長短経 / 先勝
嵩進兵擊之、卓曰、“不可。兵法、‘窮冦勿迫、歸衆勿追。’今我追國、是迫歸衆、追窮冦也。困獸猶鬬、蜂蠆有毒、况大衆乎?”嵩曰、“不然。吾前不擊、避其鋭也〔實而備之、强而避之、鋭卒勿攻。兵之機也。〕今而擊之、待其衰也。所擊疲師、非歸師也、國衆且走、莫有鬬志。以整擊亂、非窮冦也。”遂獨進兵擊之、使卓為後拒。連戰、大破。國走而死。卓大慚恨〔孫子曰、“怒而撓之。”言待其衰也。又曰、“卑而驕之。”言敵怒而進兵、則當外示屈弱、以髙其志、待其歸、隨而擊之。又曰、“引而勞之。”言因其進退以觀其變、然後攻其不備、出其不意。此兵家之勝、不可傳也。〕
新字:嵩進兵撃之、卓曰、“不可。兵法、‘窮寇勿迫、帰衆勿追。’今我追国、是迫帰衆、追窮寇也。困獣猶闘、蜂蠆有毒、況大衆乎?”嵩曰、“不然。吾前不撃、避其鋭也〔実而備之、強而避之、鋭卒勿攻。兵之機也。〕今而撃之、待其衰也。所撃疲師、非帰師也、国衆且走、莫有闘志。以整撃乱、非窮寇也。”遂独進兵撃之、使卓為後拒。連戦、大破。国走而死。卓大慚恨〔孫子曰、“怒而撓之。”言待其衰也。又曰、“卑而驕之。”言敵怒而進兵、則当外示屈弱、以高其志、待其帰、随而撃之。又曰、“引而労之。”言因其進退以観其変、然後攻其不備、出其不意。此兵家之勝、不可伝也。〕
書き下し
嵩、兵を進めて之を撃つ。卓曰く「不可なり。兵法に『窮寇は迫ること勿かれ、帰衆は追うこと勿かれ』と。今、我国を追うは、是れ帰衆に迫り、窮寇を追うなり。困獣も猶お闘い、蜂蠆も毒有り。況んや大衆をや」と。嵩曰く「然らず。吾前に撃たざるは、其の鋭を避くるなり〔実なれば之に備え、強ければ之を避く。鋭卒は攻むること勿かれ。兵の機なり〕。今之を撃つは、其の衰うるを待てばなり。撃つ所は疲師にして、帰師に非ざるなり。国の衆は且に走らんとし、闘志有る莫し。整を以て乱を撃つ。窮寇に非ざるなり」と。遂に独り兵を進めて之を撃ち、卓をして後拒と為さしむ。連戦して、大いに破る。国走りて死す。卓大いに慚じ恨む〔孫子曰く「怒らせて之を撓す」と。其の衰うるを待つを言うなり。又た曰く「卑くして之を驕らす」と。敵怒りて兵を進むれば、則ち当に外に屈弱を示して、以て其の志を高くし、其の帰るを待ちて、随いて之を撃つべきを言う。又た曰く「引きて之を労す」と。其の進退に因りて以て其の変を観、然る後に其の備え無きを攻め、其の不意に出づるを言う。此れ兵家の勝ち、伝うべからざるなり〕。
現代語訳
皇甫嵩は兵を進めて王国を撃とうとした。董卓は言った。「いけない。兵法に『追い詰められた敵に迫るな、帰る軍を追うな』とある。いま王国を追うのは、帰る軍に迫り、追い詰められた敵を追うことだ。追い詰められた獣でさえ戦い、蜂やさそりにも毒がある。まして大軍ならなおさらだ」。皇甫嵩は言った。「そうではない。私が前に撃たなかったのは、敵の鋭さを避けたからだ〔敵が充実していれば備え、強ければ避け、鋭い兵は攻めない。これが兵の機である〕。いま撃つのは、敵が衰えるのを待ったからだ。撃つのは疲れた軍であって、帰る軍ではない。王国の兵は逃げようとしていて、闘志がない。整った軍で乱れた軍を撃つのであって、追い詰められた敵ではない」。そして一人で兵を進めて撃ち、董卓を後詰めにした。続けて戦って大いに破り、王国は逃げて死んだ。董卓はひどく恥じて恨んだ〔孫子は「怒らせて乱す」と言う。敵が衰えるのを待つことを言っている。また「へりくだって驕らせる」と言う。敵が怒って兵を進めてきたら、外には弱く見せて相手の気を大きくさせ、相手が帰るのを待って後を追って撃つことを言う。また「引き回して疲れさせる」と言う。相手の進退に応じて変化を観察し、そのうえで備えのないところを攻め、不意を突くことを言う。これは兵法家の勝ち方で、前もって伝えることはできない〕。
解説

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孟子・盡心章句下齊饑う。陳臻曰く、「國人皆以えらく、夫子將に復た棠を發くことを為さんとす、と。殆ど復びす可からざるか。」孟子曰く、「是れ馮婦を為すなり。晉人に馮婦という者有り。善く虎を搏つ。卒に善士と為る。則ち野に之く。衆虎を逐う有り。虎、嵎を負う。之に敢て攖(せまる)る莫し。馮婦を望見し、趨りて之を迎う。馮婦、臂を攘(はらう)いて車を下る。衆皆之を悅びしも、其の士為る者は之を笑えり。」
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孫子・九地篇是の故に散地には則ち戦うこと無かれ、軽地には則ち止まること無かれ、争地には則ち攻むること無かれ、交地には則ち絶つこと無かれ、衢地には則ち交を合わせ、重地には則ち掠め、圮地には則ち行き、囲地には則ち謀り、死地には則ち戦う。
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