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長短経 / 是非

〔是曰〕太史公曰、“《春秋》推見至隱、《易》本隱以之顯、〈大雅〉言王公大人、而徳逮黎庶、〈小雅〉譏小已之得失、其流及上。所言雖殊、其合徳一也。相如雖虛辭濫説、然其要歸、引之節儉、此與詩之諷諌何異?”〔非曰〕揚雄以為賦者、將以諷也、必推類而言、極靡麗之辭、閎侈鉅衍、競於使人不能加也。既乃歸之于正、然覽已過矣。往時武帝好神仙、相如上《大人賦》以諷帝。帝反漂漂有凌雲之志由是言之、賦勸而不止、明矣。又頗類俳優、非法度所存。賢人君子、詩賦之正也。

新字:〔是曰〕太史公曰、“《春秋》推見至隠、《易》本隠以之顕、〈大雅〉言王公大人、而徳逮黎庶、〈小雅〉譏小已之得失、其流及上。所言雖殊、其合徳一也。相如雖虚辞濫説、然其要帰、引之節倹、此与詩之諷諌何異?”〔非曰〕揚雄以為賦者、将以諷也、必推類而言、極靡麗之辞、閎侈鉅衍、競於使人不能加也。既乃帰之于正、然覧已過矣。往時武帝好神仙、相如上《大人賦》以諷帝。帝反漂漂有凌雲之志由是言之、賦勧而不止、明矣。又頗類俳優、非法度所存。賢人君子、詩賦之正也。

書き下し

〔是に曰く〕太史公曰く「春秋は見を推して隠に至り、易は隠に本づきて以て顕に之く。大雅は王公大人を言いて徳は黎庶に逮び、小雅は小己の得失を譏りて其の流は上に及ぶ。言う所は殊なりと雖も、其の徳に合するは一なり。相如は虚辞濫説なりと雖も、然れども其の要は帰す、之を節倹に引く。此れ詩の諷諫と何ぞ異ならんや」と。〔非に曰く〕揚雄は以為えらく、賦なる者は将に以て諷せんとす。必ず類を推して言い、靡麗の辞を極め、閎侈鉅衍にして、人をして加うる能わざらしむるを競う。既にして乃ち之を正に帰すれども、然れども覧ること已に過ぎたり。往時、武帝は神仙を好む。相如、大人賦を上りて以て帝を諷す。帝、反って漂漂として凌雲の志有り。是に由りて之を言えば、賦は勧めて止めざること明らかなり。又た頗る俳優に類す。法度の存する所に非ず。賢人君子は、詩賦の正なり。

現代語訳

〔是の側。〕太史公はこう言った。「春秋は見えるものから隠れたものへ推し、易は隠れたものから顕れたものへ行く。大雅は王公大人を語って徳が民に及び、小雅は小さな自分の得失を譏ってその流れが上に及ぶ。語ることは違っても、徳に合う点では一つである。司馬相如は空虚で大げさな言葉を使うが、その要点は倹約へ引き戻すことにある。これは詩経の諷諫と何が違おう」。〔非の側。〕揚雄はこう考えた。賦というものは諷諫するためのものである。必ず類推して語り、華麗な言葉を極め、広く大きく膨らませて、人がこれ以上加えられないようにすることを競う。そのうえで最後に正しいところへ帰す。しかし読者はもう行き過ぎている。かつて武帝は神仙を好んだ。司馬相如は大人賦を奉って武帝を諷した。武帝はかえってふわふわと雲を凌ぐ志を抱いた。ここから言えば、賦は勧めるばかりで止めないことが明らかである。しかもかなり芸人に近い。法度の存するところではない。賢人君子こそが詩賦の正しいあり方である。

解説

諷刺は効くのか、という問いです。揚雄の観察が鋭い。仙人の世界を華麗に描いて最後に戒めをつけても、読者はすでに魅了されている。戒めの一行より、描写の百行のほうが強い。批判のつもりで詳しく描くと、かえって宣伝になる。いまも同じことが起こります。何を批判するかより、何を詳しく描くかが伝わるのです。司馬遷は賦を詩経の諷諫と同類だと擁護しましたが、揚雄は実際の効果で反証しました。意図ではなく結果で測る立場です。

この章句が説くこと

是非司馬相如揚雄諷諫大人賦

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