長短経 / 覇図
冬十月、義師次長樂宫。衛文昇挾代王乗城拒守。十一月、平京師、尊代王為天子、改元義寧〔遣使四出狥郡縣。隋行宫、唐公悉罷之。後宫、還其親屬。初、隋將多侵百姓、百姓患之。及義師至、秋毫無犯、皆曰、「真吾君也。」〕時煬帝將之丹陽、而大臣將卒皆北人、不願南遷、咸思歸。宇文化及因百姓之不堪命、殺煬帝於江都、隋室王侯無少長、皆斬之。立嗣王浩為天子、化及為丞相
新字:冬十月、義師次長楽宮。衛文昇挟代王乗城拒守。十一月、平京師、尊代王為天子、改元義寧〔遣使四出狥郡県。隋行宮、唐公悉罷之。後宮、還其親属。初、隋将多侵百姓、百姓患之。及義師至、秋毫無犯、皆曰、「真吾君也。」〕時煬帝将之丹陽、而大臣将卒皆北人、不願南遷、咸思帰。宇文化及因百姓之不堪命、殺煬帝於江都、隋室王侯無少長、皆斬之。立嗣王浩為天子、化及為丞相
書き下し
冬十月、義師、長楽宮に次す。衛文昇、代王を挟みて城に乗じて拒守す。十一月、京師を平らげ、代王を尊びて天子と為し、義寧と改元す。〈使いを遣わして四つながら出でて郡県を狥う。隋の行宮、唐公悉く之を罷む。後宮は、其の親属に還す。初め、隋の将、多く百姓を侵す。百姓、之を患う。義師の至るに及び、秋毫も犯さず。皆な曰く「真に吾が君なり」と。〉時に煬帝、将に丹陽に之かんとす。而して大臣将卒は皆な北人にして、南遷を願わず、咸な帰らんことを思う。宇文化及、百姓の命に堪えざるに因りて、煬帝を江都に殺す。隋室の王侯、少長と無く、皆な之を斬る。嗣王浩を立てて天子と為し、化及、丞相と為る。
現代語訳
冬十月、義軍は長楽宮に宿営した。衛文昇は代王を擁して城に籠もって守った。十一月、都を平らげ、代王を尊んで天子とし、義寧と改元した。〈使者を四方へ出して郡県を従わせた。隋の行宮を唐公はすべて廃した。後宮の女たちは親族に返した。はじめ、隋の将は多く民を侵した。民はこれに苦しんだ。義軍が来ると、わずかな毛先も犯さなかった。みな「本当のわが君だ」と言った。〉当時、煬帝は丹陽へ行こうとしていた。しかし大臣も将兵もみな北の出身で、南への移住を願わず、みな帰りたがっていた。宇文化及は民が命令に耐えられないのに乗じて、煬帝を江都で殺した。隋の王侯は老いも若きもみな斬った。嗣王の浩を天子に立て、宇文化及は丞相となった。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』覇図慈明曰く「蒲山公は名を先帝に策し、位は朝端を極む。明公、我を造るの恩を思わずして、翻りて反噬の志を懐き、皇隋の大徳を棄てて、梟感の頑囂に即く。悪積み禍盈ち、敗るること踵を旋らさず。網は呑舟を漏らし、今日に至る。昔、巨君は天下の衆を以てして、光武に弊る。処仲は江左の師を以てして、明帝に窮まる。明公は烏合の卒を以て、数千を越えず。狼顧鴟張し、強梁村䲧たり。唯だ徳のみ是れ輔く。公、何ぞ預らんや」と。密、乃ち之を司徒府に幽す。慈明、密かに人をして東都に詣らしむ。事泄れ、翟譲、之を殺す。〉詔して唐国公淵をして太原に鎮せしむ。五月甲子、唐公、義兵を挙げ、遥かに煬帝を尊びて太上皇と為し、代王侑を立てて天子と為し、伊・霍の故事を行う。檄を天下に伝え、之を聞きて響応す。〈此れ裴寂・殷開山の計なり。代王侑、時に西京に在り。〉
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『長短経』覇図隋の高祖、姓は楊氏、名は堅。周の武帝の初め、隋州刺史と為り、女は太子妃と為る。周の宣帝立ち、拝して大司馬と為す。宣帝崩じ、靖帝を立て、爵を進めて隋王と為す。遂に位を禅る。号を改めて九年、陳を平らぐ。太子勇を廃して庶人と為し、晋王広を立てて皇太子と為す。高祖崩じ、太子即位す。〈是を煬帝と為す。〉煬帝、無道にして、盗賊蜂起す。十三年、江都に幸す。李密、壇を鞏に設け、自ら署して魏公と為す。〈密は遼東の人、蒲山公寛の子なり。少くして倜儻にして大志有り。常に乱を思うの心有り。楊玄感と刎頸の交わりを為す。玄感、勢いを以て之を凌ぐ。密怒りて曰く「機を両陣の間に決し、喑啞叱咤して三軍を披靡せしめ、功を一時に邀うるは、密、公に如かず。若し彼の長途を渉り、賢俊を駆策して、各々其の用を申べしむるは、公、密に如かず。豈に一階一級を以て天下の士大夫を軽んず可けんや」と。玄感の反するに及び、密、之に帰し、其の謀主と為る。後、玄感敗れ、密、姓名を変じて、翟譲に奔る。譲、密を立てて魏公と為す。幕府を開き、僚属を置く。九十余万人有り。〉
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『長短経』覇図〈上、曽て夢に青衣の児を見る。謂いて曰く「去るも亦た死し、住まるも亦た死す。船に乗じて江水を渡るに若かず」と。裴蘊・虞世基は皆な南人なり。其の事を賛成す。将率、南遷を願わず、将に会に因りて之を鴆せんとす。南陽公主、其の婿を殺すを懼れ、謀を以て宇文士及に告ぐ。士及、其の兄化及に告ぐ。遂に反して帝を執う。帝曰く「吾、何ぞ天地に負きて此に至るか」と。馬文挙、対えて曰く「臣聞く、万姓は主無かる可からず。故に君を立てて以て之を撫す、と。是れ知る、一人、万姓を養う。万姓、一人を養うに非ざるなり。高祖文皇帝、粤に下国を有ち、丕いに大宝を隆んにし、苛政を除き、恩徳を布く。南のかた強陳を伐ち、北のかた狡虜を滅ぼす。二十余年、河清く海晏らかなり。既にして世を棄てて升遐す。陛下即位し、社稷に違遠し、京師を委棄し、巡遊行幸して、略ぼ寧歳無し。
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『長短経』覇図大唐、王世充、越王侗を洛陽に殺し、僭りて尊号を称す。隋氏滅ぶ。〈梁の時、沙門宝誌、書を為りて曰く「三を牽きて九に就く。索虜、殿を下りて走る。意は東南に遊ばんと欲するも、厄は彭城の口に在り」と。今茲三月、江東の童謡に曰く「江水何ぞ冷冷たる、楊柳何ぞ青青たる。人、今、正に楽しみを好むも、已に復た彭城を戍る」と。三を牽きて九に就くは、十二年なり。戍は輸を言うなり。呉人は北人を謂いて虜と為す。江都の西に彭城村有り、村に彭城水有り。上、其の水を引きて西閣の下に入る。果たして此に於て執えらる。初め、上、江都に在り、英雄競い起こると聞き、皆な曰く「此れ乃ち狂賊なり。終に成す所無からん」と。義師起こると聞くに及び、上、方に臥す。驚き起ちて曰く「此れ之を得たり。楊広は博覧多聞なるも、学の淵きを知らず。天子と為るに、安くんぞ聖を用いんや」と。心を撫して歎ずること久しく、復た臥して曰く「王者は死せず。天、自ら人を成すなり」と。〉
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『長短経』懼戒裴寂の計を用い、伊尹の太甲を放ち、霍光の昌邑を廃する故事に准い、煬帝を尊びて太上皇と為し、代王侑を立てて以て隋室を安んじ、檄を諸郡に伝えて、以て義挙を彰らかにす。秋七月、精甲三万を以て、西のかた関中を図る。高祖白旗に仗り、衆に太原の野に誓い、師を引きて路に即き、遂に隋族を亡ぼし、我が区夏を造る。