長短経 / 三国権
〔先主之奔吴也、論者以孫權必殺之。程昱料曰、「曹公無敵於天下、初舉荆州、威震江東。權雖有謀、不能獨當也。劉備、英雄也、闗羽、張飛皆萬人之敵、權必資以禦於我、難解勢分、備資以成、不可得殺也。」權果多與備兵、以禦太祖。時益州刺吏劉璋聞曹公征荆州、遣别駕張松詣曹公、曹公時已定荆州、走先主。曹公不存録松、松勸璋自絶。習鑿齒曰、「昔齊桓一矜其功、而叛者九國、曹操漸自驕伐、而天下三分。皆勤之於數十年之内、弃之於俯仰之頃、豈不惜乎?是以君子勞謙日昃、慮以下人、功髙而居之以讓、勢尊而守之以卑、夫然後能有其富貴、保其功業、傳福百代、何驕矜之有哉?君子是以知曹操之不能遂兼天下也。」〕
新字:〔先主之奔呉也、論者以孫権必殺之。程昱料曰、「曹公無敵於天下、初舉荆州、威震江東。権雖有謀、不能独当也。劉備、英雄也、関羽、張飛皆万人之敵、権必資以禦於我、難解勢分、備資以成、不可得殺也。」権果多与備兵、以禦太祖。時益州刺吏劉璋聞曹公征荆州、遣別駕張松詣曹公、曹公時已定荆州、走先主。曹公不存録松、松勧璋自絶。習鑿歯曰、「昔斉桓一矜其功、而叛者九国、曹操漸自驕伐、而天下三分。皆勤之於数十年之内、弃之於俯仰之頃、豈不惜乎?是以君子労謙日昃、慮以下人、功高而居之以譲、勢尊而守之以卑、夫然後能有其富貴、保其功業、伝福百代、何驕矜之有哉?君子是以知曹操之不能遂兼天下也。」〕
書き下し
〔先主の呉に奔るや、論者以為えらく、孫権必ず之を殺さんと。程昱料りて曰く「曹公は天下に敵無く、初めて荊州を挙げ、威は江東に震う。権は謀有りと雖も、独り当たること能わず。劉備は英雄なり。関羽・張飛は皆万人の敵なり。権必ず資りて以て我を禦がん。難解け勢分かれば、備は資りて以て成らん。殺すを得べからざるなり」と。権果たして多く備に兵を与え、以て太祖を禦ぐ。時に益州刺史劉璋、曹公の荊州を征するを聞き、別駕張松を遣わして曹公に詣らしむ。曹公時に已に荊州を定め、先主を走らす。曹公、松を存録せず。松、璋に勧めて自ら絶たしむ。習鑿齒曰く「昔、斉桓は一たび其の功を矜りて、叛く者九国。曹操は漸く自ら驕伐して、天下三分す。皆之を数十年の内に勤め、之を俯仰の頃に弃つ。豈に惜しからずや。是を以て君子は労謙して日昃し、慮りて以て人に下り、功高くして之に居るに譲を以てし、勢尊くして之を守るに卑を以てす。夫れ然る後に能く其の富貴を有ち、其の功業を保ち、福を百代に伝う。何の驕矜か之れ有らんや。君子是を以て曹操の遂に天下を兼ぬること能わざるを知るなり」と。〕
現代語訳
〔劉備が呉へ逃れたとき、論者は孫権が必ず劉備を殺すだろうと言った。程昱は見通して言った。「曹公は天下に敵なく、荊州を取ったばかりで、威は江東を震わせています。孫権は謀略があっても、一人では立ち向かえません。劉備は英雄で、関羽・張飛はともに一人で万人に当たる勇者です。孫権は必ず劉備を頼って我々を防ごうとするでしょう。危機が解けて勢力が分かれれば、劉備はそれを元手に成り上がる。殺されることはありません」。孫権は果たして劉備に多くの兵を与え、曹操を防いだ。そのころ益州の劉璋は、曹操が荊州を征したと聞いて、別駕の張松を曹操のもとへ遣わした。曹操はすでに荊州を平定し劉備を追い払ったあとで、張松を丁重に扱わなかった。張松は劉璋に曹操と縁を切るよう勧めた。習鑿齒は言う。「昔、斉の桓公は一度功を誇っただけで九か国が背いた。曹操はしだいに驕って功を誇り、天下は三つに分かれた。どちらも数十年かけて築いたものを、うつむいて顔を上げるほどの間に捨ててしまった。惜しいことではないか。だから君子は日が傾くまで勤めてへりくだり、人の下に立つことを考え、功が高くても譲る姿勢でそこに居り、勢いが尊くても低い姿勢で守る。そうして初めて富貴を保ち、功業を守り、福を百代に伝えられる。驕りなど入る余地があろうか。君子はこれによって、曹操がついに天下を併せられなかった理由を知るのである」。〕
解説

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