長短経 / 覇図
〔昔秦王見周之失統、䘮權於諸侯、遂自恃任人、不封立諸侯、及陳勝楚漢咸由布衣、非封君有土而並滅秦。髙祖既定天下、念項王從函谷入、而已由武闗到、惟修闗梁、强守禦、内充寔三軍、外多發長戍。及王翁之奪取、乃不犯闗梁、而坐得其處。王翁見以專國秉政得之、即抑重臣、收下權。及其失之、又不從大臣生焉。更始見王翁以失百姓心亡天下、既西到京師、恃人悦聲、則自安樂、不納諫臣。赤眉圍於外、近臣反於城、遂以破敗。由是觀之、夫患害非一、何可勝為防偹哉!賈誼曰、「夫事有招禍、法有起姦、唯置賢良、然後無患耳!」〕
新字:〔昔秦王見周之失統、喪権於諸侯、遂自恃任人、不封立諸侯、及陳勝楚漢咸由布衣、非封君有土而並滅秦。高祖既定天下、念項王従函谷入、而已由武関到、惟修関梁、強守禦、内充寔三軍、外多発長戍。及王翁之奪取、乃不犯関梁、而坐得其処。王翁見以専国秉政得之、即抑重臣、収下権。及其失之、又不従大臣生焉。更始見王翁以失百姓心亡天下、既西到京師、恃人悦声、則自安楽、不納諫臣。赤眉囲於外、近臣反於城、遂以破敗。由是観之、夫患害非一、何可勝為防備哉!賈誼曰、「夫事有招禍、法有起姦、唯置賢良、然後無患耳!」〕
書き下し
〈昔、秦王、周の統を失い、権を諸侯に喪うを見る。遂に自ら人を恃み任じ、諸侯を封立せず。陳勝・楚漢に及びては、咸な布衣に由る。封君の土有るに非ずして、并せて秦を滅ぼす。高祖、既に天下を定め、項王の函谷より入りて、己は武関に由りて到るを念い、惟だ関梁を修め、守禦を強くし、内は三軍を充実にし、外は多く長戍を発す。王翁の奪取するに及び、乃ち関梁を犯さずして、坐して其の処を得たり。王翁、専ら国を秉り政を得るを以て之を得ると見て、即ち重臣を抑え、下権を収む。其の之を失うに及び、又た大臣より生ぜず。更始、王翁の百姓の心を失いて天下を亡うを見る。既に西のかた京師に到り、人の悦ぶ声を恃み、則ち自ら安楽し、諫臣を納れず。赤眉、外に囲み、近臣、城に反す。遂に以て破敗す。是に由りて之を観れば、夫れ患害は一に非ず。何ぞ勝げて防備を為す可けんや。賈誼曰く「夫れ事に禍を招く有り、法に姦を起こす有り。唯だ賢良を置きて、然る後に患い無きのみ」と。〉
現代語訳
〈昔、秦王は周が統を失い、権力を諸侯に奪われたのを見た。そこで自分で人を頼み任じ、諸侯を封じなかった。ところが陳勝や楚漢の争いでは、みな庶民から起こった。封じられた領地を持たない者が、秦を滅ぼした。高祖は天下を定めてから、項王が函谷関から入り、自分は武関から入ったことを思い、ひたすら関所と橋を整え、守りを強め、内は三軍を充実させ、外に長期の守備兵を多く出した。ところが王莽が奪ったときは、関所も橋も犯さずに、座ったままその位を得た。王莽は国政を握ることで得たのだと見て、重臣を抑え、下の権限を取り上げた。ところが失ったときは、大臣から起きたのではなかった。更始帝は王莽が民心を失って天下を失ったのを見た。そこで西の都に着くと、人々の喜ぶ声を頼んで安楽にふけり、諫める臣を用いなかった。赤眉が外を囲み、側近が城で反した。こうして敗れた。ここから見れば、患いや害は一つではない。どうして数え上げて防備できようか。賈誼は言った。「事には禍を招くものがあり、法には悪事を起こすものがある。ただ賢良を置いて、そのあとにはじめて患いがなくなる」。〉
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』覇図秦の天下を蚕食し、戦国を并呑し、海内の政を一にし、諸侯の城を壊し、法厳に政峻しく、諂諛する者衆きに至るに及ぶ。蒙恬をして兵を将いて北のかた胡を攻めしめ、尉佗をして卒を将いて以て粤を戍らしむ。兵を無用の地に宿して、人、生を聊んぜず。始皇崩じ、天下大いに叛く。陳勝・呉広、陳に挙がる。
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『長短経』覇図項王、天下に覇として諸侯を臣とすと雖も、関中に居らずして彭城に都し、義帝の約に倍く有りて、親愛を以て諸侯に王たらしむ。平らかならず。諸侯、項王の義帝を遷逐して江南に置くを見て、亦た皆な帰りて其の主を逐いて自ら善地に王たり。項王の過ぐる所、残滅せざる者無し。天下怨み多く、百姓親附せず。特だ威強に刼かされて服するのみ。名は覇と為すと雖も、実は天下の心を失う。故に曰く、其の強きは弱め易し、と。今、大王、誠に能く其の道に反し、天下の武勇に任ぜば、何ぞ誅せざる所あらん。天下の城邑を以て功臣に封ぜば、何ぞ服せざる所あらん。義兵を以て東帰を思うの士に従わば、何ぞ散ぜざる所あらん。
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『長短経』覇図論じて曰く、干宝称す「帝王の興るは、必ず天命を俟つ。苟くも代謝有るは、人事に非ざるなり。堯舜の内禅は、文徳に体するなり。漢魏の外禅は、大名に順うなり。湯武の革命は、天人に応ずるなり。高光の争伐は、功業を定むるなり。各々其の運に因りて天下を得たり。時に随うの義、大なるかな」と。范曄曰く「古自り大業を喪い、宗禋を絶つは、其の削弱禍敗を致す所以の者、蓋し漸く由る有るなり。三代は嬖色を以て禍を取り、嬴氏は奢虐を以て災いを致す。西京は外戚より祚を失い、東都は閹尹に縁りて国を傾く」と。成敗の来たるは、先史、之を商ること久し。秦漢自り周隋に迄るまで、其の興亡を観るに、亦た数有りと雖も、然れども大抵之を得る者は、皆な賢豪を得て、人の為に利を興し害を除くに因る。其の之を失うや、群小を任用し、奢汰度無きに因らざるは莫し。孔子曰く「約を以て之を失う者は鮮し」と。又た曰く「佞人を遠ざけ、僻悪を去れ」と。旨有るかな。
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『長短経』七雄略嬴氏の場を擅にするに及び、周の失を懲らし、五等を廃し、郡県を立つ。君は海内を有ちて、子弟は匹夫たり。功臣は勤めを効すも、干城に茅土無し。孤りにて天下を制し、独り其の利を擅にす。身死するの日、海内分崩す。陳勝は偏袒して前に唱え、劉季は剣を提げて後に興り、虎嘯き龍睇み、遂に秦族を亡ぼす。夫れ劉・陳の諸傑は布衣なり。呉・楚の勢い、立錐の地無し。然り而して白徒の衆を駆りて、天子と衡を争うを得たる者は、百姓乱を思い、諸侯の勤王の憚るべき無ければなり。故に語に曰く、夫れ乱政虐刑は、英雄に資して自ら禍を速むる所以なり、と。此の謂いなり。
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『長短経』覇図項梁、呉に挙がる。〈梁、項羽をして仮守の通を殺さしめ、便ち兵を挙げて呉に起こる。呉は、今の蘇州なり。〉田儋、斉に挙がる。〈儋、少年を従え、奴を縛りて殺さんと欲し、以て狄の令に見え、因りて令を殺して兵を挙ぐるなり。〉景駒、郢に挙がり、周市、魏に挙がり、韓広、燕に挙がる。窮山通谷、豪傑並び起こりて、秦の族を亡ぼせり。
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『長短経』覇図王曰く「先生、何を以て之を知る」と。酈生曰く「漢王と項羽と、力を戮せて西に向かい秦を撃つ。約すらく、先ず咸陽に入る者は之に王たらん、と。漢王先ず咸陽に入るも、項王、約に負きて与えず、而して之を漢中に王たらしむ。項羽、義帝を遷して殺す。漢王之を聞き、蜀漢の兵を起こし、三秦を撃ち、武関を出でて、義帝の処を責め、天下の兵を収め、諸侯の後を立つ。城を降せば即ち以て其の将を侯とし、賂を得れば即ち以て其の士に分かち、天下と其の利を同じくす。英豪賢士、皆な楽しみて之が用と為る。諸侯の兵、四面より至り、蜀漢の粟、万船にして下る。項王には約に背くの名、義帝を殺すの罪有り。人の功に於ては記す所無く、人の罪に於ては心に忘れず。戦い勝ちて其の賞を得ず、城を抜きて其の封を得ず。項氏に非ざれば、能く事を用うる莫し。人の為に印を刻みて、授くる能わず。城を攻めて賂を得るも、財を積みて賞する能わず。天下之に叛き、賢才之を怨みて、用を為す莫し。故に天下の士、漢王に帰すること、坐して策す可きなり。