長短経 / 正論
班固曰、“人函天地隂陽之氣、有喜怒哀樂之情、天稟其性而不節也、聖人能為之節、而不能絶也。故象天地而制禮樂、所以通神明、立人倫、正情性、節萬事也。人性有男女之情、妬忌之别、為制婚姻之禮、有交接長幼之序、為制鄉飲之禮、有哀死思逺之情、為制䘮祭之禮、有尊尊敬上之心、為制朝覲之禮。哀有哭踊之節、樂有歌舞之容、正人足以副其誠、邪人足以防其失。故婚姻之禮廢、則夫婦之道苦、而淫僻之罪多、鄉飲之禮廢、則長幼之序亂、而爭鬬之獄煩、䘮祭之禮廢、則骨肉之恩薄、而背死㤀生者衆、朝聘之禮廢、則君臣之位失、而侵凌之漸起。故孔子曰、‘安上治人、莫善於禮、移風易俗、莫善于樂。揖讓而治天下者、禮樂之謂也。’”〕
新字:班固曰、“人函天地陰陽之気、有喜怒哀楽之情、天稟其性而不節也、聖人能為之節、而不能絶也。故象天地而制礼楽、所以通神明、立人倫、正情性、節万事也。人性有男女之情、妬忌之別、為制婚姻之礼、有交接長幼之序、為制郷飲之礼、有哀死思遠之情、為制喪祭之礼、有尊尊敬上之心、為制朝覲之礼。哀有哭踊之節、楽有歌舞之容、正人足以副其誠、邪人足以防其失。故婚姻之礼廃、則夫婦之道苦、而淫僻之罪多、郷飲之礼廃、則長幼之序乱、而争闘之獄煩、喪祭之礼廃、則骨肉之恩薄、而背死㤀生者衆、朝聘之礼廃、則君臣之位失、而侵凌之漸起。故孔子曰、‘安上治人、莫善於礼、移風易俗、莫善于楽。揖譲而治天下者、礼楽之謂也。’”〕
書き下し
班固曰く「人は天地陰陽の気を函み、喜怒哀楽の情有り。天は其の性を稟けて節せず。聖人は能く之が節を為して、絶つ能わざるなり。故に天地に象りて礼楽を制す。神明に通じ、人倫を立て、情性を正し、万事を節する所以なり。人性に男女の情、妬忌の別有り。為に婚姻の礼を制す。交接長幼の序有り。為に郷飲の礼を制す。死を哀しみ遠きを思うの情有り。為に喪祭の礼を制す。尊を尊び上を敬うの心有り。為に朝覲の礼を制す。哀には哭踊の節有り、楽には歌舞の容有り。正しき人は以て其の誠に副うに足り、邪なる人は以て其の失を防ぐに足る。故に婚姻の礼廃るれば、則ち夫婦の道苦しみて、淫僻の罪多く、郷飲の礼廃るれば、則ち長幼の序乱れて、争闘の獄煩わし。喪祭の礼廃るれば、則ち骨肉の恩薄くして、死に背き生を忘るる者衆く、朝聘の礼廃るれば、則ち君臣の位失われて、侵凌の漸起こる。故に孔子曰く『上を安んじ人を治むるは、礼より善きは莫し。風を移し俗を易うるは、楽より善きは莫し。揖譲して天下を治むるとは、礼楽の謂なり』と」と。〉
現代語訳
班固はこう言った。「人は天地陰陽の気を含み、喜怒哀楽の情がある。天はその性を与えたが節度は与えなかった。聖人はその節度を作れるが、情を絶やすことはできない。だから天地にかたどって礼楽を定めた。神明に通じ、人倫を立て、情性を正し、万事に節度を与えるためである。人の性には男女の情と嫉妬の別がある。そのために婚姻の礼を定めた。交わりと年長年少の序列がある。そのために郷飲の礼を定めた。死を哀しみ遠い祖先を思う情がある。そのために喪祭の礼を定めた。尊い者を尊び上を敬う心がある。そのために朝覲の礼を定めた。哀しみには泣き踊る節度があり、楽しみには歌い舞う形がある。正しい人にはその誠を表すに足り、邪な人にはその過ちを防ぐに足りる。だから婚姻の礼が廃れれば夫婦の道が苦しくなり不倫の罪が増え、郷飲の礼が廃れれば年長年少の序列が乱れて争いの訴訟が煩わしくなり、喪祭の礼が廃れれば肉親の情が薄くなり死者に背き生者を忘れる者が増え、朝聘の礼が廃れれば君臣の位が失われ侵し合いが始まる。だから孔子はこう言った。『上を安んじ民を治めるには礼に勝るものはない。風俗を改めるには楽に勝るものはない。譲り合って天下を治めるとは、礼楽のことである』」。〉
解説

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