長短経 / 君徳
自炎精不競、㝢縣分崩、曹孟徳挾天子而令諸侯、劉𤣥徳憑蜀漢之阻、孫仲謀負江淮之固、三分天下、鼎足而立、皆肇開王業、光啟霸圖。三方之君、孰有優劣?虞南曰、「曹公兵機智算、殆難與敵、故能肇迹開基、居中作相、實有英雄之才矣!然譎詭不常、雄猜多忌、至於殺伏后鴆荀彧、誅孔融、戮崔琰、婁生斃於一言、桓邵勞於下拜。棄徳任刑、其虐已甚、坐論西伯、實非其人。許劭所謂『治世之能臣、亂世之姦雄』、斯言為當。」
新字:自炎精不競、㝢県分崩、曹孟徳挟天子而令諸侯、劉玄徳憑蜀漢之阻、孫仲謀負江淮之固、三分天下、鼎足而立、皆肇開王業、光啓覇図。三方之君、孰有優劣?虞南曰、「曹公兵機智算、殆難与敵、故能肇迹開基、居中作相、実有英雄之才矣!然譎詭不常、雄猜多忌、至於殺伏后鴆荀彧、誅孔融、戮崔琰、婁生斃於一言、桓邵労於下拝。棄徳任刑、其虐已甚、坐論西伯、実非其人。許劭所謂『治世之能臣、乱世之姦雄』、斯言為当。」
書き下し
炎精競わずより、宇県分崩す。曹孟徳は天子を挟みて諸侯に令し、劉玄徳は蜀漢の阻に憑り、孫仲謀は江淮の固に負き、天下を三分して鼎足して立つ。皆な肇めて王業を開き、覇図を光啓す。三方の君、孰れか優劣有らん。虞南曰く「曹公の兵機智算は、殆ど与に敵し難し。故に能く迹を肇め基を開き、中に居て相と作る。実に英雄の才有り。然れども譎詭常ならず、雄猜にして忌むこと多し。伏后を殺し荀彧を鴆し、孔融を誅し崔琰を戮するに至る。婁生は一言に斃れ、桓邵は下拝に労す。徳を棄て刑に任じ、其の虐已に甚だし。坐して西伯を論ずるに、実に其の人に非ず。許劭の所謂『治世の能臣、乱世の姦雄』とは、斯の言当たれりと為す」と。
現代語訳
漢の火徳が振るわなくなって以来、天下は分裂した。曹操は天子を擁して諸侯に命令し、劉備は蜀漢の険阻に拠り、孫権は長江・淮水の堅固さを背にし、天下を三分して鼎の足のように立った。みな初めて王業を開き、覇者の構図を輝かせた。三方の君に、優劣はあるだろうか。虞世南は言った。「曹操の用兵の機微と知略は、まず敵しがたい。だから足跡を印し基を開き、中央にあって宰相となった。まことに英雄の才がある。しかし偽りと奇計が定まらず、猛々しく疑い深く、忌み嫌うことが多い。伏皇后を殺し荀彧を毒殺し、孔融を誅し崔琰を殺すに至った。婁生は一言で命を落とし、桓邵は下座での拝礼に苦しんだ。徳を捨てて刑に任せ、その残虐はすでにはなはだしい。座って周の西伯になぞらえるには、まったくその人ではない。許劭のいわゆる『治世の能臣、乱世の姦雄』という言葉が、当たっている」。
解説
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『長短経』君徳虞南曰く「魏武は曹騰の孫、累葉栄顕し、纓を漢室に濯うこと三十余年。董卓の乱に及び、乃ち山東と倶に起こり、元凶を誅滅す。曾て己の力に非ず。晋の宣は卿相を歴任し、位は台鼎を極め、天下の図を握り、既安の勢いに居る。明詔を奉じて逆節を誅す。瓴を建つるを譬えと為すも、未だ喩うるに足らざるなり。宋祖は匹夫を以て剣を提げ、首めて大業を創む。旬月の間に、重ねて晋の鼎を安んず。半州の地に居り、一郡の卒を駆り、譙縦を庸蜀に斬り、姚紹を崤函に禽にし、慕容超を青部に克ち、盧循を嶺外に梟す。戎旗の指す所、往きて捷たざる無し。其の豁達を観れば、則ち漢祖の風なり。勝を胸襟に制するは、則ち光武の匹なり。惜しむらくは其の祚の短くして、志の未だ量る可からざるを。此れ優と為す」と。
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『長短経』君徳虞南曰く「何晏称す『唯だ深きなり、故に能く天下の志に通ず、夏侯太初是なり。惟だ機なり、故に能く天下の務を成す、司馬子元是なり』と。故に王佐の才は、早日に著るるを知る。爽を誅するの際に及び、智略已に宣ぶ。欽・倹、兵を称するに、全軍もて独り克つ。此れ以て其の英図を見るに足る。道は三分に盛んなりと雖も、終身北面し、威名は主を振わすも臣節は虧けず。侯服して全きに帰す。斯に於て美と為す。太祖嗣ぎ興り、克く禍乱を寧んず。南は淮海を定め、西は庸蜀を平らぐ。役は時を踰えず、厥の功重しと為す。高貴の歴を纂ぐに及び、聡明夙智なるも、忠を竭くし協賛して伊周に迹を擬する能わず。遂に乃ち士彦を偽謗し、罪を成済に委ね、自ら逆節を貽し、終に悪名を享く。斯の言の玷は、磨く可からざるなり」と。
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『長短経』君徳「劉公は劉璋を待つに賓礼を以てし、諸葛に委ねて疑わず。人君の徳、斯に於て美と為す。彼の孔明なる者は、命世の奇才、伊・呂の儔匹なり。臣主心を同じくし、魚水を譬えと為す。但だ国小さく兵弱く、一隅に斗絶し、二方に支対し、上国に抗衡するを以てす。若し曹公と地を易えて処らしめ、其の長算を騁せ、関・張の武を肆にし、諸葛の文を尽くさしめば、則ち覇王の業成らん」と。「孫主は厥の兄の資に因り、前朝の佐を用い、介するに天険を以てす。僅かに自ら存するを得たり。二人に比ぶれば、理として逮ぶ能わず」と。
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『長短経』三国権夫れ能く天下の危うきを扶くる者は、則ち天下の安きに拠り、能く天下の憂いを除く者は、則ち天下の楽しみを享け、能く天下の禍を救う者は、則ち天下の福を得。〔董昭等、共に曹公を進めて、九錫備物せんと欲し、密かに荀彧に訪う。彧許さず。操、心平らかならず、遂に之を殺す。范曄論じて曰く「世の荀君の通塞を言うは、或いは過てり。常に中賢以下を以てして、遂に備わるを求むること無し。智算に研疏する所有り、始めを原ぬるも未だ必ずしも終わりを要めず。斯の理の全く詰むべからざる者なり。夫れ衛賜の賢を以てして、一説にして両国を斃す。彼は人に薄くして之を欲するに非ず。蓋し全き有れば、必ず衰うる有るなり。斯れ又た功の兼ぬべからざる者なり。時運の遭うに方りて、雄才に非ずんば以て其の弱きを済うこと無し。功高く勢い強ければ、則ち皇器自ら移る。此れ又た時の並ぶべからざるなり。蓋し其の正に帰するを取るのみ。亦た身を殺して以て仁を成すの義なり」と。〕
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『長短経』三国権太祖、洛陽に至り、天子を奉じて許に都す。其の弛紊を維ぎ、其の贅旒を紉ぎ、我が漢家をして旧物を失わざらしむ。是に於て籌を運らし謀を演べ、宇内を鞭撻し、北は袁紹を破り、南は劉琮を虜にし、東は公孫康を挙げ、西は張魯を夷ぐ。〔議に曰く、劉表の諸傑、中間に自ら呑并有りと雖も、乃ち揚雄の所謂「六国蚩蚩として、嬴の為に姫を弱むる者なり」。并呑衆しと雖も、適に吾が為に奉ずる所以なり。〕九州百郡、十に其の八を并す。志績未だ究めずして、中世にして殞す。
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『長短経』三国権〔蜀・呉・魏〕論に曰く、臣聞く、昔、漢氏綱ならず、網は凶狡を漏らす。袁本初は河朔に虎視し、劉景升は荊州に鵲起し、馬超・韓遂は関西に雄拠し、呂布・陳宮は東夏に命を竊む。遼河・海岱、王公十数、皆兵百万・鉄騎千群を阻み、合従して交わりを締び、一時の傑たり。然れども曹操は天子を挟みて諸侯に令し、六七年の間、夷滅する者十に八九。唯だ呉・蜀は蕞爾たる国なり。地図を以て之を案ずるに、纔かに四州の土にして、中原の大都に如かず。人は公戦に怯え、私闘に勇み、軽く走り易く北げ、諸華の士に敵せず。長を角べ大を量り、才を比べ力を称うるに、二袁・劉・呂の盛んなるに若かず。此の二雄は新造未集の国を以て、逆上不侔の勢いに資るも、然れども能く剣を撫して顧眄し、曹氏と権を争い、馬を躍らせて指麾し、利は南海を尽くす。何ぞや。則ち地利同じからず、勢い之をして然らしむるのみ。