長短経 / 三国権
荆州北據漢、沔利盡南海、東連吴㑹、西通巴、蜀、此用武之國、而其主不能守、此殆天所以資將軍也。益州險塞、沃野千里、天府之國、高祖因之以成帝業。劉璋闇弱、張魯在北、民殷國富、而不知䘏智能之士、思得明后將軍既帝室之胄信義著於四海、總覽英雄、思賢如渇若跨有荆益、保其嚴岨、西和諸戎、南撫夷越、結好孫權、内修政理。天下有變、則命上將將荆州之軍、以向宛、洛、将軍身率益州之衆、出於秦川、百姓孰不簞食壺漿、以迎将軍者乎?誠如是、則霸業可成、漢室可興矣。」時曹公破荆州、先主奔吴。
新字:荆州北拠漢、沔利尽南海、東連呉会、西通巴、蜀、此用武之国、而其主不能守、此殆天所以資将軍也。益州険塞、沃野千里、天府之国、高祖因之以成帝業。劉璋闇弱、張魯在北、民殷国富、而不知䘏智能之士、思得明后将軍既帝室之胄信義著於四海、総覧英雄、思賢如渇若跨有荆益、保其厳岨、西和諸戎、南撫夷越、結好孫権、内修政理。天下有変、則命上将将荆州之軍、以向宛、洛、将軍身率益州之衆、出於秦川、百姓孰不簞食壺漿、以迎将軍者乎?誠如是、則覇業可成、漢室可興矣。」時曹公破荆州、先主奔呉。
書き下し
荊州は北は漢・沔に拠り、利は南海を尽くし、東は呉会に連なり、西は巴・蜀に通ず。此れ武を用うるの国にして、其の主は守ること能わず。此れ殆ど天の将軍に資する所以なり。益州は険塞にして、沃野千里、天府の国なり。高祖之に因りて以て帝業を成す。劉璋は闇弱にして、張魯北に在り、民殷んに国富めども、恤うることを知らず。智能の士は、明君を得んことを思う。将軍は既に帝室の冑にして、信義は四海に著れ、英雄を総攬し、賢を思うこと渇するが如し。若し荊・益を跨有し、其の巌阻を保ち、西は諸戎と和し、南は夷越を撫し、外は好を孫権と結び、内は政理を修め、天下に変有らば、則ち上将に命じて荊州の軍を将いて以て宛・洛に向かわしめ、将軍は身ら益州の衆を率いて秦川に出でば、百姓孰か簞食壺漿して以て将軍を迎えざる者あらんや。誠に是くの如くんば、則ち霸業成すべく、漢室興すべし」と。時に曹公荊州を破り、先主呉に奔る。
現代語訳
荊州は北は漢水・沔水に拠り、南海までの利を得られ、東は呉・会稽に連なり、西は巴・蜀に通じています。これは武力を用いるべき国ですが、その主は守りきれません。これはおそらく天が将軍に与えようとしているのです。益州は険しい要害で、肥えた野が千里続く天府の国です。漢の高祖はここを拠り所に帝業を成しました。劉璋は暗く弱く、北には張魯がいて、民は多く国は富んでいるのに、民を慈しむことを知りません。知恵と能力のある士は、明君を得たいと思っています。将軍は漢の皇室の血筋で、信義は天下に知られ、英雄をまとめ、渇いた者が水を求めるように賢者を求めておられる。もし荊州と益州をあわせ持ち、その険しさを保ち、西は異民族と和し、南は夷や越をなだめ、外では孫権と好を結び、内では政治を整え、天下に変事が起きたら、上将に命じて荊州の軍を宛・洛陽に向かわせ、将軍自ら益州の兵を率いて秦川に出れば、民は誰もが弁当と酒を携えて将軍を迎えるでしょう。まことにこうなれば、覇業は成り、漢室は再興できます」。このころ曹操が荊州を破り、劉備は呉へ逃れた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』三国権龐統、備に説きて曰く「荊州は荒残し、人物単尽す。東に呉孫有り、北に曹氏有り。鼎足の計、以て志を得難し。今、益州は国富み人強く、戸口百万、郡中の兵馬、出だす所畢く具わり、宝貨は外に求むること無し。今、権に借りて以て大事を定むべし」と。備曰く「今、吾と水火を為す者を指せば、曹操なり。操は急を以てし、吾は寛を以てす。操は暴を以てし、吾は仁を以てす。操は譎を以てし、吾は忠を以てす。毎に操と反すれば、事乃ち成すべきのみ。今、小故を以て信義を天下に失う者は、吾の取らざる所なり」と。統曰く「権変の時は、固より一道の能く定むる所に非ず。弱を兼ね昧を攻むるは、五伯の事なり。逆に取りて順に守り、之に報ゆるに義を以てし、事定まるの後、封ずるに大国を以てせば、何ぞ信に負かん。今日取らずんば、終に人の利と為らんのみ」と。備乃ち関羽をして荊州を守らしめ、自ら蜀を取らんと欲す。
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『長短経』三国権備、亮の計を用い、好を孫権に結び、共に曹公を赤壁に拒ぎ、之を破る。曹公北に還り、権乃ち荊州を以て備に業とす。〔周瑜上疏して諫めて曰く「劉備は梟雄の姿を以てし、而して関羽・張飛は熊虎の将なり。必ず久しく屈して人の用を為す者に非ず。愚謂えらく、大計は宜しく備を徙して呉に置き、盛んに為に室を築き、其の美女玩好の物を多くして、以て其の耳目を娯しましむべし。此の二人を分かちて、各々一方に置き、瑜の如き者をして、挟みて与に攻戦するを得しめば、大事定むべきなり。今、猥りに土地を割きて、以て之に資業し、此の三人を聚めて俱に疆場に在らしむ。恐らくは蛟龍雲雨を得ば、復た池中の物に非ざらん」と。権は曹公北方に在るを以て、当に広く英雄を攬るべしとし、故に納れざるなり。〕
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『長短経』三国権諸葛亮の南陽に躬耕すると聞き、乃ち三たび亮を草廬の中に詣り、人を屏けて言いて曰く「漢室傾頹し、姦臣命を竊み、主上蒙塵す。孤、徳を度り力を量らず、大義を天下に信べ行わんと欲す。而れども智術浅短にして、遂に用て猖獗し、今日に至る。然れども意猶お未だ已まず。君謂えらく、計将に安くにか出でんとする」と。亮答えて曰く「董卓より已来、豪傑並び起こり、州に跨り郡を連ぬる者、勝げて数うべからず。曹操は袁紹に比すれば、名微にして衆寡なし。然れども遂に能く紹に克つ。弱を以て強と為る者は、唯だ天の時のみに非ず、抑も亦た人の謀なり。今、操は已に百万の衆を擁し、天子を挟みて諸侯に令す〔伝に云う、諸侯を求むるは、王に勤むるに如くは莫し、と。此の謂いなり〕。此れ誠に与に鋒を争うべからず。孫権は江東を拠有し、已に三代を歴たり。国険にして民附き、賢能用を為す。此れ与に援と為すべくして、図るべからざるなり。
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『長短経』三国権〔時に孫権、使いを遣わして備に報じ、共に蜀を取らんと欲して曰く「米賊張魯、巴・漢に居王し、曹操の耳目と為りて、益州を規図す。劉璋は自ら守ること能わず。若し操蜀を得ば、則ち荊州危うし。今、先ず攻めて璋を取り、進みて張魯を討ち、首尾相連ね、呉・楚を一統せんと欲す。十操有りと雖も、憂うる所無きなり」と。或るひと備に宜しく報じて聴許すべし、呉は終に荊を越えて蜀を有つこと能わず、蜀の地は有つべきなりと説く。主簿殷観曰く「若し呉の先駆と為りて進みて未だ蜀に克つこと能わず、返りて呉の乗ずる所と為らば、則ち大事去らん」と。備之に従い、拒みて権に答えて曰く「益州は民富み国強く、土地阻険なり。劉璋弱しと雖も、以て自ら守るに足る。張魯は虚偽にして、未だ必ずしも尽く操に忠ならず。今、師を蜀・漢に暴し、転運を万里にし、戦えば克ち攻むれば取り、挙げて利を失わざらしめんと欲するは、此れ呉起も其の規を定むること能わず、孫武も其の事を善くすること能わず。今、曹操は天下を三分して其の二を有し、将に馬に滄海に飲ませ、兵を呉に観せんとす。而るに同盟故無くして自ら相攻伐し、枢を操に借し、敵をして其の隙に乗ぜしむるは、計に非ざるなり」と。権、備の意を知り、乃ち止むなり。〕
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『長短経』三国権〔先主の呉に奔るや、論者以為えらく、孫権必ず之を殺さんと。程昱料りて曰く「曹公は天下に敵無く、初めて荊州を挙げ、威は江東に震う。権は謀有りと雖も、独り当たること能わず。劉備は英雄なり。関羽・張飛は皆万人の敵なり。権必ず資りて以て我を禦がん。難解け勢分かれば、備は資りて以て成らん。殺すを得べからざるなり」と。権果たして多く備に兵を与え、以て太祖を禦ぐ。時に益州刺史劉璋、曹公の荊州を征するを聞き、別駕張松を遣わして曹公に詣らしむ。曹公時に已に荊州を定め、先主を走らす。曹公、松を存録せず。松、璋に勧めて自ら絶たしむ。習鑿齒曰く「昔、斉桓は一たび其の功を矜りて、叛く者九国。曹操は漸く自ら驕伐して、天下三分す。皆之を数十年の内に勤め、之を俯仰の頃に弃つ。豈に惜しからずや。是を以て君子は労謙して日昃し、慮りて以て人に下り、功高くして之に居るに譲を以てし、勢尊くして之を守るに卑を以てす。夫れ然る後に能く其の富貴を有ち、其の功業を保ち、福を百代に伝う。何の驕矜か之れ有らんや。君子是を以て曹操の遂に天下を兼ぬること能わざるを知るなり」と。〕
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『長短経』三国権後に曹公荊州に入り、劉琮、衆を挙げて降る。〔初め劉表死するや、魯粛進みて説きて曰く「夫れ荊楚は我と隣接し、水流は北に順い、外は江・漢を帯び、内は山陵を阻み、金城の固め有り。沃野万里にして、士人殷富なり。若し拠りて之を有たば、此れ帝王の資なり。粛請う、命を奉じて表の二子を弔い、並びに軍中の事を用うる者を慰労し、劉備に説きて表の衆を撫養し、共に曹操を拒がしめんことを」と。粛未だ到らざるに、琮已に降るなり。〕