長短経 / 覇図
梁髙祖武皇帝名衍、姓蕭氏、為巴陵王法曹、後為竟陵王子良八友〔初、皇考之薨、不得志、及至鬱林失徳、齊明帝作輔、將為廢立計、常欲助齊明、傾齊武之嗣、以雪心恥。齊明亦知之、毎與帝謀。時齊明將追隨王、恐不從。又以王敬則在㑹稽、恐為變。以問帝、帝曰、「隨王雖有美名、其實庸劣、既無智謀之士、爪牙唯仗司馬垣歴生、武陵太守卞白龍耳。此並唯利是為。若㗖以顯職、無不載馳。隨王止須折簡耳。敬則志安江東、窮其富貴、宜選美女以娱其心。」齊明曰、「吾意也。」果如其䇿。〕
新字:梁高祖武皇帝名衍、姓蕭氏、為巴陵王法曹、後為竟陵王子良八友〔初、皇考之薨、不得志、及至鬱林失徳、斉明帝作輔、将為廃立計、常欲助斉明、傾斉武之嗣、以雪心恥。斉明亦知之、毎与帝謀。時斉明将追随王、恐不従。又以王敬則在会稽、恐為変。以問帝、帝曰、「随王雖有美名、其実庸劣、既無智謀之士、爪牙唯仗司馬垣歴生、武陵太守卞白竜耳。此並唯利是為。若㗖以顕職、無不載馳。随王止須折簡耳。敬則志安江東、窮其富貴、宜選美女以娱其心。」斉明曰、「吾意也。」果如其策。〕
書き下し
梁の高祖武皇帝、名は衍、姓は蕭氏。巴陵王の法曹と為り、後に竟陵王子良の八友と為る。〈初め、皇考の薨ずるや、志を得ず。鬱林の徳を失うに及び、斉の明帝、輔と作り、将に廃立の計を為さんとす。常に斉明を助け、斉武の嗣を傾け、以て心恥を雪がんと欲す。斉明も亦た之を知り、毎に帝と謀る。時に斉明、将に随王を追わんとするも、従わざるを恐る。又た王敬則の会稽に在るを以て、変を為さんことを恐る。以て帝に問う。帝曰く「随王は美名有りと雖も、其の実は庸劣なり。既に智謀の士無く、爪牙は唯だ司馬垣歴生・武陵太守卞白龍を仗むのみ。此れ並びに唯だ利のみ是れ為す。若し啖わすに顕職を以てせば、載馳せざる無し。随王は止だ折簡を須つのみ。敬則は志、江東に安んじ、其の富貴を窮む。宜しく美女を選びて以て其の心を娯しましむべし」と。斉明曰く「吾が意なり」と。果たして其の策の如し。〉
現代語訳
梁の高祖武皇帝は名を衍、姓を蕭氏という。巴陵王の法曹となり、後に竟陵王子良の八友となった。〈はじめ、父が薨じたとき、志を得なかった。鬱林王が徳を失うと、斉の明帝が輔政となり、廃立を計画しようとした。蕭衍はいつも斉明を助けて斉の武帝の後継を傾け、心の恥をすすぎたいと思っていた。斉明もそれを知って、いつも蕭衍と謀った。当時、斉明は随王を召し返そうとしたが、従わないことを恐れた。また王敬則が会稽にいるので変事を起こすことを恐れた。そこで蕭衍に尋ねた。蕭衍は言った。「随王には美名がありますが、実際は凡庸です。知謀の士もおらず、手足として頼るのは司馬垣歴生と武陵太守卞白龍だけ。この二人はただ利だけで動く。目立つ官職を餌にすれば、駆けつけないことはない。随王には短い書状一つで足ります。王敬則は志が江東に安んじて富貴を極めている。美女を選んでその心を楽しませるべきです」。斉明は「私の考えと同じだ」と言った。果たしてその策のとおりになった。〉
解説

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