれはこれまでは認められなかった多くの美の表現を味わうことができるようになるものである。が、畢竟するところ、われわれは万有のなかに自分の姿を見るに過ぎないのである。すなわち、われら特有の性質がわれらの理解方式を定めるのである。茶人たちは全く各人個々の鑑賞力の及ぶ範囲内の物のみを収集した。
-
『墨子』魯問魯の南鄙の人に吳慮なる者有り。冬は陶し夏は耕して、自ら舜に比す。子墨子、聞きて之に見ゆ。吳慮、子墨子に謂う、「義のみ、義のみ。焉んぞ之を言うを用いんや」と。子墨子曰く、「子の所謂る義なる者は、亦た力有りて以て人を勞し、財有りて以て人に分かつか」と。吳慮曰く、「有り」と。子墨子曰く、「翟、嘗て之を計れり。翟、耕して天下の人に食わしめんことを慮る。盛んにして、然る後に一農の耕に當たる。諸を天下に分かたば、人ごとに一升の粟をも得る能わず。藉りて以て一升の粟を得と為すも、其の天下の饑を飽かしむる能わざるは、既に睹る可し。
-
『後世への最大遺物』第二回・誰でも文学者になれるわけではないそう申しますと、またこういう問題が出てきます。われわれは金を溜めることができず、また事業をなすことができない。それからまた、それならばといって、あなたがたがみな文学者になったらば、たぶん活版屋では喜ぶかもしれませぬけれども、社会では喜ばない。文学者の世の中にふえるということは、ただ活版屋と紙製造所を喜ばすだけで、あまり社会に益をなさないかも知れない。ゆえに、もしわれわれが文学者となることができず、またなる考えもなし、バンヤンのような思想を持っておっても、バンヤンのように綴ることができないときには、別に後世への遺物はないかという問題が起る。それは私にもたびたび起った問題であります。なるほど文学者になることは、私が前に述べましたとおりやさしいこととは思いますけれども、しかし誰でも文学者になるということは、実は望むべからざることであります。
-
『学問のすゝめ』四編・学者の職分を論ず・一国の文明は政府の力のみにて進まず政府一新の時より在官の人物、力を尽くさざるにあらず、その才力また拙劣なるにあらずといえども、事を行なうに当たり如何ともすべからざるの原因ありて、意のごとくならざるもの多し。その原因とは、人民の無知文盲すなわちこれなり。政府すでにその原因のあるところを知り、しきりに学術を勧め、法律を議し、商法を立つるの道を示す等、あるいは人民に説諭し、あるいはみずから先例を示し、百方その術を尽くすといえども、今日に至るまでいまだ実効の挙がるを見ず、政府は依然たる専制の政府、人民は依然たる無気無力の愚民のみ。あるいはわずかに進歩せしことあるも、これがため労するところの力と費やすところの金とに比すれば、その奏功見るに足るもの少なきはなんぞや。けだし一国の文明は、ひとり政府の力をもって進むべきものにあらざるなり。