長短経 / 臣行
〔或曰、“樂毅相弱燕、破强齊、合五國之兵、雪君王之恥、圍城而不急攻、將令道窮而義服、則仁者之師、咸以為謨謀勝武侯也。可乎?”張輔曰、“夫以五國之兵共伐一齊、不足為强、大戰濟西、伏尸流血、不足為仁。彼孔明包文武之徳、長嘯俟時。劉𤣥徳以知人之明、屢造其廬、咨以濟世
新字:〔或曰、“楽毅相弱燕、破強斉、合五国之兵、雪君王之恥、囲城而不急攻、将令道窮而義服、則仁者之師、咸以為謨謀勝武侯也。可乎?”張輔曰、“夫以五国之兵共伐一斉、不足為強、大戦済西、伏尸流血、不足為仁。彼孔明包文武之徳、長嘯俟時。劉玄徳以知人之明、屡造其廬、咨以済世
書き下し
〔或るひと曰く「楽毅は弱燕に相たり、強斉を破り、五国の兵を合わせ、君王の恥を雪ぐ。城を囲みて急に攻めず、将に道窮まりて義服せしめんとす。則ち仁者の師なり。咸な以て武侯に謨謀勝ると為す。可なるか」と。張輔曰く「夫れ五国の兵を以て共に一斉を伐つは、強しと為すに足らず。大いに済西に戦い、尸を伏せ血を流すは、仁と為すに足らず。彼の孔明は文武の徳を包み、長嘯して時を俟つ。劉玄徳は人を知るの明を以て、屢しば其の廬に造り、咨るに済世を以てす。
現代語訳
〔ある人が言った。「楽毅は弱い燕の宰相となり、強い斉を破り、五国の兵を合わせ、君王の恥をすすぎました。城を囲んで急には攻めず、道が窮まって義によって服させようとした。これこそ仁者の軍です。みな謀において諸葛亮に勝ると考えています。それでよいですか」。張輔は言った。「五国の兵で共同して一つの斉を討つのは、強いとするに足りない。済西で大いに戦い、屍を伏せ血を流したのは、仁とするに足りない。あの孔明は文武の徳を包み、長く嘯いて時を待った。劉備は人を知る明によって、たびたびその庵を訪ね、世を救うことについて相談した。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『宋名臣言行録』前集巻四・王曙公、蜀を治むるに頗る法を以て下を御す。其の太だ苛なるを謗る有り。㑹々劉煜召し還されて右正言と為る。真宗召して問う、凌䇿と王曙と、蜀を治むること孰れか優れると。曰く、凌䇿の蜀に在るは歳の豐なるに値う。故に平易を以て之を治むるを得たり。王曙は歳の歉なるに值う。民の盗を為さんことを慮る。故に法を以て之を治む。地を易えしめば則ち皆な然らんと。上、其の言を善しとす。
-
『墨子』雜守子墨子曰く、凡そ守らざる者に五有り。城大にして人少なきは、一の守らざるなり。城小にして人衆きは、二の守らざるなり。人衆くして食寡なきは、三の守らざるなり。市、城を去ること逺きは、四の守らざるなり。畜積、外に在り、富人、虚に在るは、五の守らざるなり。萬家を率いて城、方三里。
-
『墨子』備城門凡そ圍城を守るの法、厚くして以て髙く、壕や深くして以て廣く、樓撕・揗守の備え、繕い利し。薪食は以て三月以上に交うるに足り、人衆は以て選び、吏尺は和し、大臣の上に功勞有る者は多く、主は信にして義を以てし、萬民、之を樂しむこと窮まり無し。然らずんば、父母の墳墓、焉に在り。然らずんば、山林草澤の饒、利するに足る。然らずんば、地形の攻め難くして守り易きなり。然らずんば、則ち敵に深き怨み有りて上に大功有り。然らずんば、則ち賞、眀らかにして信ず可く、罰、嚴にして畏るるに足るなり。
-
『墨子』非攻下今、夫の師なる者の相い不利を為す者や、曰く、將、勇ならず、士、分たず、兵、利からず、教、習わず、師、衆からず、卒、和せず、威、圉がず、之を害すること久しからず、之を争うこと疾からず、之に孫うこと强からず、心を植うること堅からず、與國の諸侯、疑う。與國の諸侯、疑えば、則ち敵、慮を生じて意、嬴らん。
-
『墨子』經說上故。小故は、之れ有るも必ずしも然らず、之れ無ければ必ず然らず。體なり、端有るが若し。大故は、之れ有れば必ず然ること無し、之を見て見を成すが若し。體は、二の一、尺の端の若きなり。知材。知なる者は、知る所以なり。而して必ず知る、眀の若し。慮。慮なる者は、其の知を以て求むる有るなり。而して必ずしも之を得ず、睨るが若し。知。知なる者は、其の知を以て物に過り、而して能く之を貌るなり。見るが若し。恕。恕なる者は、其の知を以て物を論じ、而して其の之を知るや著し。眀の若し。仁。己を愛するは、己を用うるが為に非ず、愛の焉に著しきに若かず。眀の若し。義。志、天下を以て芬と為し、而して能く之を利す。必ずしも用いられず。禮。貴き者は公とし、賤しき者は名とす。而して倶に敬僈有り、等しくして論を異にするなり。行。為す所、名を善くせざるは行なり。為す所、名を善くするは巧なり、盜を為すが若し。
-
『墨子』魯問子墨子、公尚過を越に游ばしむ。公尚過、越王に説く。越王、大いに説び、公尚過に謂いて曰く、「先生、茍くも能く子墨子をして越に於いて寡人を教えしめば、請う、故吳の地、方五百里を裂きて以て子墨子に封ぜん」と。公尚過、許諾す。遂に公尚過の為に車五十乗を束ね、以て子墨子を魯に迎えて曰く、「吾れ夫子の道を以て越王に説く。越王、大いに悦びて過に謂いて曰く、『茍くも能く子墨子をして越に至りて寡人を教えしめば、請う、故吳の地、方五百里を裂きて以て子を封ぜん』と」。子墨子、公尚過に謂いて曰く、「子、越王の志を觀るに何若。意うに越王、将に吾が言を聴き、吾が道を用いんとせば、則ち翟、将に往かんとす。腹を量りて食い、身を度りて衣し、自ら羣臣に比せん。奚んぞ能く封を以て為さんや。抑そも越、吾が言を聴かず、吾が道を用いずして、我れ往かば、則ち是れ我れ義を以て糶るなり。之を糶るに鈞しくんば、亦た中國に於いてするのみ。何ぞ必ずしも越に於いてせんや」と。