長短経 / 七雄略
且夫秦之攻燕也、踰雲中、九原、過代、上谷、〔今易州也〕彌地數千里、雖得燕城、秦計固不能守也。秦之不能害燕亦明矣!今趙之攻燕也、發號出令、不至十日、而數十萬之軍、軍於東垣矣。渡呼沲涉易水、不至四五日、而距國都矣。故曰、秦之攻燕也、戰於千里之外、趙之攻燕也、戰於百里之内。夫不憂百里之患、而重於千里之外、計無過於此者。是故、願大王與趙從親、天下為一、則燕國必無事矣。」燕文侯許之。
新字:且夫秦之攻燕也、踰雲中、九原、過代、上谷、〔今易州也〕弥地数千里、雖得燕城、秦計固不能守也。秦之不能害燕亦明矣!今趙之攻燕也、発号出令、不至十日、而数十万之軍、軍於東垣矣。渡呼沲渉易水、不至四五日、而距国都矣。故曰、秦之攻燕也、戦於千里之外、趙之攻燕也、戦於百里之内。夫不憂百里之患、而重於千里之外、計無過於此者。是故、願大王与趙従親、天下為一、則燕国必無事矣。」燕文侯許之。
書き下し
且つ夫れ秦の燕を攻むるや、雲中・九原を踰え、代・上谷を過ぎ〈今の易州なり。〉地を弥ること数千里。燕城を得と雖も、秦の計、固より守る能わざるなり。秦の燕を害する能わざるも亦た明らかなり。今、趙の燕を攻むるや、号を発し令を出だし、十日に至らずして、数十万の軍、東垣に軍せん。呼沲を渡り易水を渉れば、四五日に至らずして、国都に距らん。故に曰く、秦の燕を攻むるや、千里の外に戦い、趙の燕を攻むるや、百里の内に戦う、と。夫れ百里の患いを憂えずして、千里の外に重んずるは、計、此より過ぐるは無し。是の故に、願わくは大王、趙と従親し、天下一と為らば、則ち燕国、必ず事無からん」と。燕の文侯、之を許す。
現代語訳
そもそも秦が燕を攻めるには、雲中と九原を越え、代と上谷を通り〈今の易州である〉、数千里を渡ることになる。燕の城を取っても、秦は守り切れない。秦が燕を害せないのは明らかである。ところが趙が燕を攻めるなら、号令を出して十日たたずに数十万の軍が東垣に陣を敷く。呼沲河を渡り易水を越えれば、四、五日で国都に達する。だからこう言う。秦が燕を攻めるのは千里の外での戦い、趙が燕を攻めるのは百里の内での戦いである、と。百里の憂いを心配せずに千里の外を重く見るのは、これ以上の誤算はない。だから大王には趙と結び、天下が一つになれば、燕は必ず無事です」。燕の文侯はこれを承知した。
解説
この章句が説くこと
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