長短経 / 論士
《語》曰、“夫有國之主、不可謂舉國無深謀之臣、闔朝無智䇿之士、在聽察所考精與不精、審與不審爾何以明之?在昔漢祖、聽聰之主也、納陳恢之謀、則下南陽。不用婁敬之計、則困平城。廣武君者、策謀之士也。韓信納其計、則燕、齊舉。陳餘不用其謀、則泜水敗。由此觀之、不可謂事濟者有計䇿之士、覆敗者無深謀之臣。虞公不用宫之竒之謀、滅於晉、仇由不聽赤章之言、亡於智氏、蹇叔之哭、不能濟崤黽之覆、趙括之母、不能救長平之敗。此皆人主之聽、不精不審耳。天下之國、莫不皆有忠臣謀士也。
新字:《語》曰、“夫有国之主、不可謂舉国無深謀之臣、闔朝無智策之士、在聴察所考精与不精、審与不審爾何以明之?在昔漢祖、聴聰之主也、納陳恢之謀、則下南陽。不用婁敬之計、則困平城。広武君者、策謀之士也。韓信納其計、則燕、斉舉。陳余不用其謀、則泜水敗。由此観之、不可謂事済者有計策之士、覆敗者無深謀之臣。虞公不用宮之奇之謀、滅於晋、仇由不聴赤章之言、亡於智氏、蹇叔之哭、不能済崤黽之覆、趙括之母、不能救長平之敗。此皆人主之聴、不精不審耳。天下之国、莫不皆有忠臣謀士也。
書き下し
語に曰く「夫れ国有るの主は、挙国に深謀の臣無く、闔朝に智策の士無しと謂う可からず。聴察する所の考えの精と精ならざると、審らかなると審らかならざるとに在るのみ」と。何を以て之を明らかにせん。昔に在り、漢祖は聴聡の主なり。陳恢の謀を納れて、則ち南陽を下す。婁敬の計を用いずして、則ち平城に困しむ。広武君は策謀の士なり。韓信、其の計を納れて、則ち燕・斉挙がる。陳余、其の謀を用いずして、則ち泜水に敗る。此に由りて之を観れば、事の済る者に計策の士有り、覆敗する者に深謀の臣無しと謂う可からず。虞公は宮之奇の謀を用いずして、晋に滅ぼさる。仇由は赤章の言を聴かずして、智氏に亡ぶ。蹇叔の哭は、崤黽の覆えるを済う能わず。趙括の母は、長平の敗を救う能わず。此れ皆な人主の聴、精ならず審らかならざるのみ。天下の国、皆な忠臣謀士有らざるは莫きなり。
現代語訳
ある書物にこうある。「国を持つ君主について、国じゅうに深い謀の臣がおらず、朝廷に知略の士がいない、とは言えない。ただ、聞き取り見きわめる考えが精密かどうか、詳しいかどうかにあるだけだ」。なぜそう言えるのか。昔、漢の高祖は聞く耳の鋭い君主であった。陳恢の謀を受け入れて南陽を落とした。婁敬の計を用いずに平城で苦しんだ。広武君は策謀の士であった。韓信はその計を受け入れて燕と斉を平定した。陳余はその謀を用いずに泜水で敗れた。ここから見れば、事が成った者には計略の士がいて、覆って敗れた者には深い謀の臣がいなかった、とは言えない。虞公は宮之奇の謀を用いずに晋に滅ぼされた。仇由は赤章の言を聞かずに智氏に滅ぼされた。蹇叔の泣き声は崤と黽の敗北を救えなかった。趙括の母は長平の敗北を救えなかった。これらはみな君主の聞き方が精密でなく詳しくなかっただけである。天下の国で、忠臣や謀士がいない国はない。
解説

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