長短経 / 覇図
齊桓公欲弱楚、乃鑄錢、市生鹿於楚。楚聞之、喜、廢耕而獵鹿、桓公藏粟五倍。楚足錢而乏粟。桓公乃閉關、楚降者十四五。及柯之盟、桓公欲倍曹沫之約、管仲因而信之、諸侯由是歸齊。故其稱曰、「知與之為取、政之寳也。鄭桓公欲襲鄶、先問鄶之豪傑、良臣、辯士、書其名姓、擇鄶之良田貽之、為官爵之名而書之、因為疆場郭門之外而埋之、釁以鷄猳之血。鄶君以為内難也、盡殺之。桓公因襲鄶。此皆諸侯恣行、天子之令不行也。〕
新字:斉桓公欲弱楚、乃鋳銭、市生鹿於楚。楚聞之、喜、廃耕而猟鹿、桓公蔵粟五倍。楚足銭而乏粟。桓公乃閉関、楚降者十四五。及柯之盟、桓公欲倍曹沫之約、管仲因而信之、諸侯由是帰斉。故其称曰、「知与之為取、政之宝也。鄭桓公欲襲鄶、先問鄶之豪傑、良臣、弁士、書其名姓、択鄶之良田貽之、為官爵之名而書之、因為疆場郭門之外而埋之、釁以鶏猳之血。鄶君以為内難也、尽殺之。桓公因襲鄶。此皆諸侯恣行、天子之令不行也。〕
書き下し
斉の桓公、楚を弱めんと欲し、乃ち銭を鋳て、生鹿を楚に市う。楚之を聞きて喜び、耕を廃して鹿を猟る。桓公、粟を蔵すること五倍。楚は銭足りて粟乏し。桓公乃ち関を閉ざす。楚の降る者十に四五。柯の盟に及び、桓公、曹沫の約に倍かんと欲す。管仲因りて之を信にす。諸侯是に由りて斉に帰す。故に其の称に曰く「与うるの取ると為るを知るは、政の宝なり」と。鄭の桓公、鄶を襲わんと欲し、先ず鄶の豪傑・良臣・弁士を問い、其の名姓を書し、鄶の良田を択びて之に貽り、官爵の名を為りて之を書し、因りて疆場郭門の外に為りて之を埋め、釁るに鶏猳の血を以てす。鄶君、以て内難と為し、尽く之を殺す。桓公因りて鄶を襲う。此れ皆な諸侯恣に行いて、天子の令行われざるなり。〉
現代語訳
斉の桓公が楚を弱めようとして、貨幣を鋳て、生きた鹿を楚から買った。楚はこれを聞いて喜び、耕作をやめて鹿を狩った。桓公は穀物を五倍に蓄えた。楚は金は足りたが穀物が乏しくなった。桓公はそこで関所を閉じた。楚から降る者が十のうち四、五に上った。柯の盟のとき、桓公は曹沫と結んだ約束を破ろうとした。管仲はその場でこれを守らせた。諸侯はこれによって斉に帰服した。だからその言葉にこうある。「与えることが取ることになると知るのは、政治の宝である」。鄭の桓公は鄶を襲おうとして、まず鄶の豪傑・良臣・弁士を調べ、その姓名を書き出し、鄶の良田を選んで与えることにし、官爵の名を作って書き添え、国境と外郭の門の外に埋めて、鶏と豚の血を塗って誓いの形にした。鄶の君主はこれを内通だと思い、彼らをみな殺した。桓公はそこで鄶を襲った。これはみな諸侯が勝手に振る舞い、天子の命令が行われなくなったからである。〉
解説

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孔子家語・致思子路孔子に問いて曰わく、「管仲の人と為り何如。」 子曰わく、「仁なり。」 子路曰わく、「昔管仲襄公に説くも、公受けず、是れ辯ならざるなり。公子糾を立てんと欲するも能わず、是れ智ならざるなり。家斉に残わるるも、憂色無し、是れ慈ならざるなり。桎梏せられて檻車に居るも、慚づる心無し、是れ醜無きなり。射る所の君に事う、是れ貞ならざるなり。召忽之に死し、管仲死せず、是れ忠ならざるなり。仁人の道、固より是くの若きか。」 孔子曰わく、「管仲襄公に説くも、襄公受けざるは、公の闇きなり。子糾を立てんと欲するも能わざるは、時に遇わざるなり。家斉に残わるるも憂色無きは、是れ権命を知ればなり。桎梏せられて慚づる心無きは、自ら裁くこと審らかなればなり。射る所の君に事うるは、変に通ずればなり。子糾に死せざるは、軽重を量ればなり。夫れ子糾未だ君と成らず、管仲未だ臣と成らず。管仲は義を才度し、管仲束縛に死せずして功名を立つるは、未だ非とす可からざるなり。召忽死すと雖も、過ちて仁を取る、未だ多しとするに足らざるなり。」
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