師導古典を学びたいすべての人に

長短経 / 三国権

自隋庚戌嵗滅陳、至今丙辰嵗、凡一百二十六年、天下一。統論曰、傳稱「都城過百雉、國之害也。」又曰、「大都偶國、亂之本。」古者諸侯不過百里、山海不以封、毋親夷狄、良有以也。何者?賈生有言、「臣竊跡前事、夫諸侯大抵強者先反。淮隂王楚最強、則最先反、韓信倚胡則又反、貫髙因趙資則又反、陳豨兵精則又反、彭越因梁則又反、黔布用淮南則又反、盧綰最弱最後反。長沙廼在二萬數千户耳、功少而最完、勢䟽而最忠。非獨性異人也、亦形勢然也。

新字:自隋庚戌歳滅陳、至今丙辰歳、凡一百二十六年、天下一。統論曰、伝称「都城過百雉、国之害也。」又曰、「大都偶国、乱之本。」古者諸侯不過百里、山海不以封、毋親夷狄、良有以也。何者?賈生有言、「臣窃跡前事、夫諸侯大抵強者先反。淮陰王楚最強、則最先反、韓信倚胡則又反、貫高因趙資則又反、陳豨兵精則又反、彭越因梁則又反、黔布用淮南則又反、盧綰最弱最後反。長沙廼在二万数千戸耳、功少而最完、勢䟽而最忠。非独性異人也、亦形勢然也。

書き下し

隋の庚戌の歳に陳を滅ぼしてより、今の丙辰の歳に至るまで、凡そ一百二十六年、天下一なり。統べて論じて曰く、伝に称す「都城百雉を過ぐるは、国の害なり」と。又た曰く「大都の国に偶するは、乱の本なり」と。古は諸侯は百里に過ぎず、山海は以て封ぜず、夷狄に親しむこと毋しとは、良に以有るなり。何となれば、賈生言える有り「臣竊かに前事を跡るに、夫れ諸侯は大抵強き者先に反す。淮陰王は楚に最も強く、則ち最も先に反す。韓信は胡に倚りて則ち又た反す。貫高は趙の資に因りて則ち又た反す。陳豨は兵精しくして則ち又た反す。彭越は梁に因りて則ち又た反す。黥布は淮南を用いて則ち又た反す。盧綰は最も弱くして最も後に反す。長沙は廼ち二万数千戸に在るのみ。功少なくして最も完く、勢い疏くして最も忠なり。独り性の人に異なるに非ず、亦た形勢然るなり。

現代語訳

隋が庚戌の年に陳を滅ぼしてから、今の丙辰の年まで、百二十六年、天下は一つである。全体を論じて言う。『左伝』に「都の城壁が百雉を超えるのは国の害である」とあり、また「大きな都が国都と並ぶのは乱の元である」とある。昔、諸侯の国は百里を超えず、山や海は封じず、異民族と親しませなかったのには、まことに理由がある。なぜか。賈誼は言った。「私がひそかに前の出来事をたどると、諸侯はたいてい強い者から先に背きました。淮陰侯韓信は楚で最も強かったので最も先に背き、韓王信は匈奴に頼ってまた背き、貫高は趙の力に頼ってまた背き、陳豨は兵が精強でまた背き、彭越は梁に拠ってまた背き、黥布は淮南を使ってまた背き、盧綰は最も弱かったので最も後に背きました。長沙王はわずか二万数千戸を持つだけで、功は少ないのに最も完全に保ち、勢いは疎遠なのに最も忠実でした。これはその人の性格が人と違っていたからではなく、形勢がそうさせたのです。

解説

長い三国権の篇の結びで、趙蕤は賈誼の観察を引きます。漢の功臣王たちは、強い者から順に背いた。最も弱い長沙王だけが最後まで忠実だった。それは長沙王の人柄が特別だったからではなく、背くだけの力がなかったからだ。裏切りを人の性格の問題とせず、力の配分の問題として見る視点です。誰が裏切るかを知りたければ、誰が裏切れるだけの力を持っているかを見ればよいのです。

この章句が説くこと

三国権賈誼形勢忠誠反乱力の配分

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる