長短経 / 運命
〔議曰、夫吉凶由人、興亡在徳。稽於前載、其在徳必矣。今論者以堯舜無嗣、以為在命、此繆矣。何者?夫佐命功臣、必有興者、若使傳子、則功臣之徳廢。何以言之?昔鄭桓公問太史伯曰、「周衰、何國興?」對曰、「昔祝融為髙辛火正、其功大矣。而其于周、未有興者。楚、其後也。周衰、楚必興。齊、姜姓、伯夷之後也、伯夷佐堯典禮。秦、嬴姓伯翳之後、伯翳佐舜、懐柔百物。若周衰、並必興矣。」是以班固《典引》云、「陶唐捨胤而禪有虞、有虞亦命夏后稷、契熙載、越成湯武、股肱既周、天乃歸功元首、将授漢劉。」由此言之、安在其無嗣哉!
新字:〔議曰、夫吉凶由人、興亡在徳。稽於前載、其在徳必矣。今論者以堯舜無嗣、以為在命、此繆矣。何者?夫佐命功臣、必有興者、若使伝子、則功臣之徳廃。何以言之?昔鄭桓公問太史伯曰、「周衰、何国興?」対曰、「昔祝融為高辛火正、其功大矣。而其于周、未有興者。楚、其後也。周衰、楚必興。斉、姜姓、伯夷之後也、伯夷佐堯典礼。秦、嬴姓伯翳之後、伯翳佐舜、懐柔百物。若周衰、並必興矣。」是以班固《典引》云、「陶唐捨胤而禅有虞、有虞亦命夏后稷、契熙載、越成湯武、股肱既周、天乃帰功元首、将授漢劉。」由此言之、安在其無嗣哉!
書き下し
〔議に曰く、夫れ吉凶は人に由り、興亡は徳に在り。前載に稽うるに、其の徳に在ること必せり。今、論者は堯・舜の嗣無きを以て、以為えらく命に在りと。此れ繆れり。何となれば、夫れ佐命の功臣は、必ず興る者有り。若し子に伝えしむれば、則ち功臣の徳廃る。何を以て之を言う。昔、鄭の桓公、太史伯に問いて曰く「周衰うれば、何れの国か興らん」と。対えて曰く「昔、祝融は高辛の火正と為る。其の功大なり。而して其の周に於けるや、未だ興る者有らず。楚は其の後なり。周衰うれば、楚必ず興らん。斉は姜姓、伯夷の後なり。伯夷は堯を佐けて礼を典る。秦は嬴姓、伯翳の後なり。伯翳は舜を佐けて百物を懐柔す。若し周衰うれば、並びに必ず興らん」と。是を以て班固の典引に云う「陶唐は胤を捨てて有虞に禅り、有虞も亦た夏后・稷・契に命じて載を煕め、成湯・武に越ぶ。股肱既に周く、天乃ち功を元首に帰し、将に漢の劉に授けんとす」と。此に由りて之を言えば、安くにか其の嗣無きに在らんや。
現代語訳
〔論じて言う。吉凶は人により、興亡は徳にある。昔の記録を調べれば、徳にあることは確かである。いま論者は、堯や舜の子孫が王位を継がなかったのを、運命によるものだと考える。これは誤りである。なぜなら、天命を助けた功臣の家は必ず興るものだからだ。もし子に伝えれば、功臣の徳は廃れてしまう。何によってそう言うか。昔、鄭の桓公が太史伯に「周が衰えればどの国が興るか」と問うと、太史伯は答えた。「昔、祝融は高辛氏の火の官で、その功は大きかったが、周の時代にはまだその子孫で興った者がいない。楚がその子孫で、周が衰えれば楚は必ず興る。斉は姜姓で伯夷の子孫、伯夷は堯を助けて礼をつかさどった。秦は嬴姓で伯翳の子孫、伯翳は舜を助けてあらゆる物をなつけた。周が衰えれば、これらは皆必ず興る」。だから班固の『典引』に言う。「堯は子を捨てて舜に位を譲り、舜もまた禹・后稷・契に命じて事業を広めさせ、殷の湯王・周の武王へと及んだ。補佐の臣たちの家に天命が行き渡ると、天はその功を再び元首に帰して、漢の劉氏に授けようとした」。これで言えば、堯・舜に跡継ぎがいないなどとどうして言えようか。
解説

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史記 燕召公世家湣公三十一年にして卒し、釐公立つ。是の歳、三晋列して諸侯と為る。釐公の三十年、伐ちて斉を林営に敗る。釐公卒し、桓公立つ。桓公十一年にして卒し、文公立つ。是の歳、秦の献公卒す。秦益々彊し。文公の十九年、斉の威王卒す。二十八年、蘇秦始めて来たり見え、文公に説く。文公車馬金帛を予へて以て趙に至らしむ。趙の粛侯之を用ふ。因りて六国を約し、従長と為る。秦の恵王其の女を以て燕の太子の婦と為す。二十九年、文公卒し、太子立つ。是を易王と為す。易王初めて立つや、斉の宣王燕の喪に因りて我を伐ち、十城を取る。蘇秦斉に説き、復た燕に十城を帰さしむ。十年、燕君王と為る。蘇秦燕の文公の夫人と私通し、誅せられんことを懼れ、乃ち王に説きて斉に使ひして反間を為し、以て斉を乱さんと欲す。易王立ちて十二年にして卒し、子の燕噲(かい)立つ。燕噲既に立ち、斉人蘇秦を殺す。蘇秦の燕に在るや、其の相子之と婚を為し、而して蘇代子之と交はる。蘇秦死するに及びて、斉の宣王復た蘇代を用ふ。燕噲の三年、楚・三晋と秦を攻め、勝たずして還る。子之燕に相として、貴重にして断を主る。蘇代斉の為に燕に使ひす。燕王問ひて曰く、「斉王は奚如(いかん)」と。対へて曰く、「必ず覇たらず」と。燕王曰く、「何ぞや」と。対へて曰く、「其の臣を信ぜず」と。蘇代以て燕王を激して以て子之を尊ばしめんと欲するなり。是に於て燕王大いに子之を信ず。子之因りて蘇代に百金を遺り、而して其の使ふ所を聴く。鹿毛寿燕王に謂ふ、「国を以て相の子之に譲るに如かず。人の堯を賢と謂ふ者は、其の天下を許由に譲るを以てなり。許由受けず。天下を譲るの名有りて、実は天下を失はず。今王国を以て子之に譲らば、子之必ず敢て受けず。是れ王堯と行を同じくするなり」と。燕王因りて国を子之に属す。子之大いに重し。
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荀子・正論篇国を擅(ゆず)ること有るも、天下を擅ること無きは、古今一なり。夫の「堯舜擅讓す」と曰うは、是れ虚言なり。是れ浅き者の伝、陋(いや)しき者の説なり。逆順の理、小大・至不至の変を知らざる者なり。未だ与に天下の大理に及ぶべからざるなり。