長短経 / 三国権
〔岑彭為蜀刺客所殺、吴漢幷将其軍、入犍為界、諸縣皆城守。漢乃進軍攻廣都、㧞之、遣輕騎燒成都、市橋、陽武以東諸小城皆降。光武戒漢曰、「成都十萬衆、不可輕也。但堅據廣都、待其来攻、勿與争鋒。若不敢来攻、轉營廹之、須其力疲、乃可擊也。」
新字:〔岑彭為蜀刺客所殺、呉漢幷将其軍、入犍為界、諸県皆城守。漢乃進軍攻広都、抜之、遣軽騎焼成都、市橋、陽武以東諸小城皆降。光武戒漢曰、「成都十万衆、不可軽也。但堅拠広都、待其来攻、勿与争鋒。若不敢来攻、転営迫之、須其力疲、乃可撃也。」
書き下し
〔岑彭、蜀の刺客の殺す所と為る。呉漢、其の軍を并せ将いて、犍為の界に入る。諸県皆城守す。漢乃ち軍を進めて広都を攻め、之を抜く。軽騎を遣わして成都の市橋を焼かしむ。陽武以東の諸小城皆降る。光武、漢を戒めて曰く「成都は十万の衆、軽んずべからざるなり。但だ堅く広都に拠りて、其の来たり攻むるを待ち、与に鋒を争うこと勿かれ。若し敢えて来たり攻めずんば、営を転じて之に迫り、其の力の疲るるを須ちて、乃ち撃つべきなり」と。
現代語訳
〔岑彭は蜀の刺客に殺された。呉漢はその軍を併せて率い、犍為の境に入った。諸県は皆城を固めて守った。呉漢は軍を進めて広都を攻め落とし、軽騎兵を送って成都の市橋を焼かせた。陽武より東の小さな城は皆降伏した。光武帝は呉漢を戒めて言った。「成都には十万の兵がいる。軽んじてはならない。ひたすら広都に固く拠って、敵が攻めてくるのを待ち、正面から争ってはならない。もし攻めてこなければ、陣を移して迫り、敵の力が疲れるのを待ってから撃て」。
解説
都を目前にした将軍に、光武帝は遠くから慎重さを求めます。成都にはまだ十万の兵がいる。こちらから攻めず、拠点を固めて相手に攻めさせよ。来なければ少しずつ迫り、疲れるのを待て。勝ちが見えてきたときこそ、敵の残りの力を正しく数えなければならないという戒めです。勢いに乗った現場は、最後の一押しで無理をしがちです。遠くにいる者の冷静さが、ここで効いてきます。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
三国権光武帝呉漢慎重持久成都
関連する章句
-
『酔古堂剣掃』集法・拙く初めに戒む其の巧みに末に持せんよりは、拙く初めに戒むるに若かず。
-
尉繚子・十二陵慎は小を畏るるに在り、智は大を治むるに在り、害を除くは敢断に在り、
-
『囲炉夜話』第六十八則・好事の人は必ず曉事の人に非ず古今の為す有るの士は、皆な輕がろしく為さざるの士なり。鄉黨の事を好むの人は、必ず事に曉るの人に非ず。
-
論語・為政篇子張禄を干(もと)むを学ぶ。子曰く、多く聞いて疑わしきを闕(か)き、其の余を慎言すれば、則ち尤(とがめ)寡なし。多く見て殆(あやう)きを闕き、其の余を慎行すれば、則ち悔寡なし。言に尤寡なく、行に悔寡なければ、禄は其の中に在り。
-
『武家家訓集』武田信繁家訓九十九箇条「第28〜30条」一、深く知晉たりと雖も、人前に於いて妄りに雜談すべからざる事。語に云ふ、三たび思ひて一たび言ひ、九たび思ひて一たび行ふ、と。 一、參禪嗜むべき事。語に曰く、參禪に別に秘決無し、唯だ生死を思ふこと切なり、と。 一、何れの時にも歸宿の時は、先へ使者を遣はすべし。自然留守番衆の行儀等油斷の砌、折檻閣き難く、又細事を以て礼明すれば、際限無からんか。云ふ、敎へずして殺す、之を逆と云ふ、と。
-
『格言聯璧』持躬類・難久の友は交はること休かれ酬い難きの恩は受くること休かれ、久しくし難きの友は交はること休かれ。 再びし難きの時は失ふこと休かれ、守り難きの財は積むこと休かれ。 雪ぎ難きの謗りは辯ずること休かれ、釋き難きの忿りは較ぶること休かれ。 飯は嚼まずして便ち咽むこと休かれ、路は看ずして便ち走ること休かれ、話は想はずして便ち說くこと休かれ、事は想はずして便ち做すこと休かれ、衣は慎まずして便ち脫ぐを要せず、財は審かにせずして便ち取ること休かれ、氣は忍ばずして便ち動くこと休かれ、友は擇ばずして便ち交はること休かれ。