長短経 / 覇図
奉天子反正、因居將相之任、封豫州郡公、蜀賊譙縱稱王、髙祖遣將征平之〔髙祖使朱齡石率衆二萬、自江陵伐蜀。髙祖誡曰、「劉敬宣往出黄武、無功而退。今者師出、應道青衣、賊料我當出其不意、復從内水。如此、則涪城之戍必有重兵、若逼黄武、正墮其計。今軍自外水出、取城都、疑兵向黄武、此制敵之上䇿。為書於函、署曰、「至白帝發。」諸將雖行、未知所趨。及至白帝、乃發書、言衆軍悉由外水、臧熹自中水出廣漢。使羸弱乘髙檻千餘向黄武。譙縱果至譙道福重兵守涪城、朱齡石次彭模、拒成都二百里。
新字:奉天子反正、因居将相之任、封予州郡公、蜀賊譙縦称王、高祖遣将征平之〔高祖使朱齢石率衆二万、自江陵伐蜀。高祖誡曰、「劉敬宣往出黄武、無功而退。今者師出、応道青衣、賊料我当出其不意、復従内水。如此、則涪城之戍必有重兵、若逼黄武、正堕其計。今軍自外水出、取城都、疑兵向黄武、此制敵之上策。為書於函、署曰、「至白帝発。」諸将雖行、未知所趨。及至白帝、乃発書、言衆軍悉由外水、臧熹自中水出広漢。使羸弱乗高檻千余向黄武。譙縦果至譙道福重兵守涪城、朱齢石次彭模、拒成都二百里。
書き下し
天子を奉じて反正し、因りて将相の任に居り、豫州郡公に封ぜらる。蜀の賊譙縦、王と称す。高祖、将を遣わして征して之を平らぐ。〈高祖、朱齢石をして衆二万を率い、江陵より蜀を伐たしむ。高祖、誡めて曰く「劉敬宣、往きて黄武に出で、功無くして退く。今者、師出づるに、応に青衣に道すべし。賊、我が当に其の不意に出づべく、復た内水に従うと料らん。此くの如くんば、則ち涪城の戍に必ず重兵有らん。若し黄武に逼らば、正に其の計に堕つ。今、軍、外水より出でて城都を取り、疑兵を黄武に向かわしめよ。此れ敵を制するの上策なり」と。書を函に為り、署して曰く「白帝に至りて発け」と。諸将、行くと雖も、未だ趨く所を知らず。白帝に至るに及び、乃ち書を発く。言う、衆軍は悉く外水に由り、臧熹は中水より出でて広漢へ、と。羸弱をして高檻千余に乗じて黄武に向かわしむ。譙縦、果たして譙道福の重兵を涪城に守るに至る。朱齢石、彭模に次し、成都を拒つこと二百里。
現代語訳
天子を奉じて正統を回復し、将軍と宰相の任について、豫州郡公に封じられた。蜀の賊譙縦が王と称した。高祖は将を遣わして征伐し平らげた。〈高祖は朱齢石に二万の兵を率いさせ、江陵から蜀を伐たせた。高祖は戒めて言った。「劉敬宣は以前、黄武へ出て功なく退いた。今回、軍を出すには青衣を通るべきだ。賊は、我々が不意を突いてまた内水から来ると予測するだろう。そうなれば涪城の守りに必ず重兵が置かれる。もし黄武に迫れば、まさにその計に落ちる。いま軍は外水から出て成都を取り、疑わせる兵を黄武へ向かわせよ。これが敵を制する最上の策だ」。書を箱に入れ、「白帝に着いてから開けよ」と書いた。諸将は出発したが、どこへ向かうか知らなかった。白帝に着いて書を開いた。全軍は外水を通り、臧熹は中水から出て広漢へ、とあった。弱い兵には高い屋形船千余に乗せて黄武へ向かわせた。譙縦は果たして譙道福の重兵を涪城に置いて守らせた。朱齢石は彭模に宿営し、成都まで二百里の距離になった。
解説

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