長短経 / 時宜
〔議曰、挾天子以令諸侯、其事一也、有以之成、有以之敗、何也?對曰、天下者、非一人之天下也。肆行凶暴、繼體不足以自存、人望所歸、匹夫可以成洪業。夫天命底止、唯樂推、有自來矣。當火徳不競、羣豪虎爭、漢祚雖衰、人望未改、故魏武奉天子以從人欲、仗大順以令宇内、使天下之士委忠霸圖。傳曰、「求諸侯莫如勤王。」斯之謂矣。齊時則不然、溥天思亂、海水羣飛、當百姓與能之秋、屬三靈改卜之日、若挟舊主、不亦違乎?故傳譏萇𢎞欲興天之欲壊而美蔡墨「雷乗乾」之說。是以其事一也、有以之成、有以之敗也。〕
新字:〔議曰、挟天子以令諸侯、其事一也、有以之成、有以之敗、何也?対曰、天下者、非一人之天下也。肆行凶暴、継体不足以自存、人望所帰、匹夫可以成洪業。夫天命底止、唯楽推、有自来矣。当火徳不競、羣豪虎争、漢祚雖衰、人望未改、故魏武奉天子以従人欲、仗大順以令宇内、使天下之士委忠覇図。伝曰、「求諸侯莫如勤王。」斯之謂矣。斉時則不然、溥天思乱、海水羣飛、当百姓与能之秋、属三霊改卜之日、若挟旧主、不亦違乎?故伝譏萇弘欲興天之欲壊而美蔡墨「雷乗乾」之説。是以其事一也、有以之成、有以之敗也。〕
書き下し
〔議に曰く、天子を挟みて以て諸侯に令するは、其の事一なり。之を以て成す有り、之を以て敗る有るは、何ぞや。対えて曰く、天下は一人の天下に非ざるなり。凶暴を肆にすれば、継体も以て自ら存するに足らず。人望の帰する所、匹夫も以て洪業を成すべし。夫れ天命の底止するは、唯だ楽しみて推す。自りて来たる有り。火徳競わず、群豪虎争するに当たりて、漢祚衰うと雖も、人望未だ改まらず。故に魏武は天子を奉じて以て人の欲に従い、大順に仗りて以て宇内に令し、天下の士をして忠を霸図に委ねしむ。伝に曰く「諸侯を求むるは王に勤むるに如くは莫し」と。斯の謂いなり。斉の時は則ち然らず。溥天乱を思い、海水群飛す。百姓能に与するの秋に当たり、三霊卜を改むるの日に属す。若し旧主を挟まば、亦た違わずや。故に伝は萇弘の天の壊さんと欲する所を興さんと欲するを譏り、而して蔡墨の雷乾に乗るの説を美とす。是を以て其の事一なり、以て之を成す有り、以て之を敗る有るなり。〕
現代語訳
〔論じて言う。天子を擁して諸侯に命令するという事柄は同じなのに、それで成功した者と失敗した者がいるのはなぜか。答えて言う。天下は一人の天下ではない。凶暴をほしいままにすれば、正統な跡継ぎでも自分を保てない。人々の望みが集まれば、庶民でも大業を成せる。天命がどこに落ち着くかは、人々が喜んで推すかどうかによるのであり、それには理由がある。漢の火徳が衰え、群雄が虎のように争った時代には、漢の天運は衰えていても人々の望みはまだ漢から離れていなかった。だから魏の武帝は天子を奉じて人々の望みに従い、大義に拠って天下に命令し、天下の士に覇業への忠を委ねさせた。『左伝』に「諸侯を従えたいなら王に尽くすにしくはない」とあるのはこのことだ。南斉の時は違った。天下のすべてが乱を望み、海の水が群れ飛ぶように乱れていた。民が能力ある者につく時であり、天・地・人の三霊が占いを改める日に当たっていた。もし旧主を擁したら、かえって人々の望みに背くことになったろう。だから『左伝』は、萇弘が天の壊そうとしているものを興そうとしたのを非難し、蔡墨の雷が天に乗るという説を称えたのである。こうして、事柄は同じでも、成功する者と失敗する者がいるのである。〕
解説

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『十善法語』巻第八・不貪欲戒人ノ容貌モ此ニ准スルシヤ。春秋ノ時。孔父嘉ガ其妻艶色アリシ故其身ヲ亡シタ類。古今何レノ国ニモ多キト云コトシヤ。男子ニモセヨ。女人ニモセヨ。通人ヨリ勝ルハ先不祥ノ器シヤ。此モ眷属ノ中ニ容貌端麗ナル者アルヲ棄ヨト云デハナイ。此ニハ道ノアルベキコトシヤ。大抵ハ万事ヲ減シテ又減スレハ。天道ニモ人道ニモ背カヌト云コトシヤ。又自身ノ容貌ガ世ニ絶ルレハ。猶モ慎アルヘキコトシヤ。是モ男子ノ威厳。女子ノ艶美。皆天ノ与フル一徳ナル故。其守タニアラハ。天命モ爰ニ帰スル。人望モ爰ニ帰スル。一生其徳ヲ全スベキシヤ。若其守カ疎ナレハ。不祥ノ器トナル。通途ノ人ヨリモ危キシヤ。
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