長短経 / 論士
《語》曰、“知人未易、人未易知。”何以明之?汗明說春申君、春申君說之。汗明欲談、春申君曰、“僕已知先生意矣。”汗明曰、“未審君之聖孰與堯?”春申君曰、“臣何足以當堯?”“然則君料臣孰與舜?”春申君曰、“先生即舜也。”汗明曰、“不然、臣請為君申言之。君之賢不如堯、臣之能不及舜。夫以賢舜事聖堯、三年而後乃相知也。今君一時而知臣、是君聖於堯而臣賢於舜也。”《記》曰、“夫驥唯伯樂獨知之、若時無伯樂之知、即不容其為良馬也。
新字:《語》曰、“知人未易、人未易知。”何以明之?汗明説春申君、春申君説之。汗明欲談、春申君曰、“僕已知先生意矣。”汗明曰、“未審君之聖孰与堯?”春申君曰、“臣何足以当堯?”“然則君料臣孰与舜?”春申君曰、“先生即舜也。”汗明曰、“不然、臣請為君申言之。君之賢不如堯、臣之能不及舜。夫以賢舜事聖堯、三年而後乃相知也。今君一時而知臣、是君聖於堯而臣賢於舜也。”《記》曰、“夫驥唯伯楽独知之、若時無伯楽之知、即不容其為良馬也。
書き下し
語に曰く「人を知るは易からず、人は知られ易からず」と。何を以て之を明らかにせん。汗明、春申君に説く。春申君之を説ぶ。汗明、談ぜんと欲す。春申君曰く「僕已に先生の意を知れり」と。汗明曰く「未だ審らかならず、君の聖は孰れか堯と与にせん」と。春申君曰く「臣何ぞ以て堯に当たるに足らんや」と。「然らば則ち君、臣を料るに孰れか舜と与にせん」と。春申君曰く「先生は即ち舜なり」と。汗明曰く「然らず。臣請う、君の為に之を申べん。君の賢は堯に如かず、臣の能は舜に及ばず。夫れ賢舜を以て聖堯に事え、三年にして後に乃ち相い知る。今、君は一時にして臣を知る。是れ君は堯より聖にして臣は舜より賢なるなり」と。記に曰く「夫れ驥は唯だ伯楽のみ独り之を知る。若し時に伯楽の知無ければ、即ち其の良馬為るを容れず。
現代語訳
ある書物にこうある。「人を知ることはたやすくなく、人は知られることもたやすくない」。なぜそう言えるのか。汗明が春申君に説いた。春申君は喜んだ。汗明がさらに話そうとすると、春申君は「私はもう先生のお考えが分かった」と言った。汗明は言った。「まだ分かりませんが、あなたの聖なることは堯と比べてどうですか」。春申君は「私がどうして堯に及びましょう」と言った。「では、あなたが私を測るとして、私は舜と比べてどうですか」。春申君は「先生こそ舜です」と言った。汗明は言った。「そうではありません。あなたのために申し上げましょう。あなたの賢は堯に及ばず、私の能は舜に及びません。賢者の舜が聖天子の堯に仕えて、三年かかってようやく互いを知ったのです。いまあなたは一度で私を知ったという。それではあなたは堯より聖で、私は舜より賢いことになります」。ある記録にこうある。「駿馬は伯楽だけがこれを知る。もしその時代に伯楽の眼がなければ、良馬であることは認められない。
解説

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