長短経 / 覇図
歩時都劇、使其弟藍守西安、諸郡太守守臨菑相去四十里。弇進軍居二城之間。弇視西安城雖小而堅、臨菑雖大而實易攻。乃勑諸部、後五日攻西安城。藍聞之、晨夜警守。至期、夜半、弇勅諸將皆蓐食、㑹明至臨菑城。出其不意、半日㧞之、入據其城。張藍懼、遂将其衆亡歸劇。弇乃令軍士無得妄掠劇下、須張歩至、乃取之以激怒歩。歩聞之、大笑、至臨菑攻弇。弇先出臨菑水上、突騎欲縱。弇恐挫其鋒、令步不敢進、故示弱以盛其氣、乃引歸小城、陳兵於内。歩氣盛、直攻弇營、與劉歆合戰、弇升王宫壊臺望之、視歆鋒交、乃自引精兵、以横突歩陣、大破之。步走降世祖、弇欲招其故衆、令陳俊追斬諸賊、悉平之。〕
新字:歩時都劇、使其弟藍守西安、諸郡太守守臨菑相去四十里。弇進軍居二城之間。弇視西安城雖小而堅、臨菑雖大而実易攻。乃勑諸部、後五日攻西安城。藍聞之、晨夜警守。至期、夜半、弇勅諸将皆蓐食、会明至臨菑城。出其不意、半日抜之、入拠其城。張藍懼、遂将其衆亡帰劇。弇乃令軍士無得妄掠劇下、須張歩至、乃取之以激怒歩。歩聞之、大笑、至臨菑攻弇。弇先出臨菑水上、突騎欲縦。弇恐挫其鋒、令歩不敢進、故示弱以盛其気、乃引帰小城、陳兵於内。歩気盛、直攻弇営、与劉歆合戦、弇升王宮壊台望之、視歆鋒交、乃自引精兵、以横突歩陣、大破之。歩走降世祖、弇欲招其故衆、令陳俊追斬諸賊、悉平之。〕
書き下し
歩、時に劇に都す。其の弟藍をして西安を守らしめ、諸郡の太守は臨菑を守る。相い去ること四十里。弇、軍を進めて二城の間に居る。弇、視るに西安城は小なりと雖も堅く、臨菑は大なりと雖も実は攻め易し。乃ち諸部に勅す、後五日、西安城を攻むと。藍、之を聞き、晨夜警守す。期に至り、夜半、弇、諸将に勅して皆な蓐食せしめ、明に会して臨菑城に至る。其の不意に出で、半日にして之を抜き、入りて其の城に拠る。張藍懼れ、遂に其の衆を将いて亡げて劇に帰る。弇、乃ち軍士をして妄りに劇下を掠むるを得ざらしめ、張歩の至るを須ちて、乃ち之を取りて以て歩を激怒せしむ。歩、之を聞き、大いに笑い、臨菑に至りて弇を攻む。弇、先ず臨菑の水上に出づ。突騎、縦たんと欲す。弇、其の鋒を挫きて、歩をして敢えて進ましめざらんことを恐れ、故らに弱を示して以て其の気を盛んにし、乃ち引きて小城に帰り、兵を内に陳ぬ。歩、気盛んにして、直ちに弇の営を攻め、劉歆と合戦す。弇、王宮の壊台に升りて之を望み、歆の鋒交わるを視て、乃ち自ら精兵を引き、以て横ざまに歩の陣を突き、大いに之を破る。歩、走りて世祖に降る。弇、其の故衆を招かんと欲し、陳俊をして諸賊を追斬せしめ、悉く之を平らぐ。〉
現代語訳
張歩はそのころ劇に都していた。弟の張藍に西安を守らせ、諸郡の太守は臨菑を守っていた。両者の距離は四十里。耿弇は軍を進めて二城のあいだに陣した。耿弇は見て、西安城は小さいが堅く、臨菑は大きいが実は攻めやすいと判断した。そこで各部隊に、五日後に西安城を攻めると命じた。張藍はこれを聞き、朝も夜も警戒して守った。その日が来ると、夜半に耿弇は諸将に命じて寝床で食事をとらせ、夜明けとともに臨菑城に着いた。不意を突いて半日で落とし、入って城を押さえた。張藍は恐れて、兵を率いて劇へ逃げ帰った。耿弇は兵士に劇の周辺で勝手に略奪させず、張歩が来るのを待ってから奪って張歩を怒らせようとした。張歩はこれを聞いて大笑いし、臨菑に来て耿弇を攻めた。耿弇は先に臨菑の川辺に出た。突撃騎兵が駆け出そうとした。耿弇は相手の勢いを挫いて張歩が前に出てこなくなるのを恐れ、わざと弱く見せて相手の気を盛んにし、小城へ引き返して兵を内に並べた。張歩は勢いに乗って耿弇の陣を直接攻め、劉歆と合戦した。耿弇は王宮の崩れた台に登って見下ろし、劉歆の部隊が敵と交わったのを見て、自ら精兵を率いて横から張歩の陣を突き、大いに破った。張歩は逃げて世祖に降った。耿弇は張歩の旧部下を招こうとして、陳俊に賊を追撃させ、すべて平定した。〉
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『長短経』覇図世祖、耿弇をして張歩を討たしむ。歩、之を聞き、乃ち其の大将費邑をして歴下に軍せしめ、又た兵を分かちて祝阿に屯し、別に太山・鍾城に営を列ぬること数十にして以て弇を待つ。弇、乃ち河を度り、先ず祝阿を撃つ。旦より城を攻め、日未だ中ならずして之を抜く。故らに囲みの一角を開き、其の衆をして奔りて鍾城に帰るを得しむ。鍾城の人、祝阿の潰ゆるを聞き、大いに懼れ、遂に壁を空にして亡げ去る。費邑、其の弟敢を分遣して巨里を守らしむ。弇、兵を留めて巨里を脅かし、多く樹木を伐らしめ、揚言して以て坑塹を填塞せんとす。数日、降る者有りて言う、邑、弇の巨里を攻めんと欲するを聞き、来たりて之を救わんと謀る、と。弇、乃ち軍中に令して曰く「後三日、当に力を悉くして巨里城を攻むべし」と。陰かに生口を緩め、亡げ帰るを得しむ。帰る者、弇の期を以て邑に告ぐ。邑、日に至りて果たして自ら将いて之を救う。弇、喜びて諸将に謂いて曰く「吾の攻具を修むる所以の者は、邑を誘致せんと欲すればなり。今来たるは、適に求むる所なり」と。即ち三千人を分かちて巨里を守らしめ、自ら精兵を引きて崗坂に上り、高きに乗じて合戦し、陣に臨みて邑を斬る。既にして首級を収めて以て巨里城に示す。城中、兇懼し、費敢、衆を悉くして亡げて張歩に帰る。
-
『長短経』五間又た、耿弇、張歩を討つ。歩之を聞き、乃ち其の大将費邑をして歴下に軍せしめ、又た兵を分かちて祝阿に屯せしめ、別に太山・鐘城に営を列ぬること数十にして以て弇を待つ〔昔、劉備東下して孫権と交戦す。魏の文帝、備の柵を樹て営を連ぬること七百余里なるを聞き、群臣に謂いて曰く「備は兵権を暁らず。豈に七百里の営にして以て敵を拒ぐべき者有らんや。原隰険阻を包みて軍を為す者は、敵の禽とする所と為る。此れ兵の忌なり」と。後七日、権の備を破る書到る。今、張歩は営を列ぬること数十、緩急相救うこと能わず。又た一軍潰ゆれば、則ち衆心固め難し。黥布の荊王を走らす所以に比す。歩の計に非ざるなり。敗るるは其れ宜なり〕。弇、河を渡り、先ず祝阿を撃ちて、之を抜き、故に囲みの一角を開き、其の衆をして鐘城に奔るを得しむ。鐘城の人、祝阿の已に潰ゆるを聞き、大いに懼れ、遂に壁を空しくして亡げ去る〔孫子曰く「三軍は気を奪うべく、将軍は心を奪うべし」と。耿弇は祝阿の囲みを開き、其の衆をして鐘城に奔らしめ、以て之を震怖せしむ。亦た気を奪い、心を奪うの計なり。妙なるかな〕。
-
『長短経』覇図張淹、迷昧にして、本朝を顧みず。爰に南区より、志は東夏を図る。潜軍にして間に入り、竊かに不虞を覬う。時に於て江服未だ夷らかならず、皇途薦りに阻まる。公、忠義奮発し、険に在りて弥々亮らかなり。寡を以て衆を制し、向かう所風のごとく偃す。朝廷に東顧の憂い無く、閩越に来蘇の望み有り。此れ又た公の功なり。匈奴、野心あり、疆場を侵掠す。醜羯、侜張し、勢いは彭泗に振るう。公、辞を奉じて罪を伐ち、旦を戒めて晨に征す。兵車始めて交わり、氛祲時に蕩う。死を弔い傷を扶け、皇沢を弘宣す。我が淮淝をして、復た盛化に沾わしむ。此れ又た公の功なり。
-
『長短経』覇図然れども大王の楚に背かざる者は、漢を以て弱しと為せばなり。夫れ楚兵は強しと雖も、天下は之に不義の名を負わす。其の約に背きて義帝を殺せるを以てなり。然り而して楚王は将に戦勝を以て自ら強しとせんとす。漢王は諸侯を収め、還りて滎陽を守り、蜀漢の粟を下し、溝を深くし塁を高くし、卒を分かちて徼を守り塞に乗る。楚人、兵を還すに、間つるに梁地を以てし、敵国に深入すること八九百里。戦わんと欲すれば則ち得ず、城を攻むれば則ち力能わず、老弱もて糧を千里の外に転ず。楚兵、滎陽・城皋に至るも、漢は堅守して動かず。進めば則ち攻むるを得ず、退けば則ち解くを得ず。故に曰く、楚は恃むに足らざるなり、と。楚をして勝たしむれば、則ち諸侯自ら危懼して相い救わん。夫れ楚の強きは、適だ以て天下の兵を致すに足るのみ。故に楚の漢に如かざるは、其の勢い見易きなり。
-
『長短経』覇図夫れ漢王は蜀漢を発し、三秦を定め、西河の外を渉り、上党の兵を抜き、井陘の路を下し、成安の罪を誅し、北のかた魏を破り三十二城を挙ぐ。此れ蚩尤の兵にして、人力に非ず、天の福なり。今、已に敖倉の粟に拠り、成皋の険を塞ぎ、白馬の津を守り、太行の路を杜ぎ、飛狐の口を拒ぐ。而して天下の後に服する者は先ず亡びん。王、疾く先ず漢王に下らば、斉国の社稷、得て保つ可きなり。漢王に下らずんば、危亡立ちどころに待つ可し」と。
-
『長短経』覇図然り而して衆は労し卒は疲る。其の実は用い難し。今、将軍、倦弊の兵を挙げて、燕の堅城の下に頓せんと欲す。戦わんと欲すれば恐らくは得ず、城を攻むれば抜く能わず、情は見れ勢いは屈し、日を曠しくして糧は竭きん。而して弱燕服せずんば、斉必ず境に距りて以て自ら強くせん。燕・斉相い持して下す可からずんば、劉・項の権、未だ分かるる所有らざるなり。此くの若き者は、将軍の短なり。臣愚かに、竊かに以て過てりと為す。故に善く兵を用うる者は、短を以て長を撃たず、而して長を以て短を撃つ」と。韓信曰く「然らば則ち何に由らん」と。広武君曰く「方今、将軍の為に計るに、甲を按じ兵を休め、以て趙を鎮め、其の孤弱を撫し、百里の内、牛酒日に至りて、以て士大夫を饗し、兵を醳し、北のかた燕路に首するに如くは莫し。而る後に弁士を遣わし、咫尺の書を奉じ、長ずる所を燕に暴さば、燕必ず敢えて聴かざらず。燕已に従わば、諠言する者をして東のかた斉に告げしめば、斉必ず風に従いて服せん。智者有りと雖も、亦た斉の為に計るを知らざらん。是くの如くんば、則ち天下の事図る可きなり。兵に固より先声して後実なる者有り。此れ之を謂うなり」と。韓信曰く「善し」と。其の策に従い、使いを燕・斉に発し、風に従いて靡くなり。〉