長短経 / 三国権
温至蜀、詣闕拜章曰、「昔髙宗以諒闇昌殷祚於中興、成王以㓜冲隆周徳於太平。今陛下以聪明之姿、等契徃古、總百揆於良佐、參列精之炳耀、遐邇望風、莫不忻頼吴國勤任旅力、清澄江滸、願與有道平一宇内、委心協規、有如河水。使下臣温通致情好。陛下敦崇禮義、不便耻忽。臣自入逺境、及即近郊、頻蒙勞来、以榮自懼。」
新字:温至蜀、詣闕拝章曰、「昔高宗以諒闇昌殷祚於中興、成王以幼沖隆周徳於太平。今陛下以聪明之姿、等契往古、総百揆於良佐、参列精之炳耀、遐邇望風、莫不忻頼呉国勤任旅力、清澄江滸、願与有道平一宇内、委心協規、有如河水。使下臣温通致情好。陛下敦崇礼義、不便耻忽。臣自入遠境、及即近郊、頻蒙労来、以栄自懼。」
書き下し
温、蜀に至り、闕に詣りて章を拝して曰く「昔、高宗は諒闇を以て殷の祚を中興に昌んにし、成王は幼沖を以て周の徳を太平に隆んにす。今、陛下は聡明の姿を以て、往古に等契し、百揆を良佐に総べ、列精の炳耀に参ず。遐邇風を望み、忻頼せざるは莫し。呉国は勤めて旅力を任じ、江滸を清澄し、有道と与に宇内を平一せんことを願う。心を委ね規を協わせ、河水の如き有り。下臣温をして情好を通致せしむ。陛下、礼義を敦崇し、恥忽を便とせず。臣、遠境に入りしより、近郊に即くに及ぶまで、頻りに労来を蒙り、栄を以て自ら懼る」と。
現代語訳
張温は蜀に着き、宮門に参って上表文を奉った。「昔、殷の高宗は喪に服しながら殷の天運を中興させ、周の成王は幼くして周の徳を太平に高めました。いま陛下は聡明な資質で古の聖王に並び、政務を優れた補佐に任せ、星々の輝きにも比すべき賢臣を並べておられます。遠くも近くも風を仰ぎ、喜び頼まない者はありません。呉の国は力を尽くして長江のほとりを清め、道のある方とともに天下を平らげ一つにしたいと願っています。心を委ねて計を合わせることは、黄河の水にかけて誓うほど固いものです。私温に、友好の気持ちを伝えさせました。陛下は礼儀を重んじ、軽んじることをなさいません。私は遠い国境に入ってから都の近郊に至るまで、たびたびねぎらいを受け、光栄のあまり恐縮しております」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
説苑・奉使齊魯を攻む。子貢哀公に見え、吳に救いを求めんことを請う。公曰く、「奚ぞ先君の寶を用いんや。」子貢曰く、「吳をして寶を責めて我に師を與えしむれば、是れ恃むべからざるなり。」是に於て楊幹麻筋の弓六を以て往く。子貢吳王に謂いて曰く、「齊無道を爲し、周公の後をして血食せざらしめんと欲す。且つ魯の賦五百、邾の賦三百なり。識らず此を以て齊を益せば、吳の利ならんか、非ならんか。」吳王懼れ、乃ち師を興して魯を救う。諸侯曰く、「齊周公の後を伐つに、吳之を救う。」遂に吳に朝す。
-
『墨子』魯問魯君、子墨子に謂いて曰く、「吾れ齊の吾を攻めんことを恐る。救う可きか」と。子墨子曰く、「可なり。昔者、三代の聖王、禹・湯・文・武は、百里の諸侯なり。忠を説き義を行いて、天下を取る。三代の暴王、桀・紂・幽・厲は、讐怨し暴を行いて、天下を失う。吾れ願わくは主君の、上は天を尊び鬼に事え、下は百姓を愛し利し、厚く皮幣を為り、辭令を卑くし、函く徧く四隣の諸侯を禮し、國を敺りて以て齊に事えんことを。患い救う可きなり。願うに非ざれば為す可き者無し」と。
-
『学問のすゝめ』初編・国の分限を知らずしかるを支那人などのごとく、わが国よりほかに国なきごとく、外国の人を見ればひとくちに夷狄夷狄と唱え、四足にてあるく畜類のようにこれを賤しめこれを嫌い、自国の力をも計らずしてみだりに外国人を追い払わんとし、かえってその夷狄に窘しめらるるなどの始末は、実に国の分限を知らず、一人の身の上にて言えば天然の自由を達せずしてわがまま放蕩に陥る者と言うべし。王制ひとたび新たなりしより以来、わが日本の政風大いに改まり、外は万国の公法をもって外国に交わり、内は人民に自由独立の趣旨を示し、すでに平民へ苗字・乗馬を許せしがごときは開闢以来の一美事、士農工商四民の位を一様にするの基ここに定まりたりと言うべきなり。
-
孫子・謀攻篇故に上兵は謀を伐つ。その次は交を伐つ。その次は兵を伐つ。その下は城を攻む。
-
説苑・奉使蔡師強・王堅をして楚に使いせしむ。楚王之を聞きて曰く、「人の名章章たる者多し、獨り師強王堅と爲すか。」趣かに之に見えんとし、次を以てせず、其の人の狀を視るに、其の名を疑いて其の聲を醜しとし、又た其の形を惡む。楚王大いに怒りて曰く、「今蔡人無きか。國伐つべきなり。人有りて遣わさざるか。國伐つべきなり。端に此を以て寡人を誡むるか。國伐つべきなり。」故に二使を發するに、三たび伐たんと謀る者を見る、蔡なり。
-
戦国策・齊攻宋宋使臧子索救於荊斉、宋を攻む。宋、臧子をして救いを荊に索めしむ。荊王大いに説び、救うことを許すこと甚だ勧む。臧子憂えて反る。其の御曰く、「救いを索めて得たり、憂色有るは何ぞや」と。臧子曰く、「宋は小にして斉は大なり。夫れ小宋を救いて大斉に悪まるるは、此れ王の憂うる所なり。而るに荊王説ぶこと甚だし。必ず以て我を堅くせん。我堅くして斉弊るれば、荊の利なり」と。臧子乃ち帰る。斉王果たして攻め、宋の五城を抜くも、荊王至らず。