長短経 / 量才
紹因累世之資、髙議揖譲以收名譽、士之好言飾外者多歸之、公至心待人、推誠而行之、不為虗美、以儉率下、與有功者無所恡、士之忠正遠見而有實者皆願為用、此徳勝、六也。紹見人飢寒、恤念之情形於顔色、其所不見、慮或不及、所謂婦人之仁耳、公於目前小事、時有所忽、至於大事、與四海相接、恩之所加、皆過其望、雖所不見、慮之所周、無不濟也、此仁勝、七也。
新字:紹因累世之資、高議揖譲以収名誉、士之好言飾外者多帰之、公至心待人、推誠而行之、不為虚美、以倹率下、与有功者無所恡、士之忠正遠見而有実者皆願為用、此徳勝、六也。紹見人飢寒、恤念之情形於顔色、其所不見、慮或不及、所謂婦人之仁耳、公於目前小事、時有所忽、至於大事、与四海相接、恩之所加、皆過其望、雖所不見、慮之所周、無不済也、此仁勝、七也。
書き下し
紹は累世の資に因り、高議揖譲して以て名誉を収む。士の言を好み外を飾る者は多く之に帰す。公は至心もて人を待ち、誠を推して之を行い、虚美を為さず、倹を以て下を率い、功有る者に与えて恡む所無し。士の忠正遠見にして実有る者は皆な用いられんことを願う。此れ徳の勝、六なり。紹は人の飢寒を見れば、恤念の情、顔色に形る。其の見ざる所は、慮り或いは及ばず。所謂婦人の仁のみ。公は目前の小事に於いて、時に忽せにする所有るも、大事に至りては、四海と相接し、恩の加わる所、皆其の望みに過ぐ。見ざる所と雖も、慮の周る所、済らざる無きなり。此れ仁の勝、七なり。
現代語訳
袁紹は代々の家柄を頼み、高尚な議論と謙譲のふるまいで名誉を集める。だから士のうち言葉を好み外面を飾る者が多く彼に帰属する。公は真心で人に接し、誠を推し進めて行い、うわべの美辞を作らず、倹約で下を率い、功績のある者に与えて惜しむことがない。だから士のうち忠実で正しく先を見通し中身のある者は、みな用いられたいと願う。これが徳の勝、第六である。袁紹は人の飢えや寒さを見れば、あわれむ情が顔色に出る。しかし見ていないところまでは、心配りが及ばない。いわゆる婦人の仁にすぎない。公は目の前の小事では時に手抜かりがあるが、大事になれば四海と接し、恩の及ぶところはみな相手の期待を超える。見ていないところであっても、思慮の及ぶ範囲で、救われないものはない。これが仁の勝、第七である。
解説

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『童子問』卷上問ふ、先生既に仁を以て聖門の第一字と為し、而して又忠信を以て仁を行ふの地と為すは、何ぞや。曰く、有子曰く、「孝弟なる者は、其れ仁を為すの本か」と。孔子曰く、「忠信を主とす」と。夫れ孝弟は順徳、忠信は実心なり。人若し忠信ならざれば、則ち名は孝と為すと雖も実は孝に非ず、名は忠と為すと雖も実は忠に非ず。礼儀三百・威儀三千、節文度数粲然として観るべしと雖も、皆虚文末節にして、要するに観るに足らず。剪勝の華樹を観るが如し。目を悦ばしむるに足ると雖も、本真に非ず。奚ぞ以て貴しと為すに足らん。故に曰く、「誠ならざれば物無し」と。忠信を仁を行ふの地と為す、亦宜ならずや。
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『大和俗訓』巻之七・躬行下一程子曰、財ををしみては、よく善を行ふことなり難し。誠なくしては、善をなす事はなり難しと。此言むべなるかな。財を用ひずして、ただ言を以て人をかたらふとも、人を救ひがたし。人もまた悦ばずして其人のために忠を尽さざれば功をなすこと成りがたし。項羽を婦人の仁といひしも是なり。又凡の事、いつはりを以て善を行へば、中心より出でざる故、善を行ふに専一ならずして、其事成就せず。誠の善とすべからず。人も亦信とせず。感通の理なし。
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『肝要工夫録』・仁は身近な誠仁といふこと、大にいふときは、天下を安んじ、人民を救ふ事なれども、手近くいふときは、慈悲の事にて、道理を以て、禽獸草木に至るまで、深くいつくしみ、惠むことなり。元來人心の德は天より受け得て、物を憐む心なき者は、一人もなし。されば、朱子も、仁は心の德、愛の理と說き玉ふ、又論語に、吾、仁を欲すれば、斯に仁至るとのたまひて、心に備はる德なれば、いかなる匹夫卑賤の者にても、仁を欲すれば、直に仁行はるゝ事なり。人々其家業々々にと、眞實にさへすれば、是れ皆仁を行ふと云ふ者なり。武士の其君に忠勤して、其國を安んじ、人民を安堵せしむるも、神主の神明に祈念して、人の福德をねぎ奉るも、浮屠の佛法を弘通して、人を善道にみちびくも、醫師の人の疾苦をすくふも、商人の賣買を出精して、家を富まし、親屬を安んじ、職人の其業を勉めて、家內を養ふも、みな仁を行ふといふべし。何人にもあれ、その人、その身の分々につきて、まことは盡さるゝものなれば、唯だ日用に堪忍の二字をもつて、己の私欲に克ちて、本心の誠を盡くすこそ、仁を行ふ肝要の工夫なるべけれ、道歌に、