長短経 / 君徳
晉惠帝太子遹有罪、閻纂上書諫曰、「臣伏念遹長養深宫、沉淪富貴、受饒先帝、父母驕之。每見選師傅、下至郡吏、率取膏梁擊鐘鼎食之家、希有寒門儒素、如衛綰、周文、洗馬舍人、亦無汲黯、鄭莊之比、遂使不見事父君之道。古禮、太子以士禮與國人齒、欲令知賤、然後乃貴。自頃東宫亦㣲太盛所以致敗、非但東宫。
新字:晋恵帝太子遹有罪、閻纂上書諫曰、「臣伏念遹長養深宮、沈淪富貴、受饒先帝、父母驕之。毎見選師傅、下至郡吏、率取膏梁撃鐘鼎食之家、希有寒門儒素、如衛綰、周文、洗馬舎人、亦無汲黯、鄭荘之比、遂使不見事父君之道。古礼、太子以士礼与国人歯、欲令知賤、然後乃貴。自頃東宮亦微太盛所以致敗、非但東宮。
書き下し
晋の恵帝の太子遹、罪有り。閻纂、上書して諫めて曰く「臣伏して念うに、遹は深宮に長養せられ、富貴に沈淪す。饒を先帝に受け、父母之を驕らす。師傅を選ぶを見る毎に、下は郡吏に至るまで、率ね膏梁撃鐘鼎食の家より取る。希に寒門儒素にして、衛綰・周文の如き者有り。洗馬舎人も、亦た汲黯・鄭荘の比無し。遂に父に事え君に事うるの道を見ざらしむ。古礼に、太子は士礼を以て国人と歯す。賤を知らしめ、然る後に乃ち貴からんと欲すればなり。頃より東宮も亦た微かに太だ盛んなり。敗を致す所以は、但だ東宮のみに非ず。
現代語訳
晋の恵帝の太子遹に罪があった。閻纂が上書して諌めた。「私がつつしんで思いますに、遹は深い宮中で育てられ、富貴に沈みきっております。先帝からありあまるものを受け、父母がこれを驕らせました。師傅を選ぶのを見るたびに、下は郡の役人に至るまで、おおむね裕福で鐘を鳴らして鼎で食事をするような家から取っています。まれに寒門の質素な儒者で、衛綰や周文のような者がいるでしょうか。洗馬や舎人にも、汲黯や鄭荘のような者がいません。そのため父に仕え君に仕える道を見ずに育ちました。古い礼では、太子は士の礼で国の人々と年齢の順に並びました。賤しさを知らせて、そのうえで貴くしようとしたからです。近ごろは東宮もまた少し盛んすぎます。失敗を招いた原因は、東宮だけではありません。
解説
この章句が説くこと
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