長短経 / 覇図
魏將王肅攻司州、帝破之、以功封建康郡男、齊明帝崩、東昏即位。遺詔以帝為都督、雍州刺史〔東昏時、劉暄等六人更直省内、分日帖勅世謂「六貴」。又有御刀等八人、號曰、「八要」。皆口擅王言、權行國憲。帝謂王𢎞䇿曰、「政出多門、亂是階矣。當今避禍、唯有此地、勤行仁義、可坐作西伯、但諸弟在都、恐罹時患也、須與益州圖之耳。時上長兄懿罷益州、還仍行郢州事、帝與謀、不從、懿尋被害也。〕
新字:魏将王粛攻司州、帝破之、以功封建康郡男、斉明帝崩、東昏即位。遺詔以帝為都督、雍州刺史〔東昏時、劉暄等六人更直省内、分日帖勅世謂「六貴」。又有御刀等八人、号曰、「八要」。皆口擅王言、権行国憲。帝謂王弘策曰、「政出多門、乱是階矣。当今避禍、唯有此地、勤行仁義、可坐作西伯、但諸弟在都、恐罹時患也、須与益州図之耳。時上長兄懿罷益州、還仍行郢州事、帝与謀、不従、懿尋被害也。〕
書き下し
魏将王肅、司州を攻む。帝、之を破る。功を以て建康郡男に封ぜらる。斉の明帝崩じ、東昏即位す。遺詔して帝を以て都督、雍州刺史と為す。〈東昏の時、劉暄等六人、更々省内に直し、日を分かちて帖勅す。世に六貴と謂う。又た御刀等八人有り、号して八要と曰う。皆な口に王言を擅にし、権もて国憲を行う。帝、王弘策に謂いて曰く「政、多門より出づれば、乱、是れ階なり。当今、禍を避くるは、唯だ此の地有るのみ。勤めて仁義を行わば、坐して西伯と作る可し。但だ諸弟の都に在る、時患に罹らんことを恐るるなり。須らく益州と之を図るべきのみ」と。時に上の長兄懿、益州を罷め、還りて仍りて郢州の事を行う。帝、与に謀るも、従わず。懿、尋いで害せらるるなり。〉
現代語訳
魏の将軍王肅が司州を攻めた。蕭衍はこれを破った。功によって建康郡男に封じられた。斉の明帝が崩じ、東昏侯が即位した。遺詔によって蕭衍を都督、雍州刺史とした。〈東昏侯の時代、劉暄ら六人が代わる代わる宮中で宿直し、日を分けて勅書に署名した。世に六貴と呼ばれた。また御刀などの八人がいて、八要と呼ばれた。みな口で王の言葉をほしいままにし、権勢で国の法を行った。蕭衍は王弘策に言った。「政令が多くの門から出れば、乱の階段である。いま禍を避けるには、この土地しかない。努めて仁義を行えば、座ったまま西伯になれる。ただ弟たちが都にいて、時の災いに遭うことを恐れる。益州とともに図るべきだ」。当時、長兄の蕭懿は益州の任を解かれ、戻って郢州の政務を執っていた。蕭衍は相談したが、従わなかった。蕭懿はまもなく殺された。〉
解説
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関連する章句
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『長短経』覇図斉の太祖高皇帝、諱は道成、姓は蕭氏、東海蘭陵の人なり。輔国将軍と為る。宋の明帝の初め、会稽太守尋陽王子房及び東に在る諸郡、兵を起こす。徐州刺史薛安都、彭城に拠りて魏に帰し、従子の索児を遣わして淮陰を攻めしむ。晋安王勛、臨川内史張淹を遣わして鄱陽の道より三呉に入らしむ。帝、並びに之を討ち平らげ、淮陰に鎮せしむ。七年、徴して都に還る。〈宋の明帝、帝の人臣の相に非ざるを嫌う。而して人間に帝を天子と為すと流言す。愈々以て疑いを為す。帝、初め徴せらるるを見て、部下、徴に就く勿かれと勧む。帝曰く「主上、自ら諸弟を誅するは、太子の幼弱なるが為に、万歳の後の計を作すなり。何ぞ他族に関せんや。唯だ応に速やかに発すべし。緩くんば当に疑わるべし。骨肉相い残するは、自ら霊長の運に非ず。禍難方に興る。卿等と力を戮せん」と。〉
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『長短経』覇図長兄懿、害せられ、帝、義を起こす。〈僚佐を召して庁事に集め、告ぐるに兵を挙ぐるを以てす。是の日、牙を建つ。先に是れ、東昏、劉山陽を以て巴西太守と為し、荊州を過ぎて行事に就かしむ。蕭穎冑、以て襄陽を襲わしめんとす。帝、其の謀を知り、乃ち王天武を遣わして江陵に詣らしめ、遍く州府の人と書し、軍事を論ぜしむ。天武既に発す。帝、弘策に謂いて曰く「今日、坐して天下を収めん。荊州、天武の至るを得ば、必ず回惶して計無からん。若し同ぜられずんば、之を取ること芥を拾うが如きのみ。三峡を断ち、巴蜀に拠り、兵を分かちて湘中を定めば、便ち全く上流を有たん。此の威声を以て、九派に臨み彭蠡を断ち、檄を江南に伝えば、風の草を靡かすも、比ぶるに足らざるなり。政に小しく日月を延引するのみ。江陵は本と襄陽の人を憚る。加うるに唇亡び歯寒し。必ず孤立せざらん。寧んぞ同ぜられざるを得んや」と。
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『長短経』覇図荊州刺史沈攸之、反す。帝、之を討つ。〈初め、攸之、太后の命と称し、已に都に下る。袁粲・劉秉等、帝の威名の日に盛んなるを見て、自ら安んぜず、攸之と通謀し、事を殿内に挙ぐ。帝、王敬則に命じて殿内に於て之を誅せしむ。〉位を進めて相国と為し、斉公に封じ、九錫を備う。〈策に曰く「朕、不造を以て、夙に旻凶に罹る。嗣君、徳を失い、書契未だ紀せず。五行を威侮し、九族を虔劉す。神は厭き霊は斁れ、海水群飛す。綴旒の殆きも、未だ譬うるに足らず。豈に直だ小宛の刺を興し、黍離の歌を作すのみならんや。天、皇宋を賛け、実に明宰を啓く。爰に寡昧に登り、大業を纂承す。高勲至徳、振古絶倫なり。保衡の殷を翼け、博陸の漢を匡すと雖も、斯に方ぶれば蔑如たるなり。今、将に公に典礼を授けんとす。其れ敬みて朕が命を聴け。乃者、袁・劉、禍を構え、実に繁く徒有り。子房、臣ならず、兵を称して乱に協す。宮掖を顧瞻するに、将に茂草を成さんとす。邦国を言念するに、翦ちて仇讐と為る。此の時に当たり、人に固き志無し。袂を投じて難に徇い、超然として奮発す。戎車に登りて路を戒め、金版を執りて先駆す。麾鉞一たび臨めば、凶党は氷のごとく泮く。此れ則ち覇業の基、勤王の始めなり。
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『長短経』覇図常侍を拝するに至る。明帝崩じ、遺詔して袁粲と共に機事を掌らしむ。江州刺史桂陽王休範、兵を挙げて反す。帝、討ちて之を平らぐ。〈初め、範の兵を挙ぐるや、朝廷惶駭す。帝と褚彦回と、中書省に集まりて計議す。言う者有る莫し。帝曰く「昔、上流の謀逆は、皆な淹緩に因りて敗る。休範、必ず遠く前失を懲り、軽兵もて急ぎ下り、吾が備え無きに乗ぜん。請う、新亭に頓して、以て其の鋒に当たらん」と。因りて筆を索めて議を下す。余も並びに注して同ず。乃ち単車白服にて新亭に出づ。塁を築くこと未だ畢わらざるに、賊騎交々至る。乃ち衣を解き高く臥して以て衆心を安んず。竟に之を破るなり。〉
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『長短経』覇図壬午、帝、石頭に鎮し、衆軍に命じて六門を囲ましむ。衛尉張稷、東昏を斬り、黄油もて首を裏みて軍に送る。〈帝、呂僧珍に命じて兵を勒して府庫を封ぜしむ。及び図籍もて潘妃を収め、之を誅す。宮女二千人を以て分かちて将士に賚うなり。〉京邑を平らげ、斉の和帝、位を以て梁に禅る。帝、即位す。斉の司徒侯景、十三州を以て内属す。侯景、反す。京師に至り、帝を幽して崩ず。〈天監中、釈宝誌、詩を為りて曰く「昔年三十八、今年八十三、四中復た四有り、城北の火酣酣たり」と。帝、封じて之を記す。帝、三十八にして建業に克ち、八十三にして火災に遇う。元年四月十四日、同泰寺の火災なり。皆な其の言の如し。此れ之を謂うなり。〉
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『長短経』覇図戊申、帝、襄陽より発す。〈帝、弟を留めて襄陽城を守らしめ、謂いて曰く「当に心を襄陽の人の腹中に置き、誠を推して之を信ずべし。疑う勿かれ。天下一家にして、乃ち当に相い見ゆべし」と。〉郢・魯の諸城及び諸将、並びに降る。〈初め、東昏、皆な呉子陽の十三軍を遣わして郢州を救わしめ、進みて巴口に拠る。帝、王茂に命じて師を潜めて加湖を襲わしむ。子陽竄走し、衆は尽く江に溺る。郢・魯の二城、相い視て気を奪わる。先に是れ、東昏、陳伯之をして江州に鎮せしめ、子陽の声援と為す。帝、諸将に謂いて曰く「夫れ征討は必ずしも実力を須いず、威声を聴くのみ。今、加湖の敗、誰か讋服せざらん。陳武牙は即ち伯之の子なり。狼狽して奔り帰る。彼の人の情、当に凶懼すべし。我謂えらく九江は檄を伝えて定む可きなり」と。因りて命じて獲る所の俘囚を捜し、伯之の憧主蘇隆之を得たり。厚く賞賜を加え、命を致さしむ。魯山・郢城、並びに降る。伯之及び子武牙、帝の至るを見て、並びに甲を束ねて罪を請う。〉