長短経 / 七雄略
伊闕之戰、韓顧魏、不欲先用其衆、魏恃韓之鋭、欲推以為鋒。二軍爭便、其力不同。是以臣得設疑兵、以持韓陣、専軍并鋭、觸魏之不意、魏軍既敗、韓軍自潰。以是之故、果能有功、皆計利形勢自然之理、何神之有?
新字:伊闕之戦、韓顧魏、不欲先用其衆、魏恃韓之鋭、欲推以為鋒。二軍争便、其力不同。是以臣得設疑兵、以持韓陣、専軍并鋭、触魏之不意、魏軍既敗、韓軍自潰。以是之故、果能有功、皆計利形勢自然之理、何神之有?
書き下し
伊闕の戦いは、韓は魏を顧みて、先ず其の衆を用いんことを欲せず。魏は韓の鋭を恃みて、推して以て鋒と為さんと欲す。二軍便を争い、其の力同じからず。是を以て臣、疑兵を設けて、以て韓の陣を持し、軍を専らにし鋭を并せて、魏の不意に触る。魏軍既に敗れ、韓軍自ら潰ゆ。是の故を以て、果たして能く功有り。皆、利を計り形勢自然の理にして、何の神か之れ有らん。
現代語訳
伊闕の戦いでは、韓は魏をあてにして、自分の兵を先に使いたがらず、魏は韓の精鋭を頼んで、韓を先鋒に押し出したがりました。二つの軍は有利な位置を争い、力が一つになっていませんでした。だから私は偽の兵を置いて韓の陣を釘付けにし、軍を一つにまとめ精鋭を集めて、魏の不意を突いたのです。魏軍が敗れると、韓軍はひとりでに崩れました。それでこそ手柄を立てられたのです。すべて利を計り、形勢の自然な道理に従ったまでで、何の神業がありましょう。
解説
韓と魏の連合軍は、互いに相手に先に戦わせようとしていました。白起はその隙を見て、韓を足止めし、弱い側の魏に全力をぶつけます。魏が崩れれば、もともとやる気のない韓は勝手に崩れる。数で劣っても勝てたのは、相手が一つの軍として動いていなかったからです。そして白起は、これを神業と呼ばれることを拒みます。勝ちに理由を言える人は、理由がそろわない戦いを引き受けません。
この章句が説くこと
七雄略白起連合各個撃破形勢道理
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