長短経 / 詭順
陳軫與張儀俱事秦惠王、惠王皆重之。二人争寵、儀惡軫於王曰、“軫重幣輕使秦、楚之間、将為交也。今楚不善於秦而善於軫、軫為楚厚為秦薄也。軫欲去秦而之楚、王何不聽之?”王乃召軫而問之。軫曰、“臣願之楚。臣出必故之楚、且明臣為楚與不也。昔楚有兩妻者、王聞之乎?”王曰、“弗聞。”
新字:陳軫与張儀倶事秦恵王、恵王皆重之。二人争寵、儀悪軫於王曰、“軫重幣軽使秦、楚之間、将為交也。今楚不善於秦而善於軫、軫為楚厚為秦薄也。軫欲去秦而之楚、王何不聴之?”王乃召軫而問之。軫曰、“臣願之楚。臣出必故之楚、且明臣為楚与不也。昔楚有両妻者、王聞之乎?”王曰、“弗聞。”
書き下し
陳軫、張儀と俱に秦の恵王に事う。恵王皆之を重んず。二人寵を争う。儀、軫を王に悪みて曰く「軫は幣を重くし使いを軽くして、秦・楚の間に使いし、将に交わりを為さんとす。今、楚は秦に善からずして軫に善し。軫は楚の為に厚く、秦の為に薄し。軫は秦を去りて楚に之かんと欲す。王何ぞ之を聴かざる」と。王乃ち軫を召して之を問う。軫曰く「臣は楚に之かんことを願う。臣出づれば必ず故に楚に之き、且つ臣の楚の為にするや否やを明らかにせん。昔、楚に両妻有る者あり。王之を聞くか」と。王曰く「聞かず」と。
現代語訳
陳軫と張儀はともに秦の恵王に仕え、恵王は二人とも重んじた。二人は寵愛を争った。張儀は陳軫を王に悪く言った。「陳軫は贈り物を重くし使者の務めを軽くして秦と楚の間を行き来し、楚と個人的な交わりを結ぼうとしています。いま楚は秦とは仲が悪いのに陳軫とは仲がよい。陳軫は楚には厚く秦には薄い。陳軫は秦を去って楚へ行こうとしています。王はなぜそれを許してやらないのですか」。王は陳軫を呼んで問いただした。陳軫は言った。「私は楚に行きたいと願っています。出るときは必ずわざわざ楚に行き、私が楚のためにしていたかどうかを明らかにしてみせます。昔、楚に妻を二人持つ男がいました。王はその話をお聞きになったことがありますか」。王は「聞いたことがない」と言った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・憲問篇公伯寮、子路を季孫に愬う。子服景伯以て告げて曰く、「夫子固より公伯寮に惑志有り。吾が力猶お能く諸を市朝に肆さん。」子曰く、「道の将に行われんとするや、命なり。道の将に廃れんとするや、命なり。公伯寮其れ命を如何せん。」
-
『甲陽軍鑑』品第四十七長坂長閑·跡部大炊助申す、それはあの旁、信玄公御心をよく存ぜられずしてさやう也、あの曲淵ほどの者は旗本の事は申すに及ばず、甲州·信州·上州へかけては二千も三千もあらん、其上主又は寄親をさやうに悪口申す、頭の下知につかざるは大悪事なりとて、則ち長坂長閑·跡部大炊介御機嫌を見合せ、曲淵が板垣弥次郎へ雑言の次第申上る、信玄公聞し召しおほきにわらひ給ふ、
-
説苑・雜言祁射子、秦の惠王に見え、惠王之を說ぶ。是に於いて唐姑之を讒し、復た見ゆるに、惠王怒りを懷きて以て之を待つ。其の說く所異なるに非ざるなり、聽く所の易わればなり。故に徵を以て羽と為すは、絃の罪に非ざるなり。甘きを以て苦しと為すは、味を限るの過ちなり。
-
論語・顔淵篇子張、明を問う。子曰く、「浸潤の譖、膚受の愬、行われざれば、明と謂う可きのみ。浸潤の譖、膚受の愬、行われざれば、遠しと謂う可きのみ。」
-
『甲陽軍鑑』品第十三ある時両人談合して己々が所領を沢山にとらんと思ひ、扇谷殿へ申けるは、御台所入り是なくして事不弁にましますに、家老衆は江戸河越の国中に徘徊の儀、末の御代にはあの衆の子共扇谷御子孫へ敵対申、御子孫は公方のごとく成給ひ家老衆は両上杉殿御仕合に少シもたがひ申まじ、御分別有べき由申上る処に扇谷殿武州江戸太田道灌を召寄殺し給ふ、是を聞て残る上田·見田·荻谷を始め道灌が一類城主共のことは申に及ばず少しも身を持たる衆大形身がまへクチ〳〵をいたし居、
-
『甲陽軍鑑』品第四十七彼落合彥介が七十にあまる老母を、ほうこほつしが手にわたし籠のうちにて、せつしころされたるは名代のはぢにてはなきか、すでに其方をば信玄公御意に、曲淵にも年こそおとる共、武篇の事はおとる者にてはなきとの上意にて御座ありつるぞ、今ははや臆病者と仰出され候は、みな平三郎が御取成しあしき申なし故なり、我等親子いたし、よきやうに仕度存ずれ共、平三郎が其方ことざまに申上候へば何とも可然様無之候、如何やうなることにて其方は平三郎ににくまれ候や、貴殿事三法印へ対せられて定めて当年中は何事もこれあるまじきが、年あけばやがて大事なりとさま〳〵源五郎が申をしへ、