長短経 / 覇図
慈明曰、「蒲山公策名先帝、位極朝端、明公不思造我之恩、翻懷反噬之志、棄皇隋之大徳、即梟感之頑囂、惡積禍盈、敗不旋踵、網漏呑舟、至於今日。昔巨君以天下之衆、弊於光武、處仲以江左之師、窮乎明帝。明公以烏合之卒、不越數千、狼顧䲭張、强梁村䲧唯徳是輔、公何預焉!」宻乃幽之於司徒府、慈明宻令人詣東都、事泄、翟譲殺之。〕詔唐國公淵鎮太原。五月甲子、唐公舉義兵、遥尊煬帝為太上皇、立代王侑為天子、行伊、霍故事。傳檄天下、聞之響應〔此裴寂、殷開山計也、代王侑時在西京。〕
新字:慈明曰、「蒲山公策名先帝、位極朝端、明公不思造我之恩、翻懐反噬之志、棄皇隋之大徳、即梟感之頑囂、悪積禍盈、敗不旋踵、網漏呑舟、至於今日。昔巨君以天下之衆、弊於光武、処仲以江左之師、窮乎明帝。明公以烏合之卒、不越数千、狼顧䲭張、強梁村䲧唯徳是輔、公何預焉!」密乃幽之於司徒府、慈明密令人詣東都、事泄、翟譲殺之。〕詔唐国公淵鎮太原。五月甲子、唐公舉義兵、遥尊煬帝為太上皇、立代王侑為天子、行伊、霍故事。伝檄天下、聞之響応〔此裴寂、殷開山計也、代王侑時在西京。〕
書き下し
慈明曰く「蒲山公は名を先帝に策し、位は朝端を極む。明公、我を造るの恩を思わずして、翻りて反噬の志を懐き、皇隋の大徳を棄てて、梟感の頑囂に即く。悪積み禍盈ち、敗るること踵を旋らさず。網は呑舟を漏らし、今日に至る。昔、巨君は天下の衆を以てして、光武に弊る。処仲は江左の師を以てして、明帝に窮まる。明公は烏合の卒を以て、数千を越えず。狼顧鴟張し、強梁村䲧たり。唯だ徳のみ是れ輔く。公、何ぞ預らんや」と。密、乃ち之を司徒府に幽す。慈明、密かに人をして東都に詣らしむ。事泄れ、翟譲、之を殺す。〉詔して唐国公淵をして太原に鎮せしむ。五月甲子、唐公、義兵を挙げ、遥かに煬帝を尊びて太上皇と為し、代王侑を立てて天子と為し、伊・霍の故事を行う。檄を天下に伝え、之を聞きて響応す。〈此れ裴寂・殷開山の計なり。代王侑、時に西京に在り。〉
現代語訳
馮慈明は言った。「蒲山公は先帝に名を連ね、位は朝廷の頂点を極めた。明公は自分を作ってくれた恩を思わず、かえって噛みつく志を抱き、隋の大恩を棄てて、梟のような頑なさに走った。悪が積もり禍が満ちて、敗れるのは踵を返す間もない。法の網が大魚を漏らして、今日に至っただけだ。昔、王莽は天下の兵を持ちながら光武帝に敗れた。王敦は江南の軍を持ちながら明帝に窮した。明公は烏合の兵で、数千を越えない。狼のように振り返り鴟のように翼を張り、乱暴な村の鳥にすぎない。ただ徳ある者だけが助けられる。あなたに何の関わりがあろう」。李密は彼を司徒府に幽閉した。馮慈明はひそかに人を東都へ遣わした。事が漏れ、翟譲が殺した。〉詔して唐国公李淵に太原を鎮させた。五月甲子、唐公は義兵を挙げ、遠く煬帝を尊んで太上皇とし、代王侑を天子に立て、伊尹と霍光の先例に倣った。檄を天下に伝え、聞いた者が響くように応じた。〈これは裴寂と殷開山の計である。代王侑は当時、西の都にいた。〉
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』覇図冬十月、義師、長楽宮に次す。衛文昇、代王を挟みて城に乗じて拒守す。十一月、京師を平らげ、代王を尊びて天子と為し、義寧と改元す。〈使いを遣わして四つながら出でて郡県を狥う。隋の行宮、唐公悉く之を罷む。後宮は、其の親属に還す。初め、隋の将、多く百姓を侵す。百姓、之を患う。義師の至るに及び、秋毫も犯さず。皆な曰く「真に吾が君なり」と。〉時に煬帝、将に丹陽に之かんとす。而して大臣将卒は皆な北人にして、南遷を願わず、咸な帰らんことを思う。宇文化及、百姓の命に堪えざるに因りて、煬帝を江都に殺す。隋室の王侯、少長と無く、皆な之を斬る。嗣王浩を立てて天子と為し、化及、丞相と為る。
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『長短経』覇図乃ち詔して馮慈明をして東都に詣りて兵を徴せしめ、将に以て密を討たんとす。徼邏の獲る所と為り、之を李密に帰す。密、慈明の至るを聞きて大いに悦び、慈明に謂いて曰く「皇天に親無し。唯だ徳のみ是れ輔く。主上、毒を四海に流し、天下咸な知る。密、蒼生を糾合し、宇内を平らげんことを思う。熊羆の士、百万余り有り。敖倉の粟に拠り、成皋の険を帯び、干戈は精練、甲冑は堅実なり。東海を決して西流せしむ可く、泰山を蹴りて東倒せしむ可し。此を以て敵を禦がば、何の敵か摧けざらん。此を以て城を攻めば、何の城か陥らざらん。東都は危急にして、日ならずして将に降らんとす。幸わくは少しく意を留め、同に功名を建てん」と。
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『長短経』懼戒裴寂の計を用い、伊尹の太甲を放ち、霍光の昌邑を廃する故事に准い、煬帝を尊びて太上皇と為し、代王侑を立てて以て隋室を安んじ、檄を諸郡に伝えて、以て義挙を彰らかにす。秋七月、精甲三万を以て、西のかた関中を図る。高祖白旗に仗り、衆に太原の野に誓い、師を引きて路に即き、遂に隋族を亡ぼし、我が区夏を造る。
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『長短経』覇図隋の高祖、姓は楊氏、名は堅。周の武帝の初め、隋州刺史と為り、女は太子妃と為る。周の宣帝立ち、拝して大司馬と為す。宣帝崩じ、靖帝を立て、爵を進めて隋王と為す。遂に位を禅る。号を改めて九年、陳を平らぐ。太子勇を廃して庶人と為し、晋王広を立てて皇太子と為す。高祖崩じ、太子即位す。〈是を煬帝と為す。〉煬帝、無道にして、盗賊蜂起す。十三年、江都に幸す。李密、壇を鞏に設け、自ら署して魏公と為す。〈密は遼東の人、蒲山公寛の子なり。少くして倜儻にして大志有り。常に乱を思うの心有り。楊玄感と刎頸の交わりを為す。玄感、勢いを以て之を凌ぐ。密怒りて曰く「機を両陣の間に決し、喑啞叱咤して三軍を披靡せしめ、功を一時に邀うるは、密、公に如かず。若し彼の長途を渉り、賢俊を駆策して、各々其の用を申べしむるは、公、密に如かず。豈に一階一級を以て天下の士大夫を軽んず可けんや」と。玄感の反するに及び、密、之に帰し、其の謀主と為る。後、玄感敗れ、密、姓名を変じて、翟譲に奔る。譲、密を立てて魏公と為す。幕府を開き、僚属を置く。九十余万人有り。〉
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『長短経』覇図秋七月、唐公、将に西のかた長安を図らんとす。白旗を仗き、衆に太原の野に誓う。被甲三万。公子元吉を留めて太原を守らしむ。義師、霍邑に次す。隋の武牙郎将宋老生、義師を拒ぐ。時に雨連なりて霽れず、糧運給せず。又た訛言すらく、突厥将に太原を襲わんとすと。唐公懼れ、師を旋らすを命ず。秦王の諫めを用い、乃ち止む。〈秦王諫めて曰く「独夫、虐を肆にし、天下崩離す。狼顧蜂飛し、州に跨がり県に連なる。丈夫は耕耘するを得ず、女子は紡績するを得ず。故に剣を汾晋に仗き、旆を秦墟に挙ぐ。将に封豕を斬りて以て万人を安んじ、鯨鯢を戮して四海を清めんとす。崤函の固きに拠り、天子の威を挟み、諸侯に令し、天下を定む。是を以て之を聞きて響応し、投赴すること帰するが如し。今、小敵に遇いて、便ち旆を返さば、恐らくは義師、一朝に解体し、大事去らん。勢い全くす可からず。帰りて太原を守らば、則ち一城の賊のみ。恐らくは踵を旋らさずして、禍変仍りて生ぜん」と。乃ち止むなり。〉老生、城を背にして一戦す。之を斬りて、霍邑を平らぐ。〈諸城皆な降る。唯だ屈突通のみ河東に鎮し、堅守して下らざるなり。〉
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『長短経』懼戒是に於て賓客を部署し、陰かに起義を図る。高祖乃ち文静に命じて詐りて煬帝の勅を為り、太原・雁門・馬邑数郡の人二十已上、五十以下を発して悉く兵と為し、歳暮を以て涿郡に集めしむ。是に由りて人情大いに擾れ、乱を思う者益々衆し。又た文静と裴寂とに令して詐りて符勅を作り、官監の庫物を出だして、以て留守の資用に供す。因りて兵を募り衆を集めて起ち、旗幟を改めて以て義挙を彰らかにす。又た文静をして突厥に連ならしむ。突厥の始畢曰く「唐公義を挙ぐ、何を為さんと欲するや」と。文静曰く「文皇帝は冢嫡を廃し、位を後主に伝え、因りて斯の禍乱を致す。唐公は国の懿戚にして、成敗を坐観するに忍びず、当に立つべからざる者を廃せんと欲す。願わくは可汗の兵馬と同に京師に入らん。人衆・土地は唐公に入り、財帛・金宝は突厥に入らん」と。始畢大いに悦び、即ち兵を遣わして文静に随わしめて至る。兵威益々盛んなり。〕