長短経 / 七雄略
王計未定、樓緩從秦來、王以問之。緩曰、「不如與之。」虞卿曰、「臣言勿與、非固勿與而已也。秦索六城於王、王以六城賂齊。齊、秦之深讐也、得王之六城、并力而西擊秦、齊之德王、不待辭之畢也。則王失之於齊、取償於秦。而齊趙之深讐可以報矣、且示天下有能為也。王以此發聲、兵未窺於境、秦之重賂必至於趙而反請和於王。秦既請和、韓、魏聞之、必盡重王、重王、必出重寶以一於王。則是王一舉而得三國之親、而秦益危矣。」
新字:王計未定、楼緩従秦来、王以問之。緩曰、「不如与之。」虞卿曰、「臣言勿与、非固勿与而已也。秦索六城於王、王以六城賂斉。斉、秦之深讐也、得王之六城、并力而西撃秦、斉之徳王、不待辞之畢也。則王失之於斉、取償於秦。而斉趙之深讐可以報矣、且示天下有能為也。王以此発声、兵未窺於境、秦之重賂必至於趙而反請和於王。秦既請和、韓、魏聞之、必尽重王、重王、必出重宝以一於王。則是王一舉而得三国之親、而秦益危矣。」
書き下し
王の計、未だ定まらず。楼緩、秦より来たる。王、以て之に問う。緩曰く「之に与うるに如かず」と。虞卿曰く「臣、与うる勿かれと言うは、固より与うる勿からんのみに非ざるなり。秦、六城を王に索む。王、六城を以て斉に賂え。斉は、秦の深讐なり。王の六城を得なば、力を并せて西のかた秦を撃たん。斉の王に徳とすること、辞の畢わるを待たざるなり。則ち王は之を斉に失いて、償いを秦に取る。而して斉・趙の深讐、以て報ず可し。且つ天下に能く為す有るを示さん。王、此を以て声を発せば、兵は未だ境を窺わざるに、秦の重賂、必ず趙に至りて、反って和を王に請わん。秦、既に和を請えば、韓・魏、之を聞き、必ず尽く王を重んぜん。王を重んぜば、必ず重宝を出して以て王に一とせん。則ち是れ王、一挙にして三国の親を得て、秦は益々危うからん」と。
現代語訳
王の判断が定まらなかった。楼緩が秦から来た。王は彼に尋ねた。楼緩は「与えるに越したことはありません」と言った。虞卿は言った。「私が与えるなと言うのは、ただ与えないというだけではありません。秦は六つの城を王に求めています。王はその六城を斉に贈りなさい。斉は秦の深い仇です。王の六城を得れば、力を合わせて西の秦を撃つでしょう。斉が王に恩を感じるのは、言い終わるのを待たないほどです。王は斉に失って、償いを秦から取る。しかも斉と趙の深い仇を報いられる。天下に力があると示せる。王がこれを言い出せば、兵が国境をうかがう前に、秦の重い贈り物が必ず趙に来て、逆に和を請うてきます。秦が和を請えば、韓と魏はそれを聞いて必ず王を重んじる。重んじれば必ず重い宝を出して王に一つになろうとする。王は一挙に三国と親しくなり、秦はますます危うくなります」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・奉使齊魯を攻む。子貢哀公に見え、吳に救いを求めんことを請う。公曰く、「奚ぞ先君の寶を用いんや。」子貢曰く、「吳をして寶を責めて我に師を與えしむれば、是れ恃むべからざるなり。」是に於て楊幹麻筋の弓六を以て往く。子貢吳王に謂いて曰く、「齊無道を爲し、周公の後をして血食せざらしめんと欲す。且つ魯の賦五百、邾の賦三百なり。識らず此を以て齊を益せば、吳の利ならんか、非ならんか。」吳王懼れ、乃ち師を興して魯を救う。諸侯曰く、「齊周公の後を伐つに、吳之を救う。」遂に吳に朝す。
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『墨子』魯問魯君、子墨子に謂いて曰く、「吾れ齊の吾を攻めんことを恐る。救う可きか」と。子墨子曰く、「可なり。昔者、三代の聖王、禹・湯・文・武は、百里の諸侯なり。忠を説き義を行いて、天下を取る。三代の暴王、桀・紂・幽・厲は、讐怨し暴を行いて、天下を失う。吾れ願わくは主君の、上は天を尊び鬼に事え、下は百姓を愛し利し、厚く皮幣を為り、辭令を卑くし、函く徧く四隣の諸侯を禮し、國を敺りて以て齊に事えんことを。患い救う可きなり。願うに非ざれば為す可き者無し」と。
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『学問のすゝめ』初編・国の分限を知らずしかるを支那人などのごとく、わが国よりほかに国なきごとく、外国の人を見ればひとくちに夷狄夷狄と唱え、四足にてあるく畜類のようにこれを賤しめこれを嫌い、自国の力をも計らずしてみだりに外国人を追い払わんとし、かえってその夷狄に窘しめらるるなどの始末は、実に国の分限を知らず、一人の身の上にて言えば天然の自由を達せずしてわがまま放蕩に陥る者と言うべし。王制ひとたび新たなりしより以来、わが日本の政風大いに改まり、外は万国の公法をもって外国に交わり、内は人民に自由独立の趣旨を示し、すでに平民へ苗字・乗馬を許せしがごときは開闢以来の一美事、士農工商四民の位を一様にするの基ここに定まりたりと言うべきなり。
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孫子・謀攻篇故に上兵は謀を伐つ。その次は交を伐つ。その次は兵を伐つ。その下は城を攻む。
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説苑・奉使蔡師強・王堅をして楚に使いせしむ。楚王之を聞きて曰く、「人の名章章たる者多し、獨り師強王堅と爲すか。」趣かに之に見えんとし、次を以てせず、其の人の狀を視るに、其の名を疑いて其の聲を醜しとし、又た其の形を惡む。楚王大いに怒りて曰く、「今蔡人無きか。國伐つべきなり。人有りて遣わさざるか。國伐つべきなり。端に此を以て寡人を誡むるか。國伐つべきなり。」故に二使を發するに、三たび伐たんと謀る者を見る、蔡なり。
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孔子家語・辯物呉王夫差、将に哀公と与に晋侯に見えんとす。子服景伯、使者に対えて曰わく、「王諸侯を合すれば、則ち伯侯牧を率いて以て王に見う。伯諸侯を合すれば、則ち侯子男を率いて以て伯に見う。今諸侯会するに、君と寡君と晋君に見えば、則ち晋成りて伯と為らん。且つ執事伯を以て諸侯を召し、而して侯を以て之れを終うれば、何の利か之れ有らん。」呉人乃ち止む。既にして之れを悔い、遂に景伯を囚う。伯、大宰嚭に謂いて曰わく、「魯将に十月上辛を以て、上帝に事有らんとす、先王季辛にして畢わる。何ぞや、世に職有り、襄より已来之れを改む。若し其れ会せずんば、則ち祝宗将に曰わん、呉実に然りと。」嚭夫差に言い、之れを帰す。子貢之れを聞き、孔子に見えて曰わく、「子服氏の子、説くに拙し。実を以て囚を獲、詐を以て免るるを得たり。」孔子曰わく、「呉子は夷為り、徳は欺く可くして実を以てす可からず。是れ聴く者の蔽いにして、説く者の拙きに非ざるなり。」