長短経 / 正論
〔司馬談曰、“隂陽之術大詳、而衆忌諱、使人拘而多畏、然其叙四時之大順、不可失也。夫隂陽、四時、八位、十二度、二十四節、各有教令。曰、順之者昌、逆之者亡、未必然也。故曰、使人拘而多忌。夫春生、夏長、秋收、冬藏、此天之大經、弗順則無以為天下紀綱。故曰、叙四時之大順。不可失也。”
新字:〔司馬談曰、“陰陽之術大詳、而衆忌諱、使人拘而多畏、然其叙四時之大順、不可失也。夫陰陽、四時、八位、十二度、二十四節、各有教令。曰、順之者昌、逆之者亡、未必然也。故曰、使人拘而多忌。夫春生、夏長、秋収、冬蔵、此天之大経、弗順則無以為天下紀綱。故曰、叙四時之大順。不可失也。”
書き下し
〈司馬談曰く「陰陽の術は大いに詳らかにして、忌諱すること衆く、人をして拘りて畏るること多からしむ。然れども其の四時の大順を叙するは、失う可からざるなり。夫れ陰陽・四時・八位・十二度・二十四節は、各々教令有り。曰く、之に順う者は昌え、之に逆らう者は亡ぶ、と。未だ必ずしも然らざるなり。故に曰く、人をして拘りて忌むこと多からしむ、と。夫れ春に生じ、夏に長じ、秋に収め、冬に蔵するは、此れ天の大経なり。順わざれば則ち以て天下の紀綱と為す無し。故に曰く、四時の大順を叙するは、失う可からざるなり、と」と。
現代語訳
〈司馬談はこう言った。「陰陽の術はきわめて細かく、忌み避けることが多く、人を縛って恐れを増やす。しかし四季の大きな順序を述べたところは、捨てられない。陰陽・四季・八方位・十二度・二十四節気には、それぞれ教えと決まりがある。これに従う者は栄え、逆らう者は滅びるという。必ずしもそうではない。だから人を縛って忌み事を増やすというのだ。しかし春に生じ、夏に伸び、秋に収め、冬に蔵するのは天の大きな筋道である。これに従わなければ天下の綱紀とするものがない。だから四季の大きな順序を述べたところは捨てられないというのだ」。
解説
従えば栄え逆らえば滅びる、という断定を司馬談は必ずしもそうではないと退けます。しかし季節の順序だけは捨てられない。春に生じ夏に伸び秋に収め冬に蔵する。この当たり前のリズムを守らなければ、社会の綱紀の土台がなくなる。占いの部分を切り捨てて、周期の部分だけを残す。ある学問から使える核を抜き出す作業の見本です。
この章句が説くこと
正論陰陽家司馬談四時忌諱周期
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『淮南子』天文訓夏日至れば則ち陰陽に乘ず。是を以て萬物就きて死す。冬日至れば則ち陽陰に乘ず。是を以て萬物仰ぎて生ず。晝なる者は陽の分、夜なる者は陰の分なり。是を以て陽氣勝てば則ち日修くして夜短く、陰氣勝てば則ち日短くして夜修し。帝四維を張り、之を運らすに斗を以てす。月ごとに一辰を徙り、復た其の所に反る。正月は寅を指し、十二月は丑を指し、一歲にして匝り、終わりて復た始まる。寅を指せば、則ち萬物螾螾たるなり、律は太蔟を受く。太蔟なる者は、蔟りて未だ出でざるなり。卯を指せば、卯は則ち茂茂然たり、律は夾鐘を受く。夾鐘なる者は、種始めて莢するなり。辰を指せば、辰は則ち之を振るうなり、律は姑洗を受く。姑洗なる者は、陳きもの去りて新しきもの來たるなり。巳を指せば、巳は則ち生已に定まるなり、律は仲呂を受く。仲呂なる者は、中充ちて大なるなり。午を指せば、午なる者は、忤なり、律は蕤賓を受く。蕤賓なる者は、安んじて服するなり。未を指せば、未は、昧なり、律は林鐘を受く。林鐘なる者は、引きて止むるなり。申を指せば、申なる者は、之を呻くなり、律は夷則を受く。夷則なる者は、其の則を易うるなり、德以て去るなり。酉を指せば、酉なる者は、飽なり、律は南呂を受く。南呂なる者は、任じて大を包むなり。戌を指せば、戌なる者は、滅なり、律は無射を受く。無射は、入りて厭く無きなり。亥を指せば、亥なる者は、閡なり、律は應鐘を受く。應鐘なる者は、其の鐘に應ずるなり。子を指せば、子なる者は、茲なり、律は黃鐘を受く。黃鐘なる者は、鐘已に黃なるなり。丑を指せば、丑なる者は、紐なり、律は大呂を受く。大呂なる者は、旅旅として去るなり。其の卯酉に加うれば、則ち陰陽分かれ、日夜平らかなり。故に曰く、規は生じ矩は殺し、衡は長じ權は藏し、繩は中央に居りて、四時の根と為る、と。