長短経 / 三国権
時鄭度説璋曰、「左將軍襲我、兵不滿萬、士衆未附、野榖是資、計莫若盡驅巴西、梓潼人、内涪水以西、其倉稟野榖一皆燒除、髙壘深溝、静以待之。彼請戰不許、久無所資、不過百日、必將自走。走而擊之、則必禽矣。」璋不用度計。先主遂長驅、所過必克、而有巴蜀。
新字:時鄭度説璋曰、「左将軍襲我、兵不満万、士衆未附、野穀是資、計莫若尽駆巴西、梓潼人、内涪水以西、其倉稟野穀一皆焼除、高塁深溝、静以待之。彼請戦不許、久無所資、不過百日、必将自走。走而撃之、則必禽矣。」璋不用度計。先主遂長駆、所過必克、而有巴蜀。
書き下し
時に鄭度、璋に説きて曰く「左将軍我を襲うも、兵は万に満たず、士衆未だ附かず、野穀是れ資る。計は尽く巴西・梓潼の人を駆りて、涪水以西に内れ、其の倉廩野穀は一皆焼除し、高塁深溝、静かにして以て之を待つに若くは莫し。彼戦いを請うも許さず、久しくして資る所無くんば、百日に過ぎずして、必ず将に自ら走らんとす。走りて之を撃たば、則ち必ず禽にせん」と。璋、度の計を用いず。先主遂に長駆し、過ぐる所必ず克ちて、巴蜀を有つ。
現代語訳
このとき鄭度が劉璋に説いた。「左将軍が我々を襲ってきましたが、兵は一万に満たず、兵の心もまだつき従っておらず、野の穀物を頼りにしています。巴西と梓潼の民をすべて涪水の西へ移し、倉や野の穀物をすべて焼き払い、塁を高くし堀を深くして、静かに待つのが一番です。向こうが戦いを挑んでも応じず、長く頼るものがなければ、百日もたたずに必ず自ら退きます。退くところを撃てば、必ず捕らえられます」。劉璋は鄭度の計を用いなかった。劉備はついに長駆し、通るところすべてで勝ち、巴蜀を手に入れた。
解説
鄭度の焦土作戦は、劉備の弱点を正確に突いていました。兵は少なく、土地の人心はまだつかめず、食糧は現地調達に頼っている。ならば食べ物を焼き、戦わずに待てば、敵は自滅する。劉備は後にこの策を聞いて恐れたと伝わります。劉璋は民を苦しめる策を採れないと退けました。優しさと言えば優しさですが、国を守る責任を持つ者の選択としては、守るべきものを取り違えていたのです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
三国権鄭度劉璋焦土持久戦決断
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