長短経 / 察相
又曰、「晉韓宣子如齊、見子雅。子雅召其子子旗、使見宣子。宣子曰、『非保家之主也、不臣。』」杜預曰、「言子雅志器亢也。」後十年、來奔。周靈王之弟儋季卒、其子括將見王而歎單公子愆期聞其歎也、入以吿王曰、「不戚而願大、視躁而足髙、心在他矣。不殺必為害。」王曰、「童子何知?」及靈王崩、儋括欲立王子佞夫。周大夫殺佞夫。」
新字:又曰、「晋韓宣子如斉、見子雅。子雅召其子子旗、使見宣子。宣子曰、『非保家之主也、不臣。』」杜預曰、「言子雅志器亢也。」後十年、来奔。周霊王之弟儋季卒、其子括将見王而嘆単公子愆期聞其嘆也、入以吿王曰、「不戚而願大、視躁而足高、心在他矣。不殺必為害。」王曰、「童子何知?」及霊王崩、儋括欲立王子佞夫。周大夫殺佞夫。」
書き下し
又た曰く「晋の韓宣子、斉に如き、子雅に見ゆ。子雅、其の子子旗を召して、宣子に見えしむ。宣子曰く『家を保つの主に非ざるなり、臣たらず』」と。杜預曰く「子雅の志器の亢ぶるを言うなり」と。後十年、来奔す。周の霊王の弟儋季卒す。其の子括、将に王に見えんとして歎ず。単公子愆期、其の歎を聞くや、入りて以て王に告げて曰く「戚しまずして大を願い、視は躁がしくして足は高し。心は他に在り。殺さずんば必ず害を為さん」と。王曰く「童子何をか知らん」と。霊王崩ずるに及び、儋括は王子佞夫を立てんと欲す。周の大夫、佞夫を殺す」と。
現代語訳
またこうある。「晋の韓宣子が斉へ行き、子雅に会った。子雅は息子の子旗を呼んで宣子に会わせた。宣子は言った。『家を保つ主ではない。臣下の器ではない』」。杜預は「子雅の志と器量が高ぶっていることを言ったのだ」と言う。十年後、子旗は亡命してきた。周の霊王の弟である儋季が死んだ。その子の括が王に会おうとしてため息をついた。単公子愆期はそのため息を聞くと、参内して王に告げた。「父の死を悲しまずに大きなことを願い、目つきは落ち着かず足取りは高ぶっています。心が別のところにあります。殺さなければ必ず害をなします」。王は「子どもに何が分かる」と言った。霊王が崩じると、儋括は王子佞夫を立てようとした。周の大夫が佞夫を殺した」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』察相天王、単子をして韓宣子に戚に会せしむ。視は下り言は徐かなり。叔向曰く「単子は其れ将に死せんとするか。朝に著有り、定会に表有り、衣に襘有り、帯に結有り。会朝の言は、必ず表著の位に聞こゆ、事の序を昭らかにする所以なり。視は結・襘の中を過ぎず、容貌を導く所以なり。言は以て之を定め、容貌は以て之を明らかにす。失すれば則ち闕有り。今、単子は王官の伯と為りて事を会に命ず。視は帯に登らず、言は歩を過ぎず、貌は容を導かず、而して言は昭らかならず。導かざるは恭ならず、昭らかならざるは従わず、守気無し」と。此の冬、単子卒す。宋の平公、昭子を享す。晏飲楽しみ、語りて相泣く。楽祁佐たり。退きて人に告げて曰く「今茲、君と叔孫と其れ将に死せんとするか。吾れ之を聞く、哀しみに楽しみ楽しみに哀しむは、皆な心を喪うなり。心の精爽、是れを魂魄と謂う。魂魄之を去らば、何を以て能く久しからん」と。此の年、叔孫・宋公皆な卒す。
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『長短経』察相斉の崔杼、師を帥いて我を伐つ。公之を患う。孟公綽曰く「崔子将に大志有らんとす。我を病ましむるに在らず。必ず速やかに帰らん。何をか患えんや。其の来るや冦せず、人を使うこと厳ならず、他日に異なる」と。斉の師、徒らに帰る。果たして荘公を弑す。晋・楚、諸侯を会して盟う。楚の公子囲、服を設けて衛を離る。魯の大夫叔孫穆子曰く「楚の公子は美なり、君なる哉」と。杜預曰く、君の服を設けたるなりと。此の年、子囲は位を簒う。衛の孫文子来聘す。君登れば亦た登る。叔孫穆子趨り進みて曰く「諸侯の会、寡君は未だ嘗て衛君に後れず。今、吾子は寡君に後れず。未だ過つ所を知らず。吾子其れ少しく安んぜよ」と。孫子は辞する無く、亦た悛むる容無し。穆叔曰く「孫子は必ず亡びん。臣と為りて君たり、過ちて悛めざるは、亡びの本なり」と。後十四年、林父は君を逐う。
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『長短経』察相成敗は決断に在り。此を以て之を参すれば、万に一を失わず。経に曰く「貴賤を言う者は骨骼に存し、脩短を言う者は虚実に存す」と。〔経に曰く「夫れ人の喘息なる者は、命の存する所なり。喘息条条として、状は長くして緩なる者は、長命の人なり。喘息急促にして、出入等しからざる者は、短命の人なり」と。又た曰く「骨肉堅硬なれば、寿にして楽しまず。体肉耎なる者は、楽しみて寿ならず」と。左伝に曰く、魯、襄仲をして斉に如かしむ。復命して曰く「臣聞く、斉人将に魯の麦を食わんとすと。臣の之を観るに、将に能わざらん。斉君の語は偸し。臧文仲に言える有り、人主偸なれば必ず死すと」。後に果たして然り。
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『長短経』察相邾の隠公来朝す。玉を執ること高く、其の容は仰ぐ。魯公、玉を受くること卑しく、其の容は俯す。子貢曰く「礼を以て之を観れば、二君は皆な死亡有らん。高く仰ぐは驕なり、卑しく俯すは替なり。驕は乱に近く、替は疾に近し。君は主たり、其れ先ず亡びんか」と。此の年、公薨ず。哀公七年、邾子益を以て帰る。衛侯、呉に鄖に会す。呉人、衛侯の舎を藩す。子貢、太宰嚭に説きて之を免る。衛侯帰りて、夷言を効う。子の之、尚お幼くして曰く「君は必ず免れじ。其れ夷に死せんか。執えられて又た其の言を説ぶ、之に従うこと固し」と。後に卒に楚に死す。
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『長短経』察相春秋左氏伝に曰く「楚子、将に商臣を以て太子と為さんとし、諸を令尹子上に訪う。子上曰く『是の人や、蜂目豺声、忍人なり。立つ可からざるなり』と。聴かず。後に謀反し、宮甲を以て成王を囲み、之を縊る」と。又た曰く「楚の司馬子良、子越椒を生む。子文曰く『必ず之を殺せ。是の人や、熊虎の状にして豺狼の声あり。殺さずんば、必ず若敖氏を滅ぼさん。諺に曰く、狼子野心と。是れ乃ち狼なり、其れ畜う可けんや』と。子良は不可とす。後に果たして反し、楚王を攻め、鼓して進む。遂に若敖氏を滅ぼす」と。
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『長短経』察相夫れ命と相とは、猶お声と響きとのごときなり。声は幾に動き、響きは応に窮まる。必然の理なり。言を以て行を信ずるは宰予に之を失い、貌を以て性を度るは子羽に之を失うと云うと雖も、然れども伝に称す「憂い無くして戚めば、憂い必ず之に及ぶ。慶び無くして歓べば、楽しみ必ず之を還す」と。此れ心に先ず動く有りて神に先ず知る有れば、則ち色に先ず見わるる有り。故に扁鵲は桓公を見て、其の将に亡びんとするを知る。申叔は巫臣を見て、其の妻を竊むを知る。或いは馬を躍らせ珍を膳し、或いは飛びて肉を食らい、或いは早くは隷にして晩くは侯たり、或いは初めは刑せられ末には王たり。銅巌も以て生を飽かしむる無く、玉饌も餓死に終わる。則ち彼の表を度り骨を捫し、色を指し理を摘むこと、誣う可からざるなり。故に列すること云爾。