長短経 / 五間
晉時、益州牧羅尚遣隗伯攻李雄于郫城、迭有勝負。雄乃募武都人朴泰、鞭之見血、使譎羅尚、欲為内應、以火為期。尚信之、悉出精兵、遣隗伯等率領從泰。李雄先使李驤于道設伏、泰以長梯倚城而舉火、伯軍見火起、皆争縁梯。泰又以繩汲上尚軍百餘人、皆斬之。雄因放兵、内外擊之、大破尚軍。此用内間之勢也。
新字:晋時、益州牧羅尚遣隗伯攻李雄于郫城、迭有勝負。雄乃募武都人朴泰、鞭之見血、使譎羅尚、欲為内応、以火為期。尚信之、悉出精兵、遣隗伯等率領従泰。李雄先使李驤于道設伏、泰以長梯倚城而舉火、伯軍見火起、皆争縁梯。泰又以縄汲上尚軍百余人、皆斬之。雄因放兵、内外撃之、大破尚軍。此用内間之勢也。
書き下し
晋の時、益州牧羅尚、隗伯をして李雄を郫城に攻めしめ、迭いに勝負有り。雄乃ち武都の人朴泰を募り、之を鞭ちて血を見わし、羅尚を譎き、内応を為さんと欲し、火を以て期と為さしむ。尚之を信じ、悉く精兵を出だし、隗伯等を遣わして率領して泰に従わしむ。李雄は先に李驤をして道に伏を設けしむ。泰は長梯を以て城に倚せて火を挙ぐ。伯の軍火の起こるを見て、皆争いて梯に縁る。泰又た縄を以て尚の軍百余人を汲み上げ、皆之を斬る。雄因りて兵を放ち、内外より之を撃ち、大いに尚の軍を破る。此れ内間を用うるの勢いなり。
現代語訳
晋の時、益州牧羅尚は隗伯に郫城の李雄を攻めさせ、勝ったり負けたりした。李雄は武都の人朴泰を募り、血が出るほど鞭打って、羅尚を欺かせ、城内から内応すると申し出させ、火を合図にすると約束させた。羅尚はこれを信じ、精兵をすべて出し、隗伯らに率いさせて朴泰に従わせた。李雄は先に李驤に道に伏兵を置かせていた。朴泰は長い梯子を城壁に立てかけて火を上げた。隗伯の軍は火が上がるのを見て、皆争って梯子を登った。朴泰はまた縄で羅尚の兵百余人を城の上に引き上げ、皆斬った。李雄はそこで兵を放ち、内外から撃って、羅尚の軍を大いに破った。これが内間を用いた形勢である。
解説

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