長短経 / 息弁
漢元帝時、石顯專權。京房晏見、問上曰、“幽厲之君何以危?所任者、何人也。”上曰、“君不明而所任巧佞。”房曰、“知其巧佞而用之也?将以為賢?”上曰、“賢之。”房曰、“然則今何以知其不賢也?”上曰、“以其時亂而君危知之。”〔房曰、“齊桓公、秦二世亦嘗聞此君而非笑之。然則任豎刁、趙髙、政治日亂、盗賊滿山。何不以幽厲卜之而覺悟乎?”上曰、惟有道者、能以徃知來耳。”房曰、“陛下視今為治也?亂也?”上曰、“亦極亂耳。”房曰、“今所任用者誰歟?”上曰、“然幸其愈于彼、又以為不在此人也。”房曰、“夫前世二君、亦皆然耳。臣恐後之視今、如今之視前也。”〕此事迹者也。
新字:漢元帝時、石顕専権。京房晏見、問上曰、“幽厲之君何以危?所任者、何人也。”上曰、“君不明而所任巧佞。”房曰、“知其巧佞而用之也?将以為賢?”上曰、“賢之。”房曰、“然則今何以知其不賢也?”上曰、“以其時乱而君危知之。”〔房曰、“斉桓公、秦二世亦嘗聞此君而非笑之。然則任豎刁、趙高、政治日乱、盗賊満山。何不以幽厲卜之而覚悟乎?”上曰、惟有道者、能以往知来耳。”房曰、“陛下視今為治也?乱也?”上曰、“亦極乱耳。”房曰、“今所任用者誰歟?”上曰、“然幸其愈于彼、又以為不在此人也。”房曰、“夫前世二君、亦皆然耳。臣恐後之視今、如今之視前也。”〕此事迹者也。
書き下し
漢の元帝の時、石顕権を専らにす。京房、晏見して、上に問いて曰く「幽・厲の君は何を以て危うき。任ずる所の者は、何人ぞや」と。上曰く「君明らかならずして任ずる所巧佞なればなり」と。房曰く「其の巧佞なるを知りて之を用いたるか。将た以て賢と為したるか」と。上曰く「之を賢とせり」と。房曰く「然らば則ち今何を以て其の賢ならざるを知る」と。上曰く「其の時乱れて君危うきを以て之を知る」と。〔房曰く「斉の桓公・秦の二世も亦た嘗て此の君を聞きて之を非笑す。然れども豎刁・趙高を任じて、政治日に乱れ、盗賊山に満つ。何ぞ幽・厲を以て之を卜いて覚悟せざる」と。上曰く「惟だ道有る者のみ、能く往を以て来を知るのみ」と。房曰く「陛下は今を視て治と為すか、乱と為すか」と。上曰く「亦た極めて乱れたるのみ」と。房曰く「今、任用する所の者は誰ぞや」と。上曰く「然れども幸いに其の彼より愈れり。又た以て此の人に在らずと為す」と。房曰く「夫れ前世の二君も、亦た皆然るのみ。臣恐らくは後の今を視ること、猶お今の前を視るがごときなり」と。〕此れ事迹なる者なり。
現代語訳
漢の元帝のとき、石顕が権力を独占していた。京房は帝がくつろいでいるときに会って問うた。「周の幽王・厲王はなぜ危うくなったのでしょう。任じたのはどんな人でしたか」。帝は「君主が暗く、任じた者が口先巧みでへつらう者だったからだ」と言った。京房は「口先巧みでへつらう者だと知って用いたのですか、それとも賢いと思って用いたのですか」と問うと、帝は「賢いと思ったのだ」と言った。京房が「では、今どうしてその者たちが賢くなかったとわかるのですか」と問うと、帝は「その時代が乱れて君主が危うくなったことでわかる」と言った。〔京房は言った。「斉の桓公や秦の二世皇帝も、幽王・厲王の話を聞いて笑っていました。それなのに豎刁や趙高を任じて、政治は日に日に乱れ、盗賊は山に満ちました。なぜ幽王・厲王の例で占って悟らなかったのでしょう」。帝は「道のある者だけが過去から未来を知ることができるのだ」と言った。京房が「陛下は今を治まっていると見ますか、乱れていると見ますか」と問うと、帝は「ひどく乱れている」と言った。京房が「いま任用しているのは誰ですか」と問うと、帝は「それでも幸い、あの者たちよりはましだ。それに原因はこの人ではないと思う」と言った。京房は言った。「前代の二人の君主も皆、同じように考えていたのです。後世の人が今を見るのは、今の人が昔を見るのと同じになるのではないかと恐れます」。〕これが事の跡である。
解説
この章句が説くこと
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貞観政要・奢縦臣窃かに往代より以来の成敗の事を尋ぬるに、但だ黎庶の怨叛し、聚まりて盗賊と為るのみ有らば、其の国は即ち滅せざる無し。人主は悔い改めんと欲すと雖も、未だ重ねて能く安全なる者有らず。凡そ政教を修むるは、当に之を修むべきの時に之を修むべし。若し事変一たび起こりて、而る後に之を悔ゆれば、則ち益無きなり。故に人主は前代の亡ぶるを見る毎に、則ち其の政教の喪ぶる所以を知る。而して皆な其の身に失有るを知らず。是を以て殷の紂は夏の桀の亡ぶるを笑う。而して幽・厲も亦た殷の紂の滅ぶるを笑う。隋帝は大業の初め、又た周・斉の国を失うを笑う。然れども今の煬帝を視るは、亦た猶お煬帝の周・斉を視るがごときなり。故に京房は漢の元帝に謂いて云う、「臣は恐る、後の今を視るも、亦た猶お今の古を視るがごとからんことを」と。此の言は戒めざるべからざるなり。
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『長短経』君徳〔議に曰く、桓帝、侍中爰延に問いて曰く「朕は何如なる主ぞ」と。対えて曰く「漢の中主なり」と。「何となれば」と。「尚書令陳蕃、事に任ずれば則ち理まり、中常侍黄門、政に豫れば則ち乱る。是を以て陛下は与に善を為す可く、与に非を為す可きを知る。此れ中主の謂いなり」と。虞南曰く「夫れ岷江の初めて発するや、其の源は以て觴を濫す可し。其の遠きに及びてや、方舟して而る後に能く済る。元帝の時、弘恭・石顕に任ず。桓・霊に暨びては、加うるに単超・張譲を以てす。既に彝倫を斁り、遂に宗国を傾く。其の由りて来たる所の者、漸なり。故に曰く『熒熒として滅せずんば、炎炎を奈何せん』と。其の始めを慎むを言うなり。嗚呼、百代の後、其れ之を鑑みんかな」と。古語に曰く「寒き者は衣を為し易く、飢うる者は食を為し易し」と。晁錯曰く「夫れ国富強にして隣国乱るるは、帝王の資なり」と。此に由りて之を言えば、是れ昏乱の君は、将に以て聖徳を開かんとするを知るなり。〕
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『長短経』君徳昔、周の成は孺子を以て統を継ぎ、而して管・蔡四国の変有り。漢の昭は幼年にして即位し、亦た燕・蓋・上官の逆乱の謀有り。成王は周公を疑わず、漢昭は霍光に委任す。二主孰れをか先後と為さん。魏の文帝曰く「周の成王は聖考の休気を体し、賢妣の胎誨を稟く。周・召は保傅と為り、呂望は太師と為る。口、能く言えば則ち行人、辞を称し、足、能く履めば則ち相者、儀を導く。目は威容の美に厭き、耳は徳義の声に飽く。所謂玄流に沈漬して、清風に沐浴するなり。猶お咎悔有り、二叔の謗を聆きて、周公をして東遷せしむ。皇天赫怒し、厥の咎を顕明にして、然る後に乃ち寤む。周公の聖徳を亮とせずして、金縢の教言を信ず。豈に暗からずや。
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『長短経』君徳梁の元帝は聡明才学、克く禍乱を平らぐ。而るに卒に傾覆を致す。何ぞや。〔元帝は梁の武帝の第七子、名は繹。荊州刺史と為る。侯景を破り、荊州に都す。西魏の万紐于謹の来たり伐つ所と為り、帝を執えて之を害す。〕虞南曰く「梁元は聡明伎芸、才は文武を兼ぬ。順に仗りて逆を伐ち、克く家の冤を雪ぐ。功を成し事を遂ぐること、称するに足る者有り。但だ国難の後、傷夷未だ復せず。強寇の甘言を信じ、褊心を懐楚の蕃に襲ぐ。宗支を屏けて自ら讐敵と為る。孤遠懸僻にして、与に憂いを同じくする莫し。身亡び祚滅び、生人塗炭す。鄢・郢を挙げて之を棄つ。良に惜しむ可きなり」と。
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説苑・權謀石益孫伯に謂ひて曰く、「吳將に亡びんとす。吾子も亦た之を知るか」と。孫伯曰く、「晚し、子の之を知るや。吾何爲れぞ知らざらん」と。石益曰く、「然らば則ち子何ぞ以て諫めざる」と。孫伯曰く、「昔桀諫者を罪し、紂聖人を焚き、王子比干の心を剖く。袁氏の婦、絡して其の紀を失ふや、其の妾之を告げしに、怒りて之を棄つ。夫れ亡ぶる者は、豈に斯の人其の過を知らんや」と。
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『長短経』是非漢の文帝、虎圏に登り、嗇夫の口弁を美として、拝して上林令と為さんとす。張釈之、前みて曰く「陛下は絳侯周勃を以て何如なる人と為すや」と。上曰く「長者なり」と。又た問いて曰く「東陽侯張相如は何如なる人ぞ」と。上復た曰く「長者なり」と。釈之曰く「此の両人は事を言うに、曾て口より出す能わず。豈に此の嗇夫の喋喋として利口捷給なるに効わんや。且つ秦は刀筆の吏に任ずるを以て、争いて亟疾苛察を以て相い高しとす。然れども其の弊は、徒だ文具のみ。惻隠の実亡し。故を以て其の過ちを聞かず。陵遅して二世に至り、天下土崩す。今、陛下、嗇夫の口弁を以て之を超遷せば、臣恐る、天下、風に随いて靡き、口弁を争いて、其の実無からんことを。且つ下の上に化するは、影響より疾し。挙錯の間、審らかにせざる可からず」と。帝乃ち止む。