長短経 / 君徳
曹植曰、「昔漢之初興、髙祖因暴秦而起、遂誅强楚、光有天下、功齊湯武、業流後嗣、帝王之元勲人君之盛事也。然而名不純徳、行不純道、身没之後、崩亡之際、果令凶婦肆酷虐之心、嬖妾被人彘之刑。趙王幽囚、禍殃骨肉、諸吕專權、社稷幾移、凡此上事、豈非髙祖寡計淺慮以致斯哉?然其梟將畫臣、皆古今之所鮮、有歴代之希覯惟能任其才而用之、聽其言而察之、故兼天下而有帝位也。
新字:曹植曰、「昔漢之初興、高祖因暴秦而起、遂誅強楚、光有天下、功斉湯武、業流後嗣、帝王之元勲人君之盛事也。然而名不純徳、行不純道、身没之後、崩亡之際、果令凶婦肆酷虐之心、嬖妾被人彘之刑。趙王幽囚、禍殃骨肉、諸呂専権、社稷幾移、凡此上事、豈非高祖寡計浅慮以致斯哉?然其梟将画臣、皆古今之所鮮、有歴代之希覯惟能任其才而用之、聴其言而察之、故兼天下而有帝位也。
書き下し
曹植曰く「昔、漢の初め興るや、高祖は暴秦に因りて起こり、遂に強楚を誅し、光く天下を有つ。功は湯武に斉しく、業は後嗣に流る。帝王の元勲、人君の盛事なり。然り而して名は純徳ならず、行は純道ならず。身没するの後、崩亡の際、果たして凶婦をして酷虐の心を肆にせしめ、嬖妾は人彘の刑を被る。趙王は幽囚せられ、禍は骨肉に殃す。諸呂は権を専らにし、社稷幾んど移る。凡そ此の上の事は、豈に高祖の寡計浅慮にして以て斯に致すに非ずや。然れども其の梟将画臣は、皆な古今の鮮なき所、歴代の希に覯る有る所なり。惟だ能く其の才に任じて之を用い、其の言を聴きて之を察す。故に天下を兼ねて帝位を有つなり。
現代語訳
曹植はこう言った。「昔、漢が興ったとき、高祖は暴虐な秦に乗じて立ち、ついに強大な楚を討ち、広く天下を保った。功績は湯王・武王に等しく、事業は子孫に伝わった。帝王の第一の勲功であり、君主の盛大な事績である。しかしその名は純粋な徳ではなく、行いは純粋な道ではなかった。本人が没した後、崩御のきわに、果たして凶暴な妻に残酷な心を思うままにさせ、寵愛された妾は人豚の刑を受けた。趙王は幽閉され、禍は肉親に及んだ。呂氏一族は権力を独占し、国家はあやうく移るところだった。これらのことは、高祖の計が乏しく思慮が浅かったからではないか。しかしその猛々しい将と策を描く臣は、みな古今にまれで、歴代でもめったに見られない人材だった。ただその才に任せて用い、その言葉を聴いて見きわめた。だから天下を併せて帝位を保ったのである。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』任長臣聞く、才を料り能を覈すは治世の要なり。自ら聖人に非ずんば、誰か能く茲の百行を兼ね、衆理を貫き備えんや。故に舜は群司を合わせ、才に随いて位を授け、漢は功臣を述べて三傑を異称す。況んや此の儔に非ずして、備わらんことを責む可けんや。
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『長短経』任長〔議に曰く、魏の桓範云う「帝王の人を用うるは、世を度りて才を授く。争奪の時は書策を先と為し、分定の後は忠義を首と為す。故に晋文は舅犯の計を行いて雍季の言を賞し、高祖は陳平の智を用いて後を周勃に託す」と。古語に云う「守文の代は徳高き者位尊く、倉卒の時は功多き者賞厚し」と。諸葛亮曰く「老子は性を養うに長ず、以て危難に臨む可からず。商鞅は法を理むるに長ず、以て教化に従う可からず。蘇・張は辞を馳するに長ず、以て盟誓を結ぶ可からず。白起は攻取に長ず、以て衆を広くす可からず。子胥は敵を図るに長ず、以て身を謀る可からず。尾生は信を守るに長ず、以て変に応ず可からず。王嘉は明君に遇うに長ず、以て暗主に事う可からず。許子将は臧否を明らかにするに長ず、以て人物を養う可からず」と。此れ長に任ずるの術なり。〕
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『列子』力命篇管仲嘗て歎じて曰く、吾少くして窮困せし時、嘗て鮑叔と賈す。財を分かつに多く自ら與る。鮑叔我を以て貪と爲さず。我の貧しきを知ればなり。吾嘗て鮑叔の爲に事を謀りて大いに窮困す。鮑叔我を以て愚と爲さず。時に利あり不利あるを知ればなり。吾嘗て三たび仕えて三たび君に逐わる。鮑叔我を以て不肖と爲さず。我の時に遭わざるを知ればなり。吾嘗て三たび戰いて三たび北ぐ。鮑叔我を以て怯と爲さず。我に老母有るを知ればなり。公子糾敗れ、召忽之に死し、吾は幽囚されて辱を受く。鮑叔我を以て恥無しと爲さず。我の小節を羞じずして名の天下に顯れざるを恥ずるを知ればなり。我を生む者は父母、我を知る者は鮑叔なり、と。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「仁賢を信ぜざれば、則ち國空虚なり。禮義無ければ、則ち上下亂る。政事無ければ、則ち財用足らず。」 <解説> 国の大事として、仁賢・禮義・政事の三者を挙げているが、尹氏云う、「三者、仁賢を以て本と為す、仁賢無ければ、則ち禮義・政事、之に處りて皆其の道を以てせず。」と。乃ち三者の中でも仁賢が最も根本であり、仁者・賢者がおればこそ、国の禮義や政治政策は善く行われるということである。
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孟子・梁惠王章句下孟子、齊の宣王に見えて曰く、「所謂故國とは、喬木有るの謂を謂うに非ざるなり。世臣有るの謂なり。王には親臣無し。昔者(セキ・ジャ)進むる所、今日其の亡を知らざるなり。」王曰く、「吾、何を以て其の不才を識りて之を舍てん。」曰く、「國君、賢を進むること已むを得ざるが如くす。將に卑をして尊を踰え、疏をして戚を踰えしめんとす。慎まざる可けんや。左右皆賢なりと曰うも、未だ可ならざるなり。諸大夫皆賢と曰うも、未だ可ならざるなり。國人皆賢と曰う、然る後に之を察し、賢なるを見て、然る後に之を用いよ。左右皆不可と曰うも、聽く勿れ。諸大夫皆不可と曰うも、聽く勿れ。國人皆不可と曰う、然る後に之を察し、不可なるを見て、然る後に之を去れ。左右皆殺す可しと曰うも、聽く勿れ。諸大夫皆殺す可しと曰うも、聽く勿れ。國人皆殺す可しと曰う、然る後に之を察し、殺す可きを見て、然る後に之を殺せ。故に曰く、國人之を殺すなり、と。此の如くにして、然る後以て民の父母為る可し。」
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『韓非子』亡徵第十五境内の傑、事とされずして、封外の士を求め、功伐を以て課試せずして、好んで名問を以て舉錯し、羈旅起り貴くして以て故常を陵ぐ者は、亡ぶ可きなり。