長短経 / 是非
管子曰、“疑今者察之古、不知來者視之往。”古語曰、“與死人同病者、不可生也、與亡國同行者、不可存也。”〔非曰〕《吕氏春秋》曰、“夫人以食死者、欲禁天下之食、悖矣、有以乗舟死者、欲禁天下之船、悖矣、有以用兵喪其國者、欲偃天下之兵、悖矣。”杜恕曰、“夫奸臣賊子、自古及今、未嘗不有。百嵗一人、是為繼踵、千里一人、是為比肩。而舉以為戒、是猶一噎而禁人食也。噎者雖少、餓者必多。”〔是曰〕
新字:管子曰、“疑今者察之古、不知来者視之往。”古語曰、“与死人同病者、不可生也、与亡国同行者、不可存也。”〔非曰〕《呂氏春秋》曰、“夫人以食死者、欲禁天下之食、悖矣、有以乗舟死者、欲禁天下之船、悖矣、有以用兵喪其国者、欲偃天下之兵、悖矣。”杜恕曰、“夫奸臣賊子、自古及今、未嘗不有。百歳一人、是為継踵、千里一人、是為比肩。而舉以為戒、是猶一噎而禁人食也。噎者雖少、餓者必多。”〔是曰〕
書き下し
〔是に曰く〕管子曰く「今を疑う者は之を古に察し、来を知らざる者は之を往に視る」と。古語に曰く「死人と病を同じくする者は、生く可からざるなり。亡国と行いを同じくする者は、存す可からざるなり」と。〔非に曰く〕呂氏春秋に曰く「夫れ人の食を以て死する者有れば、天下の食を禁ぜんと欲するは、悖れり。舟に乗りて死する者有れば、天下の船を禁ぜんと欲するは、悖れり。兵を用いて其の国を喪う者有れば、天下の兵を偃せんと欲するは、悖れり」と。杜恕曰く「夫れ奸臣賊子は、古より今に及ぶまで、未だ嘗て有らずんばあらず。百歳に一人なれば、是れを踵を継ぐと為す。千里に一人なれば、是れを肩を比ぶと為す。而るに挙げて以て戒と為すは、是れ猶お一たび噎びて人の食を禁ずるがごときなり。噎ぶ者少なしと雖も、餓うる者必ず多し」と。
現代語訳
〔是の側。〕管子はこう言った。「今が疑わしければ古に照らし、未来が分からなければ過去を見よ」。古い言葉にこうある。「死んだ人と同じ病にかかった者は、生きられない。滅びた国と同じ行いをする国は、存続できない」。〔非の側。〕呂氏春秋にこうある。「食べ物で死んだ者がいるからといって天下の食を禁じようとするのは、道理に外れている。舟に乗って死んだ者がいるからといって天下の船を禁じようとするのは、道理に外れている。兵を用いて国を失った者がいるからといって天下の兵をやめさせようとするのは、道理に外れている」。杜恕はこう言った。「よこしまな臣や賊子は、昔から今まで、いなかったことがない。百年に一人なら、続けざまに出たと数える。千里に一人なら、肩を並べていると数える。それを挙げて戒めとするのは、一度むせただけで人の食事を禁じるようなものである。むせる者は少なくても、飢える者は必ず多い」。
解説
この章句が説くこと
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