長短経 / 臣行
”對曰、“楊素是猛將、非謀將〔議曰、膽氣果敢、猛將也、淵而有謀、謀將也。、〕韓擒虎是鬭將、非領將〔議曰、奮㨗趫悍、鬭將也、御軍齊肅、領將也。、〕史萬歲是騎將、非大將〔議曰、領一偏師、所向無敵、騎將也、包羅英雄、使羣才各當其用、大將也。”〕太子曰、“善。”故自“六正”至於“問將”、皆人臣得失之效也。
新字:”対曰、“楊素是猛将、非謀将〔議曰、胆気果敢、猛将也、淵而有謀、謀将也。、〕韓擒虎是闘将、非領将〔議曰、奮捷趫悍、闘将也、御軍斉粛、領将也。、〕史万歳是騎将、非大将〔議曰、領一偏師、所向無敵、騎将也、包羅英雄、使羣才各当其用、大将也。”〕太子曰、“善。”故自“六正”至於“問将”、皆人臣得失之効也。
書き下し
隋の煬帝、東宮に在り、嘗て賀若弼に謂いて曰く「楊素・韓擒虎・史万歳の三人は、倶に良将と称す。其の間の優劣は何如」と。対えて曰く「楊素は是れ猛将にして謀将に非ず。〔議に曰く、胆気果敢なるは猛将なり。淵くして謀有るは謀将なり。〕韓擒虎は是れ闘将にして領将に非ず。〔議に曰く、奮捷趫悍なるは闘将なり。軍を御して斉粛なるは領将なり。〕史万歳は是れ騎将にして大将に非ず」と。〔議に曰く、一偏師を領して向かう所に敵無きは騎将なり。英雄を包羅して、群才をして各々其の用に当たらしむるは大将なり。〕太子曰く「善し」と。故に六正より問将に至るまで、皆な人臣の得失の効なり。
現代語訳
隋の煬帝が東宮にいたとき、賀若弼に尋ねた。「楊素・韓擒虎・史万歳の三人は、みな良将と称される。その間の優劣はどうか」。答えて言った。「楊素は猛将であって謀将ではありません。〔議していう。胆力があり果断なのが猛将である。深く謀があるのが謀将である。〕韓擒虎は闘将であって領将ではありません。〔議していう。奮い立って敏捷で荒々しいのが闘将である。軍を御して整え粛然とさせるのが領将である。〕史万歳は騎将であって大将ではありません」。〔議していう。一つの部隊を率いて向かうところ敵なしなのが騎将である。英雄を包み込んで、多くの人材にそれぞれの用を果たさせるのが大将である。〕太子は「よろしい」と言った。だから六正から将の問いに至るまで、みな臣下の得失のあらわれである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』量才太公曰く「多言多語、悪口悪舌、終日悪を言い、寝臥絶えず、衆の憎む所と為り、人の疾む所と為る。此れ閭巷を要遮し、姦を察し禍を伺わしむ可し。権数事を好み、夜臥し早く起き、劇しと雖も悔いず。此れ妻子の将なり。先に語りて事を察し、権勧して食を与え、実は長にして言を希にし、財物平均なり。此れ十人の将なり。忉忉截截、意を垂れて粛粛たり、諫言を用いず、数しば刑戮を行い、刑すれば必ず血を見、親戚を避けず。此れ百人の将なり。訟弁して勝つを好み、嫉賊侵陵し、人を斤るに刑を以てし、一衆を整えんと欲す。此れ千人の将なり。外貌怍怍として、言語時に出で、人の飢飽を知り、人の劇易に習う。此れ万人の将なり。戦戦慄慄、日に一日を慎み、賢に近づき謀を進め、人をして節を知らしめ、言語慢らず、忠心誠に畢る。此れ十万人の将なり。
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『長短経』臣行夫れ人臣、萌芽未だ動かず、形兆未だ見れざるに、昭然として独り存亡の機、得失の要を見、未然の前に予め禁じ、主をして超然として顕栄の処に立たしむ。此くの如き者は聖臣なり。心を虚しくし意を尽くし、日に善道を進め、主を勉ますに礼義を以てし、主を諭すに長策を以てし、其の美に将順し、其の悪を匡救す。此くの如き者は大臣なり。
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三略・上略軍讖に曰く、将は能く清く、能く静かに、能く平らかに、能く整い、能く諫を受け、能く訟を聴き、能く人を納れ、能く言を採り、能く国俗を知り、能く山川を図り、能く険難を表し、能く軍権を制す、と。故に曰く、仁賢の智、聖明の慮、負薪の言、廊廟の語、興衰の事は、将の宜しく聞くべき所なり、と。将たる者、能く士を思うこと渇するが如くなれば、則ち策は従わる。夫れ将、諫を拒めば、則ち英雄散ず。策従われざれば、則ち謀士叛く。善悪同じければ、則ち功臣倦む。己を専らにすれば、則ち下は咎を帰す。自ら伐れば、則ち下は功少なし。讒を信ずれば、則ち衆は心を離す。財を貪れば、則ち奸は禁ぜられず。内顧すれば、則ち士卒は淫る。将に一有れば、則ち衆服せず。二有れば、則ち軍に式無し。三有れば、則ち下は奔北す。四有れば、則ち禍は国に及ぶ。
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『長短経』君徳或るひと曰く「周武の雄才武略、身は士卒に先んず。若し天、之に年を仮し、其の兵算を尽くさしめば、必ず能く宇内を平らげ、一代の明主と為らんか」と。虞南曰く「周武は驍勇果毅、人に出づるの略有り。其の躬を卑しくし士を厲まし、法令厳明なるを観れば、勾践・穰苴と雖も、天下に聞こゆること無し。此れ猛将の任にして、人君の度量に非ざるなり」と。此に由りて之を観れば、夫れ乱を撥むるの主は、当に先ず相を収め将を獲るを以て本と為すべし。一身善く戦うは、恃むに足らざるなり。故に劉向曰く「人を知る者は王道なり、事を知る者は臣道なり。伎芸善く戦うは、何ぞ益あらんや」と。〕
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『臣軌』卷上 公正章六正。一に曰く、萌芽未だ動かず、形兆未だ見れざるに、照然として独り存亡の機、得失の要を見、未然の前に予め禁じ、主をして超然として顕栄の処に立たしむ。かくの如き者は聖臣なり。二に曰く、心を虚しくし意を白くし、善を進め道を通じ、主を勉ますに礼義を以てし、主を諭すに長策を以てし、その美に将順し、その悪を匡救す。功成り事立ちて、善を君に帰し、敢えて独りその労を伐らず。かくの如き者は大臣なり。三に曰く、身を畢くし体を賤しくし、夙に興き夜に寐ね、賢を進めて懈らず、しばしば往古の行事を称して以て主意を励まし、庶わくは益有りて以て国家を安んぜんとす。かくの如き者は忠臣なり。四に曰く、成敗を察見し、早く防ぎてこれを救い、引きてこれを復し、その間を塞ぎ、その源を絶ち、禍を転じて以て福と為し、君をして終に憂い無からしむ。かくの如き者は智臣なり。五に曰く、文を守り法を奉じ、官に任じ事を職とし、禄を辞し賜を譲り、贈遺を受けず、衣服は端斉、食飲は節素なり。かくの如き者は貞臣なり。六に曰く、国家昏乱すれば、為す所諛わず、然して敢えて主の厳顔を犯し、面して主の過失を言い、その誅を辞せず、身死して国安んずれば、行う所を悔いず。かくの如き者は直臣なり。これを六正と謂うなり。
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『長短経』臣行虞南曰く「昔、顧雍の侯に封ぜらるるの日、家人知らず。前代、其の質重を称し、以て偶と為す莫し。夫れ東晋の衰微を以て、彊場日に駭く。況んや永固〔苻堅の字なり。〕は六夷の英主にして、親ら百万を率い、苻融は儁才の名相にして、鋭を執りて先駆す。虎狼の爪牙を厲まし、長蛇の鋒鍔を騁す。先ず賓館を築きて、以て晋君を待つ。強弱を論ずれば、鴻毛と太山と、喩えと為すに足らず。文靖は深く桓沖の援を拒み、謝玄の書を喜ばず。則ち勝敗の数は、固より已に胸中に存するなり。夫れ斯の人や、豈に区々たる万戸の封を以て、其の方寸を動かす者ならんや。若し其の度量を論ぜば、近古以来、未だ其の匹を見ず」と。