長短経 / 臣行
或曰、“臧洪死張超之難、可謂義乎?”范曄曰、“雍丘之圍、臧洪之感憤、壯矣!相其徒跣且號、束甲請舉、誠足憐也。夫豪雄之所趣舍、其與守義之心異乎?若乃締謀連衡、懷詐算以相尚者、蓋惟勢利所在而已。况偏城既危、曹、袁方睦洪徒指外敵之衡、以紓倒懸之㑹、忿悁之師、兵家所忌、可謂懷哭秦之節、存荆則未聞。”〔昔廣陵太守張超委政臧洪、後袁紹亦與結友。及曹操圍張超于雍丘、洪聞超被圍、乃徒跣號泣、勒兵救超、兼從紹請兵、紹不聽、超城䧟遂族誅超。洪由是怨紹、與之絶、紹興兵圍之、城陷誅死。議曰、臧洪當縱横之時、行平居之義、非立功之士也。〕
新字:或曰、“臧洪死張超之難、可謂義乎?”范曄曰、“雍丘之囲、臧洪之感憤、壮矣!相其徒跣且号、束甲請舉、誠足憐也。夫豪雄之所趣舎、其与守義之心異乎?若乃締謀連衡、懐詐算以相尚者、蓋惟勢利所在而已。況偏城既危、曹、袁方睦洪徒指外敵之衡、以紓倒懸之会、忿悁之師、兵家所忌、可謂懐哭秦之節、存荆則未聞。”〔昔広陵太守張超委政臧洪、後袁紹亦与結友。及曹操囲張超于雍丘、洪聞超被囲、乃徒跣号泣、勒兵救超、兼従紹請兵、紹不聴、超城陥遂族誅超。洪由是怨紹、与之絶、紹興兵囲之、城陥誅死。議曰、臧洪当縦横之時、行平居之義、非立功之士也。〕
書き下し
或るひと曰く「臧洪、張超の難に死す。義と謂う可きか」と。范曄曰く「雍丘の囲み、臧洪の感憤、壮なるかな。其の徒跣して且つ号び、甲を束ねて挙ぐるを請うを相るに、誠に憐れむに足る。夫れ豪雄の趣舎する所は、其れ守義の心と異なるか。若し乃ち謀を締び衡を連ね、詐算を懐きて以て相い尚ぶ者は、蓋し惟だ勢利の在る所のみ。況んや偏城既に危うく、曹・袁方に睦まじきをや。洪は徒らに外敵の衡を指して、以て倒懸の会を紓げんとす。忿悁の師は兵家の忌む所なり。哭秦の節を懐くと謂う可きも、荊を存するは未だ聞かず」と。〔昔、広陵太守張超、政を臧洪に委ぬ。後に袁紹も亦た与に友を結ぶ。曹操の張超を雍丘に囲むに及び、洪、超の囲まるるを聞き、乃ち徒跣号泣し、兵を勒して超を救う。兼ねて紹に従いて兵を請う。紹聴かず。超の城陥りて遂に超を族誅す。洪、是に由りて紹を怨み、之と絶つ。紹、兵を興して之を囲み、城陥りて誅死す。議に曰く、臧洪は縦横の時に当たりて、平居の義を行う。功を立つるの士に非ざるなり。〕
現代語訳
ある人が言った。「臧洪が張超の難に殉じたのは、義と言えますか」。范曄は言った。「雍丘の包囲で、臧洪の憤りは壮烈である。裸足で走って号泣し、鎧を束ねて出撃を願った姿を見れば、まことに憐れむに足りる。豪傑が取捨するところは、義を守る心とは違うのだろうか。もし謀を結び同盟を連ね、偽りの計算を抱いて張り合う者は、ただ勢いと利のあるところに動くだけである。まして一つの城がすでに危うく、曹操と袁紹はちょうど仲がよかった。臧洪はいたずらに外敵の勢力を指さして、逆さ吊りの苦境を緩めようとした。怒りにまかせた軍は兵法の忌むところである。秦の宮廷で泣いた申包胥の節を抱いたとは言えるが、楚を救ったとは聞かない」。〔昔、広陵太守の張超が政治を臧洪に委ねた。のちに袁紹も臧洪と友誼を結んだ。曹操が張超を雍丘で囲んだとき、臧洪は張超が囲まれたと聞いて、裸足で号泣し、兵を率いて張超を救おうとした。あわせて袁紹に兵を請うたが、袁紹は聞かなかった。張超の城が陥ち、ついに張超は一族もろとも誅された。臧洪はこれによって袁紹を怨み、絶交した。袁紹は兵を起こしてこれを囲み、城が陥ちて誅殺された。議していう。臧洪は縦横の時代にあって、平時の義を行った。功を立てる士ではない。〕
解説

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『講孟余話』盡心上 第三十四章是れ上章「其の有に非ずして之を取るは義に非ず」と云ふに因りて、陳仲子の義、大義とするに足らず、只是れ簞食豆羹を舎つるの義なるを云ふ。陳仲子の事は、滕文公下篇末章に詳らかなり。仲子兄を避け母を離れ、吾が禄を食はず、これ親戚・君臣・上下を亡みするなり。已に人の大倫を外したる人なれば、他の小義は復た云ふに足る者なし。今斉国大なる如しと云へども、畢竟簞食豆羹と異なることなし。孟子論ずる所は物の大小に非ず、乃ち義の大小なり。是れを以て知るべし、聖人は人倫の至りにて、聖人の道は又人倫を以て大綱とす。受与の際に至りては、特に其の細目のみ。夷・斉の餓死する如くにして君臣の義あり、匡章の養はれざる如くにして、却つて父子の親ありと知るべし。
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『五常訓』巻之四・義一中庸曰く、義は宜なり、賢を尊ぶを大なりと為す。朱子章句に云く、宜とは事理を分別して、各宜しき所有るなり。周子も、宜を義と曰ふ。釈名曰く、義は宜なり、事物を裁制して、宜しきに合はしむるなり。諸説皆宜しきを以て義とす。宜しきとは、万事万物の品にしたがひ、其理をわきまへて、相応するを云ふ。朱子は、義は心の制、事の宜といへり。制とは、たちわかつ意。裁判するなり。心の制とは、心中に善悪をわかつ所の理あるを云ふ。義の心にあるは、利刀の如し。物来れば、刀を以てたてば二となる。善悪を決断する事、かくの如し。是心の制なり。義の体とす。事之宜とは、諸事に相応して、其理の宜しきにしたがふを云ふ。是義の用とす。事之宜は、心の制ありて、善悪をたちわかちて後の事なり。人を愛するは仁なり。
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『大和俗訓』巻之七・躬行下一君子の道は、すべき事を行ひ、すまじき事をせず。これ義なり。好むべき事を好み、好むまじき事を好まず。是善なり。君子の道はかくの如きのみ。是孟子の語意なり。一人の知は目のごとし。人の目はよく百里の外を見れども、わが睫を見がたし。人の智よく他人の悪を知れども、わが身の悪を知らず。人をみることは常に明なり。私なければなり。自ら見ることは常にくらし。私あればなり。ここを以て、人の過をせむる事はきびしく、わが悪をゆるす事はゆるやかなり。
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『春秋左氏伝』昭公三年 趙文子、州を取らず夏、四月、鄭伯晉に如く。公孫段相たり。甚だ敬にして卑し、禮違ふ者無し。晉侯焉を嘉し、之に授くるに策を以ってして曰く、「子豐晉國に勞有り。余聞きて忘れず。女に州の田を賜ひ、以って乃(なんぢ)の舊勳に胙(むく)いん」と。伯石再拜稽首し、策を受けて以って出づ。君子曰く、「禮は其れ人の急なるか。伯石の汏(おご)れるや、一たび晉に禮を為して、猶ほ其の祿を荷ふ。況んや禮を以って終始するをや。詩に曰く、『人にして禮無くんば、胡ぞ遄やかに死せざる』と。其れ是を之れ謂ふか」と。初め、州縣は欒豹の邑なり。欒氏亡ぶるに及び、范宣子・趙文子・韓宣子、皆之を欲す。文子曰く、「溫は吾が縣なり」と。二宣子曰く、「郤稱より以って別れて三傳す。晉の別縣は、唯だ州のみならず。誰か獲て之を治めん」と。文子之を病み、乃ち之を舍つ。二子曰く、「吾以って正議して自ら與ふ可からず」と。皆之を舍つ。文子政を為すに及び、趙獲曰く、「以って州を取る可し」と。文子曰く、「退け。二子の言は義なり。義に違ふは禍なり。余は余が縣を治むる能はず、又焉んぞ州を用ゐん。其れ以って禍を徼(まね)かん。君子曰く、『知らざるは實に難し。知りて從はざるは、禍焉より大なるは莫し』と。州を言ふ有らば必ず死せん」と。豐氏は故(もと)より韓氏に主たり。伯石の州を獲るや、韓宣子之が為に之を請ふ。其の復た之を取るが為の故なり。
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『弁名』義人多く礼の先王の礼為るを知りて、義も亦た先王の義為るを知らず。故に其の解皆通ぜず。蓋し義は道の分なり。千差万別、各〻宜しき所有り。故に曰く、「義は宜なり」と。先王既に其の千差万別なる者を以て、制して以て礼と為す。学者猶ほ其の之を制する所以の意を伝ふ。是れ所謂礼の義なり。而して其の空言を以て伝ふる者、是れ所謂義なり。故に礼義は皆古より之を伝ふ。豈に先王の義に非ずや。