長短経 / 知人
〔《人物志》曰、「夫心質亮直、其儀勁固、心質平理、其儀安閒夫仁固之精、慤然以端、勇膽之精、曄然以强。夫憂患之色、乏而且荒、疾疢之色、亂而垢理、喜色、愉然以懌、慍色、厲然以揚、垢惑之色、冐昧無常。是故其言甚懌而精色不從者、中有違也、其言有違而精色可信者、辭不敏也、言未發而怒色先見者、意憤溢也、言已發而怒氣送之者、强所不然也。」凡此之類、雖欲違之、精色不從、威愕以明、雖變可知也。〕
新字:〔《人物志》曰、「夫心質亮直、其儀勁固、心質平理、其儀安閒夫仁固之精、慤然以端、勇胆之精、曄然以強。夫憂患之色、乏而且荒、疾疢之色、乱而垢理、喜色、愉然以懌、慍色、厲然以揚、垢惑之色、冐昧無常。是故其言甚懌而精色不従者、中有違也、其言有違而精色可信者、辞不敏也、言未発而怒色先見者、意憤溢也、言已発而怒気送之者、強所不然也。」凡此之類、雖欲違之、精色不従、威愕以明、雖変可知也。〕
書き下し
〔人物志に曰く「夫れ心質亮直なれば、其の儀は勁固なり。心質平理なれば、其の儀は安閑なり。夫れ仁固の精は、慤然として以て端なり。勇胆の精は、曄然として以て強なり。夫れ憂患の色は、乏しくして且つ荒る。疾疢の色は、乱れて理を垢す。喜色は愉然として以て懌び、慍色は厲然として以て揚がり、垢惑の色は冒昧にして常無し。是の故に其の言は甚だ懌びて精色従わざる者は、中に違う有るなり。其の言は違う有りて精色信ず可き者は、辞の敏ならざるなり。言未だ発せずして怒色先ず見わるる者は、意の憤溢なり。言已に発して怒気之を送る者は、然らざる所を強うるなり」と。凡そ此の類は、之に違わんと欲すと雖も、精色従わず、威愕以て明らかに、変ずと雖も知る可きなり。〕
現代語訳
〔人物志にこうある。「心の質が明るくまっすぐなら、その立ち居は強く固い。心の質が平らかで筋道立っていれば、その立ち居は安らかで落ち着いている。仁と堅固さの精は、まじめで端正である。勇と胆力の精は、輝いて強い。憂いと患いの色は、乏しくしかも荒れる。病の色は、乱れて筋目が汚れる。喜びの色は、うれしげにほころぶ。怒りの色は、険しく吊り上がる。汚れ惑う色は、くらくて定まらない。だから、言葉はとても喜んでいるのに顔色がついてこない者は、内心に食い違いがある。言葉には食い違いがあるのに顔色が信じられる者は、言葉が不器用なだけである。言葉がまだ出ないうちに怒りの色が先に出る者は、思いが溢れているのである。言葉が出てから怒気がそれを送ってくる者は、そうでないことを無理に押し通しているのである」。およそこの類は、それに逆らおうとしても顔色はついてこず、威や驚きにはっきり出るので、変えようとしても分かる〕
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』知人又た察色有り。察色とは、心気内に蓄えらるるは、皆な色を以て之を取る可きを謂う。夫れ誠の智には、必ず尽くし難きの色有り。〔又た曰く、誠の智には、必ず明達の色有り。〕誠の仁には、必ず尊ぶ可きの色有り。〔又た曰く、誠の仁には、必ず温柔の色有り。〕誠の勇には、必ず懾し難きの色有り。〔又た曰く、誠の勇には、必ず矜奮の色有るなり。〕誠の忠には、必ず観る可きの色有り。誠の潔には、必ず汙し難きの色有り。誠の貞には、必ず信ず可きの色有り。質色は浩然として固く以て安く、偽色は曼然として乱れ以て煩わし。此れ之を察色と謂う。
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『長短経』知人然らば則ち平陂の質は神に在り。〔神は智の主なり。故に神平らかなれば則ち質平らかに、神陂なれば則ち質陂なり。〕明暗の実は精に在り。〔精は実の本なり。精清ければ則ち実明らかに、精濁れば則ち実暗し。〕勇怯の勢は筋に在り。〔筋は勢の用なり。故に筋勁ければ則ち勢勇に、弱ければ則ち勢怯なり。〕強弱の植は骨に在り。〔骨は植の機なり。故に骨麤ければ則ち植強く、骨細ければ則ち植弱し。〕躁静の決は気に在り。〔気は決の地なり。気盛んなれば躁に決し、気冲なれば静に決す。〕惨懌の情は色に在り。〔色は精の候なり。故に色悴るるは情惨むに由り、色懌ぶは情懌ぶに由るなり。〕衰正の形は儀に在り。〔儀は形の表なり。故に儀衰うるは形殆うきに由り、儀正しきは形粛なるに由る。〕態度の動は容に在り。〔容は動の符なり。哀しみ動けば則ち容哀しく、態正しければ則ち容度あるなり。〕緩急の状は言に在り。〔言は心の状なり。心恕なれば則ち言緩く、心偏なれば則ち言急なり。〕若し質素にして平淡、中は睿く外は朗らか、筋勁く植固く、声清く色沢い、儀は崇く容は直ければ、則ち純粋の徳なり」と。
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人物志・八觀其の言甚だ懌べども、精色従わざる者は、中に違う有るなり。其の言違う有れども、精色信ずべき者は、辞の敏ならざるなり。
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『長短経』知人〔人物志に曰く「軽諾は烈に似て信寡なく、多易は能に似て効無く、進鋭は精に似て去ること速やかに、訶する者は察に似て事煩わしく、施しを許すは恵に似て終わり無く、面従は忠に似て退けば違う。此れ是に似て非なる者なり。亦た非に似て是なる者有り。大権は姦に似て功有り、大智は愚に似て内は明らかに、博愛は虚に似て実は厚く、正言は訐に似て情は忠なり。天下の至精に非ずんば、孰か能く其の実を得んや」と。〕
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『長短経』知人夫れ人の言行類せず、終始相悖り、外内合わずして、仮節を立てて以て視聴を感ぜしむる者を、毀志の者と曰うなり。〔人物志に曰く「夫れ純訐は性違にして公正なる能わず、訐に依れば直に似て、訐を以て善を訐く。純宕は流に似て道に通ずる能わず、宕に依れば通に似て、行いは敖りて節に過ぐ。故に曰く、直なる者も亦た訐し、訐なる者も亦た訐す。其の訐は則ち同じくして、其の訐する所以は則ち異なる。通なる者も亦た宕し、宕なる者も亦た宕す。其の宕は則ち同じくして、其の宕たる所以は異なる。其の依似を観れば、則ち毀志知る可し」と。〕
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『長短経』知人夫れ人に気有り。気なる者は、誠は其の中に在れば必ず諸を外に見わすを謂うなり。故に心気麤厲なる者は、其の声沈散す。心気詳慎なる者は、其の声和節なり。心気鄙戻なる者は、其の声麤獷なり。心気寛柔なる者は、其の声温潤なり。信気は中に易く、義気は時に舒び、和気は簡略、勇気は壮立す。此れ之を聴気と謂う。〔其の声を以て、其の実を処る。気は物を生じ、物生じて声有り。声に剛柔清濁有り、咸な声に発す。其の声を聴き、其の気を察し、其の為す所を考うれば、皆な知る可し。〕