長短経 / 覇図
〔陳涉、呉廣戍漁陽、屯大澤。會天雨、道不通、度已失期、失期當斬。二人乃謀曰、「今已失期、當斬。今舉大計亦死、死、為國可乎?」乃先説鬼神威衆、因斬尉。召令徒屬曰、「公等遇雨、皆已失期、失期當斬。藉今第無軒而戍、死者固十六七且壮士不死則亡己死則舉大名。侯王將相、寧有種乎?」徒屬皆曰、「敬受命。」遂分將徇地、自立為陳王。、〕
新字:〔陳渉、呉広戍漁陽、屯大沢。会天雨、道不通、度已失期、失期当斬。二人乃謀曰、「今已失期、当斬。今舉大計亦死、死、為国可乎?」乃先説鬼神威衆、因斬尉。召令徒属曰、「公等遇雨、皆已失期、失期当斬。藉今第無軒而戍、死者固十六七且壮士不死則亡己死則舉大名。侯王将相、寧有種乎?」徒属皆曰、「敬受命。」遂分将徇地、自立為陳王。、〕
書き下し
〈陳渉・呉広、漁陽を戍り、大沢に屯す。会々天雨りて、道通ぜず。已に期を失うを度る。期を失えば当に斬らるべし。二人乃ち謀りて曰く「今已に期を失えり。当に斬らるべし。今、大計を挙ぐるも亦た死す。死するに、国の為にせば可ならんか」と。乃ち先ず鬼神を説きて衆を威し、因りて尉を斬る。徒属を召して令して曰く「公等、雨に遇い、皆な已に期を失えり。期を失えば当に斬らるべし。藉令い第だ軒無くして戍るとも、死する者は固より十に六七。且つ壮士は死せずんば則ち已む。死せば則ち大名を挙げん。侯王将相、寧んぞ種有らんや」と。徒属皆な曰く「敬みて命を受く」と。遂に分かれ将いて地を徇え、自立して陳王と為る。〉
現代語訳
〈陳勝と呉広は漁陽の守備に向かい、大沢郷に駐屯した。ちょうど雨が降って道が通れず、すでに期日に遅れると分かった。期日に遅れれば斬られる。二人は相談して言った。「もう期日には間に合わない。斬られる。いま大事を起こしても死ぬ。死ぬなら、国のために死ぬのはどうだ」。そこでまず鬼神の話をして人々を畏れさせ、それに乗じて隊長を斬った。兵たちを集めて告げた。「諸君は雨に遭って、みな期日に遅れた。遅れれば斬られる。たとえ斬られずに守備についても、死ぬ者はもともと十のうち六、七だ。それに男子は死なずに済むならそれまで。死ぬなら大きな名を挙げよう。王侯将相に、どうして血筋があろうか」。兵たちはみな「謹んで命令を受けます」と言った。そこで分かれて各地を従え、自立して陳王となった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』覇図漢の高祖、名は邦、字は季、姓は劉氏。沛国豊邑の人、泗上の亭長と為る。陳勝等起こり、勝、自立して楚王と為る。〈張耳・陳余、諫めて曰く「将軍は万死の計を出し、天下の為に害を除く。今、始めて陳に至りて、自立して王と為るは、是れ天下に私を示すなり。六国の後を立て、自ら樹党を為し、師を進めて西せば、則ち野に交兵無く、城に守墻無からん。暴秦を誅し、咸陽に拠りて、以て諸侯に令せば、天下図る可きなり」と。勝、聴かず。〉
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『長短経』懼戒秦の二世の末、陳渉蘄に起こり、兵陳に至る。張耳・陳餘、渉に説きて曰く「大王は梁・楚を興し、務めは関に入るに在りて、未だ河北を収むるに及ばず。臣嘗て趙に遊び、其の豪傑を知る。願わくは奇兵を請いて趙の地を略せん」と。是に於て陳王之を許し、卒三千を与う。白馬より河を渡り〔今の滑州白馬県の界なり〕、諸郡県に至り、其の豪傑に説きて曰く「秦は乱政虐刑を為し、天下を残滅す。北には長城の役を為し、南には五嶺の戍有り。外内騒動し、百姓罷敝す。頭会箕斂して、以て軍費に供し、財匱しく力尽く。重ぬるに苛法を以てし、天下の父子をして相聊生せざらしむ。今、陳王臂を奮いて天下の為に唱始し、響応せざるは莫し。家々自ら怒りを為し、各々其の怨みに報ゆ。県は其の令丞を殺し、郡は其の守尉を殺す。今已に大楚を張り、陳に王たり、呉広・周文をして卒百万を将いて西のかた秦を撃たしむ。此の時に於て封侯の業を成さざる者は、人傑に非ざるなり。夫れ天下の力に因りて無道の君を攻め、父兄の怨みに報いて割地の業を成す。此れ一時なり」と。豪傑皆其の言を然りとす。乃ち行きて兵を収め、趙の十余城を下す。
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『長短経』懼戒王怒る。被、死罪を謝す。王曰く「陳勝・呉広は立錐の地無く、千人の衆もて、大沢に起こり、臂を奮いて大呼して天下響応し、西して戯に至りて兵百万なり。今、吾が国小なりと雖も、然れども勝兵の者、十余万を得べし。直だ適戍の衆、鐖鑿棘矜のみに非ざるなり。公何を以て禍有りて福無しと言う」と。被曰く「秦は無道にして、天下を残賊す。万乗の駕を興し、阿房の宮を作り、太半の賦を収め、閭左の戍を発す。父は子を寧んぜず、兄は弟を便とせず。政苛しく刑峻しく、天下は熬然として燋かるるが若し。民は皆領を引きて望み、耳を傾けて聴き、悲号して天を仰ぎ、心を扣きて上を怨む。故に陳勝一たび呼びて、天下響応す。当今、陛下は天下に臨制し、海内を一斉にし、汎く蒸庶を愛し、徳を布き恵を施す。口未だ言わずと雖も、声は雷霆より疾く、令未だ出でずと雖も、化の馳すること神の如し。心に懐く所有れば、威は万里を動かし、下の上に応ずること、猶お影響のごとし。而して大将軍の材能は、特に章邯・楊熊のみに非ざるなり。大王、陳勝・呉広を以て之に喩う。被以為えらく過てり」と。
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『長短経』覇図沛人、其の令を殺し、高祖を立てて沛公と為す。時に項梁、薛に止まる。沛公、往きて之に従い、共に義帝を立つ。〈范増、項梁に説きて曰く「秦は六国を滅ぼすに、楚最も罪無し。懐王、秦に入りて反らざるより、楚人之を憐れむ。故に語に曰く『楚は三戸と雖も、秦を亡ぼすは必ず楚ならん』と。今、陳勝、事を首むるも、楚の後を立てず。其の勢い長からず。今、君は江東に起こり、楚の蜂起の将、皆な争いて君に附く者は、君の代々楚の将たるを以て、将た復た楚の後を立つればなり」と。梁、因りて懐王の孫心を求めて之を立つ。〉約して曰く、先ず咸陽に入る者は之に王たらん、と。
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『長短経』覇図項梁、呉に挙がる。〈梁、項羽をして仮守の通を殺さしめ、便ち兵を挙げて呉に起こる。呉は、今の蘇州なり。〉田儋、斉に挙がる。〈儋、少年を従え、奴を縛りて殺さんと欲し、以て狄の令に見え、因りて令を殺して兵を挙ぐるなり。〉景駒、郢に挙がり、周市、魏に挙がり、韓広、燕に挙がる。窮山通谷、豪傑並び起こりて、秦の族を亡ぼせり。
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『長短経』懼戒客、高皇帝に謂いて曰く『時可なり』と。高皇帝曰く『之を待て。聖人当に東南の間に起こるべし』と。一年ならずして、陳勝・呉広発す。高皇始めて豊沛に一唱し、天下期せずして響応する者、勝げて数うべからず。此れ所謂瑕を蹈み間を侯い、秦の亡ぶるに因りて動く者なり。百姓之を願うこと、旱の雨を望むが若し。故に行陣の中より起こりて立ちて天子と為り、功は三皇より高く、徳は無窮に伝う。今、大王は高皇の天下を得ることの易きを見て、独り近世の呉楚を観ざるか。夫れ呉王は劉氏の祭酒を賜わり、几杖を授けられて朝せず、四郡の衆に王たり、地は方数千里、内は銅を鋳て銭と為し、東は海を煮て以て塩と為し、上は江陵の木を取りて船と為し、国富み人衆し。兵を挙げて西し、大梁に破れ、狐父に敗れ、奔走して東し、丹徒に至り、越人之を擒にし、身死して祀を絶ち、天下の笑いと為る。夫れ呉楚の衆を以て、功を成すこと能わざる者は、何ぞや。誠に天道に逆らいて時を知らざればなり。