長短経 / 論士
致清白之士、修其禮、致守節之士、修其道。”何以明之?郭隗說燕昭王曰、“帝者與師處、王者與友處、霸者與臣處、亡國者與厮役處。詘指而事之、北靣受學、則百已者至、先趨而後息、先問而後黙則什己者至、人趨已趨、則若已者至、憑几據杖、眄視指使、則厮役之人至、恣睢奮擊、呴藉叱咄、則徒隸之人至矣。”此乃古之服道致士者也。
新字:致清白之士、修其礼、致守節之士、修其道。”何以明之?郭隗説燕昭王曰、“帝者与師処、王者与友処、覇者与臣処、亡国者与厮役処。詘指而事之、北面受学、則百已者至、先趨而後息、先問而後黙則什己者至、人趨已趨、則若已者至、憑几拠杖、眄視指使、則厮役之人至、恣睢奮撃、呴藉叱咄、則徒隸之人至矣。”此乃古之服道致士者也。
書き下し
清白の士を致すには、其の礼を修む。守節の士を致すには、其の道を修む」と。何を以て之を明らかにせん。郭隗、燕の昭王に説きて曰く「帝者は師と処り、王者は友と処り、覇者は臣と処り、亡国者は厮役と処る。指を詘めて之に事え、北面して学を受くれば、則ち百己なる者至る。先ず趨りて後に息い、先ず問いて後に黙すれば、則ち什己なる者至る。人趨れば己も趨れば、則ち己に若く者至る。几に憑り杖に拠り、眄視指使すれば、則ち厮役の人至る。恣睢奮撃し、呴藉叱咄すれば、則ち徒隷の人至らん」と。此れ乃ち古の道に服して士を致す者なり。
現代語訳
清廉潔白の士を招くには、礼を整える。節を守る士を招くには、道を整える」。なぜそう言えるのか。郭隗が燕の昭王に説いて言った。「帝者は師とともに居り、王者は友とともに居り、覇者は臣とともに居り、亡国の君は下僕とともに居る。身をかがめて仕え、北面して教えを受ければ、自分の百倍の者がやって来る。先に走り出て後に休み、先に問うて後に黙れば、自分の十倍の者がやって来る。人が走るのを見て自分も走る程度なら、自分と同じ程度の者がやって来る。机にもたれ杖に寄りかかり、横目で見て指図するだけなら、下僕がやって来る。恣意的に怒鳴りつけ、叱り飛ばすなら、囚人のような者がやって来る」。これが昔の、道に服して士を招いた者のやり方である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『長短経』論士臣聞く、黄石公曰く「昔、太平の時は、諸侯は二師、方伯は三師、天子は六師なり。世乱るれば則ち叛逆生ず。王沢竭き、盟誓相い罰し、徳同じくして以て相い加うる無ければ、乃ち英雄の心を攬る」と。故に曰く、人を得れば則ち興り、士を失えば則ち崩る。何を以て之を明らかにせん。昔、斉の桓公、小臣稷を見んとす。一日に三たび往きて見るを得ず。従者之を止む。桓公曰く「士の爵禄に傲る者は、固より其の主を軽んず。其の主の覇王に傲る者は、亦た其の士を軽んず。縦い夫子、爵禄に傲るとも、吾れ庸ぞ敢えて覇王に傲らんや」と。五たび往きて後に見るを得たり。
-
『長短経』量才孫武曰く「主は孰れか道有る」と。〔昔、漢王滎陽に囲まるるを見て、陳平に謂いて曰く「天下紛紛たり、何れの時にか定まらん」と。平曰く「項王の人と為り、恭敬にして人を愛す。士の廉節礼を好む者は多く之に帰す。功を行い爵邑を賞するに至りては、之を重んず。士も亦た此を以て附かず。今、大王は人に嫚りて礼少なし。士の頑鈍にして利を嗜み恥無き者は、亦た多く漢に帰す。誠に宜しく各々両短を去り、其の両長を集むべし。天下は指麾すれば即ち定まらん」と。
-
孟子・盡心章句下孟子曰く、「仁賢を信ぜざれば、則ち國空虚なり。禮義無ければ、則ち上下亂る。政事無ければ、則ち財用足らず。」 <解説> 国の大事として、仁賢・禮義・政事の三者を挙げているが、尹氏云う、「三者、仁賢を以て本と為す、仁賢無ければ、則ち禮義・政事、之に處りて皆其の道を以てせず。」と。乃ち三者の中でも仁賢が最も根本であり、仁者・賢者がおればこそ、国の禮義や政治政策は善く行われるということである。
-
『韓非子』亡徵第十五境内の傑、事とされずして、封外の士を求め、功伐を以て課試せずして、好んで名問を以て舉錯し、羈旅起り貴くして以て故常を陵ぐ者は、亡ぶ可きなり。
-
史記 管晏列伝管仲夷吾は、潁上の人なり。少き時常に鮑叔牙と游び、鮑叔、其の賢なるを知れり。管仲貧困にして、常に鮑叔を欺くも、鮑叔、終に善く之を遇し、以て言を為さず。已にして鮑叔、斉の公子小白に事へ、管仲は公子糾に事ふ。小白立ちて桓公と為り、公子糾死するに及び、管仲囚はる。鮑叔遂に管仲を進む。管仲既に用ひられ、政に斉に任ず。斉の桓公以て覇たり、諸侯を九合し、天下を一匡したるは、管仲の謀なり。
-
史記 孫子呉起列伝呉起是に於いて魏の文侯の賢なるを聞き、之に事へんと欲す。文侯、李克に問ひて曰く、「呉起は何如なる人ぞ」と。李克曰く、「起は貪にして色を好む。然れども兵を用ゐるは、司馬穰苴も過ぐる能はざるなり」と。是に於いて魏の文侯以て将と為し、秦を撃ち、五城を抜く。